雪割納豆のあれこれ㉑ゆきんこの設立と雪割納豆の継承!
2014年4月、株式会社ゆきんこを設立した。今年で11年目になる。ゆきんこの設立の第1の目的は雪割納豆の継承になる。当初、株式会社ゆきんこにしようか、雪割納豆株式会社にしようか、多少考えたが、ゆきんこに決めた。
ゆきんこの信念
①「雪国の食文化と子供たちの未来のために」
地域の伝統発酵食品である「雪割納豆」の製造をスタートに、雪国地域の伝統食文化の継承と子供たちの豊かな食文化を育むために活動する
②「old is new」=「考古造新」
古きを考え、新しきを造る。地域の歴史・文化を考え、大切にし、新しい価値を創造しよう。少しづつ足していこう。
このような大きな2つの目的のもと、ゆきんこはスタートした。
そして、ここからは私自身の生い立ちと設立までの33年間の歩みから、設立についてお話しする。私は1981年に米沢市で産まれた。兄弟は男3人、双子の弟と4つ下の弟がいる。米沢で水産卸売業を営んでおり、私の曾祖父が設立し、祖父・父と引き継いできた。今年で73年目になる。私は長男なので家業である魚市場の仕事を引き継いだ。今の時代、長男だから家業を継ぐことはないと自分も考えているが、現在置かれた立場は簡単に申し上げると、そんなものだ。高校まで置賜で過ごし、大学時代は山形市にある東北芸術工科大学(芸術学部芸術学科歴史遺産コース)で考古学や文化財について学んだ。卒業後、東京で会計や財務を勉強し、その後、仙台市中央市場で魚市場につとめた。その後、米沢に戻り、家業に入った。今年で米沢に戻り16年が経過した事になる。このことを踏まえ、ゆきんこ設立のポイントを挙げる。
①卸売業と業態の違う事業を模索した(ゆきんこは製造業)
②水産とは違う、業種の事業を模索した(ゆきんこ納豆製造)
③歴史や考古学を学んでいたため、地域の食文化や歴史を取り入れた事業
を模索した
簡潔に述べると、上記の3つの考えから、雪割納豆の継承を行い、ゆきんこの設立に至った。
本日は、簡単に㈱ゆきんこの設立についてお話した。小さな地域で事業を継続することは大変なことである。急速な人口減少・流通構造の変化、大資本の地域への参入、上げればきりがないほど要因がある。
ただ、地域には大切にしたい風土や風景、そして文化がある。課題は山ほどあるが、ポジティブに前に進みたい。本日はこのへんで、お読み頂きありがとうございます。
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