読み書きについて、最近思うこと。
おととい、こちらのnoteを書いた。
ここに出てくるAちゃんとのエピソードはとても大切にしてて、最終的に完成した文章も、自分としてはわりと気に入っていた。でも、公開してもあまり読まれていなくて。
そんなときもあるよな…と思いつつ、ついこんなぼやきをしてしまったのです。
そしたらなんと、仲良くしている方が反応してくれて「どれですか!」と見にきてくださった。めちゃくちゃうれしかったなぁ。
作品として読んでもらえることももちろんうれしいのだけど、「ゆっこ」と「note」をセットにして、「ゆっこさんのnote」として読んで、受けてもらえることが、たまらなくうれしい。
その後、noteをTwitter上にシェアしてくださって、結果、このnoteをひらいてくださる方が増えた。そこから、新しくフォローして下さった方もいた。こうやって読み手の方々に支えられているんだなと、あらためて感じる。
一時的にではなく、これまでの積みかさねも含めてずっと見てくださっている方がいると思うと、とてもがんばれる。
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「見てもらうことのうれしさ」について、以前noteを書いた。
子どもも、大人も、見てもらいたい気持ちは一緒。「私」と「その他大勢」じゃなくて「私」と「あなた」という一対一の関係性において、自分を見てもらえたらうれしいし、相手のこともきちんと見ていきたい。
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「承認欲求」という言葉がある。「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求。これとのつきあい方は気をつけた方がいいと、よくいろんな本に書いてある。
承認欲求がありすぎると、承認されることが物事の動機になるから、極論的に言えば承認されるからやる、承認されないならやらない、となってしまう。過度にもつのは危険である。それよりも内発的な動機を高めていった方がいいと。
この「承認」のさすところが「高く評価される」という意味ならば、確かに過度に持ちすぎない方がいい。評価されることばかりが気になり、それのあるなしで、物事への姿勢が大きく左右されてしまう。
でも「承認」とは近らずとも遠からずで、「見てもらいたい」「見てもらってうれしい」という気持ちは、誰しもあるのではないか。むしろ持っていることが、ごく自然なことなのではないか。
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たとえば書くことにおいての「承認」は、高く評価されたり、賞賛を受けたり、コンテストで入賞したり、が含まれるのかな。
もちろん「結果的に」そうなったらうれしいけれど、それをものすごく求めているわけじゃない。(少なくとも今は)
「今の等身大の自分」が書いた文章を「見ましたよ」「こんな想いで書かれたんですね」と、そのままそっくり感じたことを返してもらえるだけで、うれしい。
ちょっぴり脇道にそれますが、こちらは「きしもとたかひろさん」という方のツイート。
自身を持ってもらうために褒めることは大切だけれど、それは無条件に褒めることではなくて受容することなんだと思う。
50を100だと思わせることではなく、50を50のまま受け止めて力を引き出せるようにすること。小さくてもできているという事実を重ねて、自分の成長を期待できるようにすること。
きしもとさんは保育の専門家で、いつも子どもへの関わり方に関する専門的な内容を、イラストやマンガ形式でわかりやすく発信されている。画一的な方法はないからと「あくまで一つの視点で」というスタンスで発信されていて、子どもを第一に考えておられることがひしひしと伝わってくる。
この「50を100だと思わせることではなく、50を50のままで受け止めて力を引き出せるようにする」という部分が、ほんとうによくもう、ここまで本質的に言語化できるなぁと、尊敬の気持ちでいっぱいになった。
「ほめてばっかりでもダメ」という意見を時々聞くけれど、それはこのツイートでいうところの「50を100だと思わせるようなほめかた」なんだと思う。言葉を変えて言えば、「おだてる」に近いというか。それをやりすぎてしまうと、承認欲求がムクムクと育ってしまう。
そうじゃなくて、子どもの行動をそっくりそのまま伝えていく。
たとえば絵を描いている子がいるとしたら、「絵、上手だね」じゃなくて「いまは絵を描いているんだね」「ピンク色をたくさん使ったんだね」「お花をたくさん書いたんだね」という伝え方。
50は50のままで、受け止めて、伝えていくだけで、もう十分。「らしさ」を見てもらえた子どもは、きっとうれしい。
(もちろん「上手だね」という言葉が絶対的に悪いわけではないです)
私も子どもと同じで、50のものを100のように評価してほしいわけじゃない。あくまでそのままを受け止めてほしい、そのままを見てほしい、という気持ちがある。
それはどうしてかと言うと、先ほどのツイートの通り、「小さくてもできているという事実を重ねて、自分の成長を期待」したいという願望があるんだろうなぁと、ふと思う。
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いろいろ難しく書きすぎちゃったけれど。
つまりは様々な方と関わり合いながら文章を書いたり、読んだりできるのは、やっぱり楽しい、ということです。
自分が書き残すためだけにはじめたnote。
「書く」「読む」を通じて人とのつながりができていくとは、思ってもいなかった。
先日も、フォローさせていただいている「蔦縁ヨウさん」が一記事まるまる使って私のことやnoteを紹介して下さり、本気で泣きそうになりました。
蔦縁さんの文章からは、「創作が大好き!」ということが伝わってくる。頭で書いていないというか。心と全身を使って書いているような、そんな印象をいつも持っています。
上記のnoteを書くために、私が書いたnoteをすべて読んでくださって。全部読むってなかなかできないことです。その誠実さを、心から尊敬します。本当にうれしかったです。
読んでくださっている方、いつも本当にありがとうございます。
これからも楽しみながら、伝わってゆく文章を研究しつづけたい。自分が伝えたいと思うことを、伝えられる人になりたいから。
そんなわけで、今日はここまで。
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