ゆきものがたり

アラフォー主婦とイーオット、子供二人の徒然日記。 見知らぬじいさんと殴りあいの喧嘩した…

ゆきものがたり

アラフォー主婦とイーオット、子供二人の徒然日記。 見知らぬじいさんと殴りあいの喧嘩したり赤ペン12本、1ダース頼むところを段ボール12箱頼んだりした過去のやらかしをつづってます。

最近の記事

車が盗まれるって本当にあるんだ事件

事の発端は 朝、仕事前にゴミを捨てる前に マンションの駐車場に寄ったイーオットが 我が家の車が失くなっている ということに気づいたことにあります。 昨日まで、確かにあった自分の家の車。 鍵を落としたわけでも ガラスが割られたような形跡もなく ある日、気がつくと 1500キロ越えの鉄の塊が 忽然と跡形もなく消えていたのです。 朝のバタバタのラッシュを終え 子供と亭主を送り出し ホッと一息ついたところに 血相を変えて戻ってきて そんなとんでもないことを言い出す夫。 ど

    • 大分旅行、全裸事件。

      結婚して17年。 身持ちの固いわたしは イーオット以外の男性に 裸を見せたこともさわらせたこともない。 (需要がないだけだと思った わたしの友人たち、 今度会ったとき怒ります。) そもそもわたしは お手軽な恋愛を 楽しめるタイプでもないし まして結婚している身でありながら 他の男性に体を許すなんて 自転車にも乗れない人間が 飛行機を操縦するくらいの 飛び級恋愛だ。 そんな私だったが長きに渡って 守り抜いてきた貞操を  汚すような事件をとうとう起こしてしまった。 若い、見

      • 花と恋の話②

        わたしは異性にモテるという経験を あまりしてこなかった。 あまり、というか ほとんど無いに等しい。 (見ればわかると思った わたしを知っている友人たち、 今度会ったら怒ります。) 痴漢みたいな男は 次から次に沸いてでてきて バッタバッタとなぎ倒すことはあっても お付き合いしたい と思っていただくことは 少なかったように思う。 「安く見積もられている」 というプライドよりは 男性のそういうエネルギーを向けられる事や 断る、逃げることにいちいち罪悪感を感じ パワーを使

        • 花と恋のような話①

          25、6歳のころ 恋にも疎く 色気もなく お酒ものめない 三重苦の病をこじらせていた時期があったのですが (正確には不治の病でいまだ完治してません) そんなある日、友人の紹介で とあるbarに通っていた時期がありました。 そのときに出会った 素敵な老紳士との恋のような話を してみたいと思います。 一杯お酒をのんで ボーッとしていたら 目の前に 一輪のバラが添えられた 細身のグラスを差し出され 「あちらのお客様からです」 と、バーテンダーさんに 言われ、はたと振り向く

        車が盗まれるって本当にあるんだ事件

          ADHDではなく性格です。

          わたしは仕事ができない。 カフェのホールで働いていた時は 水とメニュー聞きと料理運びと 一体どれから始めたらいいか分からなくて 右往左往していたら 「スリラー」 とバイト仲間から影で呼ばれていた。 高校生で初めて勤めたスーパーのバイトは 無遅刻、無欠勤で真面目に働いて 3ヶ月後にクビになったし 就職活動していた際は 履歴書を記入するのを忘れて 真っ白なまま面接で提出し 宇宙人を見るような目で面接官にみられた。  わたしのポケットには 「社会性」 というものが一欠片

          ADHDではなく性格です。

          息子が 「うちの学校、1万5千キロ毎日 マラソンさせられるからやだ。」 と言っていた。 いったいうちの息子とその級友たちは どこの国まで走って帰ってきてるんだ。

          息子が 「うちの学校、1万5千キロ毎日 マラソンさせられるからやだ。」 と言っていた。 いったいうちの息子とその級友たちは どこの国まで走って帰ってきてるんだ。

          ピッコロさんか海南雄山か

          わたしは国際結婚に憧れていた。 マイハニーとかダーリンとか呼ばれて 一途にわたしだけ大切にしてくれる 甘々な結婚生活に可愛いハーフの子たち。 日常生活では日本語と英語で会話するから 子供たちは自然にバイリンガルに、、 みたいなそんなヤツに。 実際のところ ハッキリいっていまの現実の結婚生活は 幸せである。 が、 いかんとも納得しがたいこともある。 イーオットの私に対するイメージである。 ある日のこと夕飯をつくったが こどもたちが集まらずわたしはイライラを募らせ

          ピッコロさんか海南雄山か

          わたしと娘に訪れたモテ期たち(人外あり)

          人間には人生で三回のモテ期が 誰にでもあると聞く。 実はわたしと娘にもあった。 我が家の小学五年生の娘。 親からみたら なんとも涼しげな一重 愛らしいくちもと 手足の長く品と知性を兼ね備えた所作 などなど、 親バカ炸裂に可愛い子なのだが 一般的にはべつにさして 目立つタイプではない。 ただ保育園のときに一度 幼稚園のときに一度 そして小学三年生のときに それぞれ娘のことを 好きになってくれた男の子がいたのである。 それが三人ともなぜか娘の名前を大声で叫びながら近づい

          わたしと娘に訪れたモテ期たち(人外あり)

