佐野恒平/さのこうへい

雪割納豆の製造・㈱ゆきんこ 代表取締役 雪割納豆について、山形・置賜地域を中心に納豆や…

佐野恒平/さのこうへい

雪割納豆の製造・㈱ゆきんこ 代表取締役 雪割納豆について、山形・置賜地域を中心に納豆や発酵文化・食品について紹介します 番外編は魚についても書いていきます。 山形県米沢市出身、東北芸術工科大学芸術学部芸術学科(歴産)卒業。

最近の記事

雪割納豆のあれこれ⑭雪割納豆かんずり入り ご当地発酵コラボレーション!

本日は、5月3日の祝日(憲法記念日)。ここ米沢では春のお祭り、上杉祭りが開催されいる。午前中は武者行列となり米沢市内をねり歩く。また、午後からは松川河川敷で、川中島合戦が行われる。川中島合戦は上杉謙信と武田信玄による戦国時代の戦になる。永禄4年(1561年)の第4次川中島合戦の一騎打ち、三太刀七太刀の逸話が有名である。そこで本日は、上杉繋がりという事で、雪割納豆のかんずり入りについてご紹介していきたい。なぜ上杉繋がりか、雪割納豆の誕生の地米沢は、上杉氏の城下町、そして雪割納豆

    • 雪割納豆のあれこれ⑬納豆菌・バチルス ズブチルス、オール山形県産!

      バチルス ズブチルス、何かの呪文のように聞こえるかも知れないが、納豆菌の学名になる。納豆菌は枯草菌の1種、枯草菌とは、土や植物に普遍的に存在する細菌で、その1つの納豆菌を利用して、日本人は古来から納豆を食べてきた。日本では、縄文時代中期から大豆の栽培が始まり、縄文晩期に稲作が伝えられたと言われる。大豆と稲藁の併存は、各地に納豆の発祥伝説を生み、長い年代に渡り、日本人に愛好されきた。そして、日本独特の伝統発酵食品として、現代にひき継がれている。古来の納豆造りは、煮豆を稲藁で包み

      • 雪割納豆のあれこれ⑫昔ながらの引き割り納豆!

        雪割納豆の製造で、まず一番始めに行うことは、引き割り納豆をつくる事。昔ながらの伝統的な、引き割り納豆造りについてご説明する。まず始めに、丸大豆を焙煎し、引き割って、実と皮を選別し、大豆を半分割った状態にする。皆さんがイメージし易いのは、ビールのおつみの枝豆。枝豆は青々として、鞘の中に表面が皮に覆われた豆がある。その青々とした枝豆を、その時収穫せずに、茶色く枯れた秋頃に収穫すると大豆となる。品種などで大きい物や小さい物に分かれている。豆腐や味噌、醤油、納豆は、秋ごろに収穫した大

        • 雪割納豆のあれこれ⑪おにぎりのスーパー具材!

          本日は雪割納豆とおにぎりについて。雪割納豆の食べ方として、私の1番のオススメはおにぎり。雪割納豆は、しょっぱい熟成塩こうじ納豆、お味噌と同じくらいの塩分があるため、おにぎりの具にすると最適なのです。そして、熟成発酵により、大豆がアミノ酸、米糀がブドウ糖に分解されており、体にとっても吸収しやすい状態になっている。雪割納豆には必須アミノ酸(人間の体内で作れない9種類のアミノ酸)と非必須アミノ酸(体内で作ることができる11種類のアミノ酸)の人間に必要な20種類のアミノ酸がすべて含ま

        雪割納豆のあれこれ⑭雪割納豆かんずり入り ご当地発酵コラボレーション!

