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雪割納豆のあれこれ⑳まるよねさんの功績。手前ごと納豆から専門化に!

書き始めて3ヵ月、今回で節目の20話目となる。本日は、雪割納豆の誕生の立役者、そして前製造会社・まるよね食品工業さんの功績についてお話をしたい。(誕生秘話については雪割納豆のあれこれ③をお読みいただきたい)
なんと言っても、1番の功績は「ごと納豆」を「雪割納豆」して商品化をしたことになる。それまで雪割納豆の元となる「ごと納豆」は各農家や家庭で、必要な分を、必要な時に、作れる分だけ、と言う事になる。地域の食文化として、昔から食べられている物、各々の「ごと納豆」が存在した訳だ。言い換えれば、手前味噌文化(手前ごと納豆)が地域に広がっていた事になる。うちの「ごと納豆」はこんな作り方で、米糀はこんなんで、使っているお米はこれで、お塩はこのぐらいと言った感じ。ある意味、多様な「ごと納豆文化」が広がっていた。
そこで、商品化とはどういう意味を持ち、価値があるのか考察していきたい。商品化は下記の5つの事が行われる。「ごと納豆」の段階では行われていないことが始まった事になる。
〇大量生産をするノウハウの確立(製造の安定化)
〇商品特性を理解した、生産ラインの確立(製造の工業化)
〇製品管理と流通管理(製品の安心・安全化)
〇販売チャネルの確立(商品のマーケット化・お客の獲得)
〇商品名の確立(ブランド化)
記録されない食文化が、エンジニアリングすることにより、実践と共に記録されたのだ。ここで『発酵文化人類学』小倉ヒラクさんの1文を紹介したい
発酵ブリコラージュのシンボル、手前みそ!
ブリコラージュする「器用人(ブリコルール)は、「専門家(エンジニア)」に対置される。最初に神話を生み出し、祭りに使う道具をつくり、祭りで振る舞われる料理のレシピの開発したのは「無名の器用人」、つまり好奇心いっぱいの素人だった。もちろん発酵もいっしょ。酒を発明した〇〇シェフ、醤油の特許をとった✕✕博士は存在しない。現代の食卓に並ぶ発酵食品の多くは、無名の食いしん坊、無名のお母さんたちが何百年、何千年という時間をかけて受け継いできた「究極のオープンソース」なのであるよ。現代においてはお酒もお醤油もプロがつくった既製品をスーパーで買うが、100年前は手づくりするのが当たり前だった。戦後、様々な法律や規格がつくられ、発酵食品は「手づくりするもの」から「買うもの」になっていった。レヴィストロースの言葉を借りるなら「器用人」から「専門家」のものなった。この時、発酵文化は「ÐIY」から「グルメ」の対象になったのだな

まさに、「ごと納豆」もこの道を辿ってきたのである。「手づくりするもの」から「買うもの」、いっけん手前味噌文化が失われ、寂しい感じもするが、見方を変えれば、実践を伴いながら食文化を記録しながら受け継がれたともいえる。現在のゆきんこが存在するのも、なくなりかけた「手前ごと納豆」を1度、専門化することにより地域の食文化を守った、まるよねさんの功績といえる。これからも「ブリコラージュ」と「エンジニアリング」、2つの視点で雪割納豆を継承していきたい。本日は、このへんで。お読みいただき、ありがとうございます。ぜひ『発酵文化人類学』をお読みいただきたい!
ゆきんこHP

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