          わたしがお酒を飲まないのはお前らの生まれてきた所をみろ。と母親がパンツを脱いだりしたからです。

          わたしの母は酒乱だった。 夜に酔っぱらって包丁を取り出し 若くして散っていった特攻隊の話を持ち出し 「覚悟が足りん‼️」 と自分のベッドに包丁を突き刺したり 自分はお市の方の生まれ変わりだと 言い出したりしていた。 あまりにも家庭がカオスだったので 家を出て自立することを当時わたしは 「脱北」 と呼んでいた。 数々の伝説をもつファンキーな母だが、 わたしに将来大人になっても 酒を飲むまいと 決めさせた出来事がある。 ある日のこと、  わたしには六歳下の弟がいる

          わたしがお酒を飲まないのはお前らの生まれてきた所をみろ。と母親がパンツを脱いだりしたからです。

          田んぼの真ん中で「私は女性です」と自己紹介したあの日

          わたしは女性である。 心も体も女性であり自分では そう認識している。 だが、周りにそう認識されず 大きな声で 「わたしは女性です!」 と二度ほど人生で自己紹介したことがある。 はたして初対面の 今までも今もこれから先も まったくの赤の他人である人間に 自分の性別を説明しなければならない羽目になる人は、いったい世の中に何人いるのか。 なぜ珍事の神様はわたしを ほっといてくれないのだ。 まず一度めは電車で痴漢に 間違われたときのことである。 悪名高い、さる都心に向か

          田んぼの真ん中で「私は女性です」と自己紹介したあの日

          救急車まちがって呼んじゃった話

          二十代の頃 まちがって救急車を呼んでしまった事がある。 いや、救急車を呼んだのは意図して呼んだ。 だが必要がないのに呼んでしまったのである。 事の発端は ある日学校帰りに ふと気づくと端で おじいさんがしゃがみこんでて 大丈夫かと話しかけた事に始まる。 なんだかしんどそうに 膝を抱えて座っていたので 気になって話しかけてみたのだ。 話しかけてよかった、 なんとおじいさん、 呂律(ろれつ)がまわっていなかった。 これはあれである! 救急講習で学んだやつである! 手足の痺

          救急車まちがって呼んじゃった話

          結婚はわたしにとっての更正施設だった

          わたしは多分だらしない。 ガサツでいい加減である。 お茶っ葉は袋から スプーンも使わずザッザッと入れるし 洗濯物もたたまず下着類は ぐちゃぐちゃと放り込むだけ。 そんな性格なので AがおきたらBという対処をする みたいな事が一般的な場合に AがおきたらAのまま という事がままある。 新婚当初ももちろんそんなかんじで ある日わたしが朝ご飯を作っているときに パジャマのズボンにバシャッと  なにかのタレをかけてしまった事があった。 たぶん、きちんとした奥さんなら 最低限、

          結婚はわたしにとっての更正施設だった

          新婚当時の料理は下手すぎて夫が弁当買ってきてた話

          料理が壊滅的に下手だった。 いまでも得意とは言えないが 独り暮らしの経験がない上に もともとセンスがなかった私が 新婚当初していた料理は実際のところ 料理ではなく理科の実験の失敗だった。 わすれもしない結婚してすぐの頃 わたしは自身の貧血のひどさもあり よせばいいのに 割りと美味しくつくるのに 普通でも難易度高めの 豚レバーを調理しようとしていた。 豚レバー。 臭いをけすという概念も知らないまま ただ、肉はコーラに浸ければ 柔らかくなるというサブカル的な 知識はあった

          新婚当時の料理は下手すぎて夫が弁当買ってきてた話

          長渕剛さんとお風呂をご一緒した息子の奇行

          私には中一の息子と小五の娘がいる。 わたしの母からエイリアンの緑の血より たちの悪い遺伝と血液を脈々と受け継いだのは 娘ではなく息子の方であると日々感じる。 保育園のときは みんなが園庭で走り回るなか 一人すみっこで狐小判という木の実を集めたり 小石を積み上げたり タンポポというタンポポを摘みちらかしたりするおとなしいタイプの子だった。 そんな息子が悪しき遺伝が 受け継がれていることの 片鱗をみせだしたのは 小2のころである。 かごしまのとある霧島方面の温泉に 旅行

          長渕剛さんとお風呂をご一緒した息子の奇行

          アジア人はみな同じに見えるのだが?

          アジア人。 とくに中国人、韓国人、日本人。 友人たちは これらの判別がつくらしく 見ただけで日本人とはちがうとか わかるというが わたしには全員同じ人種にみえる。 これはそんな私がオランダから 日本に帰ってきたときにあった 出来事である。 オランダに住む友人を訪ね その帰りの飛行機で隣り合わせた アジア人の男にカタコトの英語で 「I have wife」 と語りかけられたことに始まる。 あ、あいはぶわいふ? 訳 私には妻がいます。 どういう意味。 なんの自己紹介

          アジア人はみな同じに見えるのだが?

          見知らぬじじいと殴りあいの喧嘩をした38歳のあの日

          育児ストレス。 それは本当に恐ろしいものである。 なぜなら普段なら考えられないような とんでもない自分を引き出させるからである。 というのも、わたし 娘が五歳、息子が六歳のときに 道端で見知らぬじじいと 拳を交えた喧嘩をした事があるのである。 ことの発端は 子供たちが騒がしすぎることに 疲れはて 歩いて20分ほどのTSUTAYAに 散歩がてらあるいていたときに じじいに怒鳴り付けられたことに由来する。 車が二車線ずつ走るような 大きな道路の歩道を歩いていたときのこと。

          見知らぬじじいと殴りあいの喧嘩をした38歳のあの日