          雪割納豆のあれこれ⑩変わらぬパッケージデザイン!謎なんです

          本日は雪割納豆のパッケージデザインのお話。現在、雪割納豆は8種類の展開になっている。量目・味・糀・企画といった違いがある。すべての商品のベースになっているのが、上記のオレンジ箱(雪割納豆150g)であり、箱のデザインになる。表記で「味付け納豆」を「熟成こうじ納豆」、「みちのく特産」を「山形・米沢特産」、「赤穂の塩」を「おいしい食べ方」に変更した経緯はあるが、68年前から基本デザインは変わらない。ミノボッチ(頭から背中にかけて被る、藁の蓑)と雪靴(藁の長靴)を履いた子供のデザイ

          雪割納豆のあれこれ⑩変わらぬパッケージデザイン!謎なんです

          雪割納豆のあれこれ⑨雪割納豆の米麹って!アスペルギルス・オリゼー

          本日は雪割納豆の主原料である、米糀についてのお話する。昨今、ニュースで紅麹について話題になっている。早速、弊社にも「紅麹製品の使用はありませんか?」といった問い合わせを頂いた。雪割納豆の麹菌は黄麹菌(白もやし)である。黄麹菌は二ホンコウジカビとも言い、日本醸造学会において国菌に認定さている。また、黄麹菌はアスペルギルス属でタンパク質をアミノ酸に、デンプンをブドウ糖に分解する酵素を生産することが大きな特徴である。黄麹菌の学名はアスペルギルス・オリゼーと言い、オリゼーはラテン語で

          雪割納豆のあれこれ⑨雪割納豆の米麹って!アスペルギルス・オリゼー

          魚のあれこれ①市場(いちば)と市場(しじょう)

          雪割納豆の製造のゆきんこも本業でもあるが、もう1つは魚市場の仕事がある。魚市場の仕事は私の曾祖父が昭和27年(1952年)に始めた。今年で73年目を迎える。私自身もこの仕事をして今年で20年目になる。魚市場のある米沢は海がない。北海道・東北・関東・新潟を中心とする各地域の大小様々な港(産地市場)から水産物を集荷し販売する水産卸売業。少し言葉を変えると水産物の消費市場である。日本国内と世界各地から魚が入ってくる。言い換えれば米沢で獲れたものは1つもない。だだ海のないこの地域にも

          魚のあれこれ①市場(いちば)と市場(しじょう)

          雪割納豆のあれこれ⑧今も昔も変わらぬ味

          山々には残雪、春らしい日差しが感じられる。卒業証書を片手に、胸には花を飾った生徒さんたちを見ると、いよいよ春の訪れを感じる。米沢盆地から南に望む吾妻山も少しずつ白馬の騎士が姿を現してくる。上の絵のような感じになるのは4月中旬ごろだろう。 3月が雪割の季節とするならば、4月は仕込んだごと納豆がいよいよ食べごろを迎える季節だ。現在は1年中仕込んでいるので、昔のお話ではありますが。前々回と前回で、ごと納豆とはじまりの雪割納豆についてお話をした。今回は雪割納豆の味を決める工程について

          雪割納豆のあれこれ⑧今も昔も変わらぬ味

          雪割納豆のあれこれ⑦ごと納豆とはじまりの雪割納豆

          ゆきんこを始めて11年目に入る。設立から3年目あたりに雪割納豆の無添加を発売した。これがはじまりの雪割納豆である。最初の1年ぐらいは雪割納豆(無添加)という商品名で販売し、途中からはじまりの雪割納豆という商品名に変更した。名づけたのは弟である。なぜ無添加の商品をつくったか、それはお客様のご要望と雪割納豆の元になったごと納豆の復元であった。雪割納豆は前述したようにオリジナルの商品である。自家製のひきわり納豆に米糀と塩、そしてオリジナルのタレが混ぜらている。オリジナルのタレは水飴

          雪割納豆のあれこれ⑦ごと納豆とはじまりの雪割納豆

          雪割納豆のあれこれ⑥ごと納豆って

          ホーロクで豆を煎り、2つに割って皮を飛ばし煮込んだ豆をワラットに詰め、温め発酵させ、仕上がった引割納豆に米糀と塩を適量混ぜ合わせ、程よく発酵が進み旨味が増してくる。これがごと納豆だ。秋に大豆の収穫を終え、各家単位で納豆を造り、納豆として食べることはもちろん、拵えた納豆に米糀と塩を加え漬け込む、まさに生活の知恵、そして食べ物を大切することである。冷蔵庫もない時代に塩の特性を活かした雪国の保存食文化である。山形置賜地域では昔からひきわり納豆に塩と米糀を加えて追加発酵させた納豆がつ

