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【読後感想】「半農半Xという生き方」を読んでみて。

いくらでも書かない言い訳はできてしまうものだなと、反省を通り越してもはや諦めに近い感情を抱いてしまっています。(それでは全くもっていけないのですが)

5月上旬に地元での生活が始まりました。
当初使う予定をしていた実家の離れが、諸事情により使えなくなったりとトラブルもありましたが、なんとか落ち着き、生活リズムができてきました。

その中で、せっかくUターンしたからには、やってみたい!と思っていた家庭菜園を初めてみました。
数年近く貼られていた防草シートを剥がし、かっちかちに固まった粘土質の土を掘り起こし、堆肥を撒き、作物が育つベースを整えていました。

固まり切った土を掘り起こし中
※近隣でトラブルがありパトカーが停まっているハプニング

周囲から珍しいことしているね、農家になるのか?などツッコミをいただく中で、Uターン前に一度読んだ「半農半Xという生き方」を思い出し、改めて読み直してみました。
その中で感じたことが色々あったのでそれらを書いてみたいと思います。

・比率はさておき「農」に触れる重要性

本書では「半農半X」を半自給的な農業とやりたい仕事を両立させる生き方と表現しています。「農」はイメージの通り、食料自給につながる農業活動を行うことを意味している一方、「X」は自分の個性、特技、長所、役割を活かして社会への何らかの貢献を目指す使命(ミッション)と表現されています。
その実践者として「映画字幕翻訳者」や「元大手電機メーカーの技術者」の方が紹介されています。
「X」が若干ハードルが高いなと感じており、使命なんてないよーってなりがちだと思うので、私の中では便宜的に「X」を「ビジネス」として意訳して考えています。

地方移住して農業に携わってみたと思った時に、調べるとよく出てくる脱サラして新規就農しました!といったストーリーではなく、他に何か仕事を持ちながら、できる範囲で農業に従事するという見方によっては中途半端な携わり方がたくさん出てきます。

このどっちつかずさ、むしろ「農」と「X」2つがあって初めて「1」になる感ってとても大事だと思います。
本筋からずれますが、この「農」と「X」をそれぞれ「公」「私」に分けて考えてみると、どっちかだけで自分が成り立っているのではなく、2つの調和が取れて初めて自分という「1」が成立するという捉え方にも援用できるなと思っており、とても有益なものの見方だと思います。

ただ半々である必要はないというか、そこの比率は人それぞれでいいかなと。ここを半々であるとパキッと分けすぎるとそれはそれで息苦しさも出てくるので、ライフステージなどに合わせて比率を柔軟に変えていく意識が必要かなと。

私自身も「半分農業」となると、流石にそれは難しいよと感じてしいます。なんならはじめたばかりで自給すらできていないので「農」の比率が1割もいかないレベルかなと。
それでも都会ではなかなか感じにくい、土のヒヤっとした感覚や植物の目を見張るほどの生命力、天候など自然の偉大さと理不尽さを感じ、「農」のエッセンスが少し入るだけで、100%「X」だった今までとは異なる、新たな自分が出来上がった感じがしています。

本書でも以下のように書かれています。

田舎には自然からもらえるインスピレーションがある。それが人間の創造的な活動や暮らしに刺激を与える。

「半農半X」という生き方

「農」は特に都会人にとって今までにない変化をもたらしてくれ、それが何かの着想につながったり、新しい自分を生み出し発展させてくれるインプットになってくれるという意味で、「農」に携わるのは、比率は関係なしにとても重要です。


身体的な感覚・感性を取り戻すことができる

田舎で家庭菜園を行うと、土や草、風などを体全体を使って感じることができます。東京での生活を振り返ると、コンクリートなど鉄筋に囲まれており、自然といっても人工的に徹底的に管理された草木程度で、「自然」という言葉といかに距離があったのかというのを思い知らされました。

クーラーではなく自然風の心地よさや、草木のみずみずしさなどこういったものに触れ続けていると、体の内側からの変化を感じます。
些細なところで言うと発汗しやすくなりました。東京で生活していたときは全く汗をかかなかったのに、今や顔から汗が滴るようになりました。

別にこういった感覚・感性がなくても生活は十分できますが、人間として備わっている五感をフルに生かして「なんとなく△△」といった直感を磨いていけるとおもしろいなと。今までは「○○だから△△」であるといったロジックで理由づけできないとアクションが起こせず、根拠集めに時間ばかり取られていました。ビジネスという観点ではそれが正解なのかもしれませんが、ビジネスを含む人生という上位観点で見たとき、精度の高い感性で行き先を決めて動き出し、そこにロジックを付与していけると、密度濃い人生を送れる気がしています。

農作業というのは、都会に染まりきった人間に、動物として人間に備わる野生的な感性、レヴィ=ストロースの言葉を借りると「野生の思考」養っていく一助になるのではないかと思っています。


以上、農作業をはじめたことで思い出した「半農半Xという生き方」を読み直して思い出したことを書き連ねてみました。




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