          雪割納豆のあれこれ⑥ごと納豆って

          雪割納豆のあれこれ⑤熟成こうじ納豆って

          雪割納豆は68年前に開発された商品名。では雪割納豆ってどんな納豆?と疑問に思う方も多いのではないか。雪割納豆はひきわり納豆に米糀と塩を混ぜ合わせ発酵熟成させた塩糀納豆であるわけです。雪割納豆の元となる『ごと納豆』については雪割納豆の起源で詳細を明らかにしたい。 それでは日本の納豆の種類は大きく分けて3つあげられる。納豆菌による糸引き納豆(1番メジャーな丸大豆納豆などとひきわり納豆)そしてごと納豆。麹菌による塩辛納豆・唐納豆(大徳寺納豆や浜納豆など)だ。同じ納豆いう言葉だが納豆

          雪割納豆のあれこれ⑤熟成こうじ納豆って

          雪割納豆のあれこれ④雪割って?

          3月に入り、いよいよ長い冬が終わり、桜のシーズンがやってくる。とは言っても今年の米沢は例年にないほど雪が降っていない。雪かきもほんの数える程度、もちろん雪下ろしはしていない。会社の屋根に積もった雪もなければ、駐車場の除雪の山も小山だ。いつもなら5月のGWぐらいまで庭先の雪は残っている。米沢に戻ってきて15年ほどたつが、これほど雪がない年も10年前に1度、あの時も驚いたが今年も同様である。温暖化といってしまえば、それまでだが、いろいろと考えさせられる。 雪割納豆の誕生は昭和31

          雪割納豆のあれこれ④雪割って?

          雪割納豆のあれこれ③雪割納豆の誕生秘話

          昭和31年(1956年)12月、今から68年前に米沢栄養食品株式会社(まるよね食品工業㈱の前身)から雪割納豆は誕生した。開発者は米沢栄養食品㈱専務の加藤秀一氏。加藤氏の実家は米沢市鍛治町で麹店を営んでおり、雪割納豆の誕生に結びついていく。米沢地域の農家では昔から「ごと納豆」なるものが手造りで造られ、春を迎える4月5月の農繁期に食される大事な栄養源として珍重されてきた。加藤氏の母も、戦前戦後を通して、正月になるとホーロクで豆を煎り、2つに割って皮を飛ばし煮込んだ後ワラットに詰め

          雪割納豆のあれこれ③雪割納豆の誕生秘話

          雪割納豆のあれこれ②雪割納豆との出会い その1

          子供のころ(昭和60年代)納豆といえば今より大きいパック納豆、もしくは紙の経木に包まれた大粒の納豆であった。5人分の納豆を少し大きめの鉢に移し、ほんだし少々混ぜ、醤油を少し多めに、刻んだネギをいれてご飯にかける。これがうまかった事を覚えている。今でもそのスタイルは変わらないが、ただ個食パックになったのと付属のタレを使う。たまにほんだしを入れるのはその時の味ほしさだ。今も昔も主役は糸引き納豆であったが、子供のころ、うちの冷蔵の片隅に空色の陶器の小鉢に茶色の物体が入っていた。この

          雪割納豆のあれこれ②雪割納豆との出会い その1

          雪割納豆のあれこれ①

          これから雪割納豆について、あれこれ書き続けてみたい。雪割納豆の製造を引き継いで、令和6年4月でまる10年を迎える。ゆきんこを設立して11年目に入る。10年前に私と双子の弟と雪割納豆の職人さん2人とスタートした。設立当初は工場の移転や納豆製造の設備や機械などの準備であたふたしながら何とか製造と販売を始めた。当初は上の写真のオレンジ箱の150gと右上の写真の他よりちょっと大きめの赤箱の300gの2種類であった。現在はとがらし入りの辛口・かんずり入りコラボ商品・はじまりの雪割納豆・

          雪割納豆のあれこれ①