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whyを辞めたら夫に優しくできた話

夫は謎である。

日常の家事は大得意で、料理や掃除、洗濯全て手際良くやってくれる。
シンクのゴミ袋を新しくしたり、ペットボトルのラベルを剥がして仕分けしたり…と、いわゆる「名もなき家事」もお手の物。

家事が好きでも得意でもない私は、夫氏最高!!!と毎日感謝の気持ちいっぱいで生きているのだが、そんな一見マメに見える彼は、なぜだか人から依頼されているタスクは一切無事に完了できない。

逆にどうやったらそんなにできないの?

例えば買い物。
「これと、これと、これを買ってきてね」と本人に伝え、ご丁寧にリストまで作って送ってあげてるのに、必ず何か忘れて帰ってくる。

え?なんで?どうやったら逆にそれ漏れちゃう?と完全に謎。

例えば出かける準備。
同じく超マイクロマネジメントして指示を出すものの、結果何か忘れて、家を出た30分後に「Sh●t!」と叫びだす(いや私のセリフだわ)

付き合って約10年ずっとこんな調子なので、もはや私の期待値はゼロ。
そもそも、怒りとは期待とのギャップで生まれる。期待しなければ怒りはさほど生まれない。
そう胸に決めて、日々を過ごしている。

頼むから保育園の準備だけはしてほしい

「よくキレないよね」と、周りに褒められるほど、その点に関しては我慢強い私だが、最近久々にイラッときたことがあった。

直近我が家では、毎週月曜は私が朝子どもたちを送ることになっている。
彼らが通う園では、金曜にシーツやブランケットを持ち帰り、週末洗濯して月曜に持って行くルール。

これが冬は相当に大変なのだ。
シーツ(バスタオル)が2枚、ブランケット(かなりデカい)が3枚。これに園用のジャケットや帽子…

ボストンバッグほどの大きさのバッグ2つがパンパンになってジッパーも閉められないほどの大荷物である。

加えてこれに、自分のpcやお弁当、水筒などを持参して出勤する。
次男は抱っこしないといけないので+16kgを片手で抱えるオプションまでついてくる。

土日をのんびりすごした子どもたちの機嫌も最高に不機嫌で、私が会社に遅刻しないように、ひたすら急げ!と急かされるので、子どもたちは号泣・大暴れがデフォ。

はっきり言って月曜日は、この世の地獄である。
(雨の日は本当に終了のお知らせ)

この状況を夫に説明し、頼むから金曜に子どもたちの服やオムツだけはたっぷり保育園に持っていってくれ、と懇願した。
金曜は夫が休みなので、送り迎えは彼の役割なのだ。
家から、数着子どもたちの着替えを持っていってくれればいいだけ。
月曜私がさらに荷物増やすのは本当に無理だから宜しく!!と何度も依頼した。

ちなみに「何度も」でお察しの通り、一度言ってできるようになったわけではない。
「ねぇ、前も言ったけどさ」と前置きしつつ、再依頼を2度くらいはした。

何度言ったらわかんねん


そして月曜日。日曜の夜に、念のため夫に聞いてみた。
「子どもたちの着替えは大丈夫?園にある?」
大丈夫、あるよ!と元気に返ってきて、私はついに夫が理解してくれたか…と胸をなでおろした。

そしてまた、泣き叫ぶ子どもたちと格闘しながら、やっとのことで登園して、荷物をチェックした瞬間…

は?

ないやん?

着替え、全然足りんやん?

もう私は何百回と、この無力感を味わっている。
着替えだけじゃない。
保育園ではいつも私が、先生たちに声をかけられる。

「あのー、旦那さんの方には伝えたんですが…○○の準備をそろそろお願いしたく…」(もちろん私に伝達はないし、夫も何も準備していない)

着替えが足りなくて借りた保育園の服を、自宅で洗濯してお返ししたことももはや数えきれない。
「毎度すみません…」と謝るのも私の仕事。

この前など、数日夫の送り迎えが続いた日にオムツが連日なかったらしく、月曜私が事実を聞いて平謝りした。

家庭内のことなら、まだいいのである。
でもこうして、人に迷惑をかけることは本当に私の気持ちを暗くさせる。
「私はちゃんとやってるのに、何で私が謝らなくちゃいけないの!」という気持ちもあるし「絶対我が家、適当な家だと思われてるわ」という恥ずかしさも、私のプライドをズタズタにする。

一個一個は大したことではないので、私も大事にはせず「ねぇ、お願いね」と優しく夫に話してきたが、今回はさすがにプチンと来た。

そのミスは、何が要因?

私はLINEを開き、ねえ!!!着替えいらないって言ったよね?何で何回言ってもわかってくれないの?謝るの私なんだけど!と、感情のままに送ろうとした。

だが、そこでふと我にかえった。

ちょっと待って、私が最近マネジメントで勉強したことにあったよな。こういうシーン。
メンバーの子が失敗したときに「なぜ失敗したの?」「何でできなかったの?」「何でやらないの?」とwhyで追求するのではなく、
「何が要因だったの?」「何があってそうなった?」とwhatで対話しろ…というアプローチ。

もちろん、本質的な要因を探るwhyは重要なのだが、大抵の場合人のミスや問題を咎める時は、ただそれを問い詰めるだけのwhyになりがちなのだ。

「何でやらないの!」と言われてその理由を答えたり、求めたりしているコミュニケーションは、実はあまりない。
普通は「すみません」「ごめんなさい」と上部だけの謝罪で終わる。
問い詰める方が、理由ではなく謝罪を求めていることが、言われている方もわかるからだ。

私も子どもたちに対して思わずこれをやりがちで、何かこぼしたり、汚されたりすると咄嗟に「あああ!何でそれ触ったの!!」と咄嗟に怒ってしまう。
でもこれはまさに、その理由が知りたくて言ってるわけではない。
私の怒りの気持ちを「why」に込めて圧力をかけているだけだ。

冷静になろう。
詰めても状況が改善するわけじゃない。
私は別に彼に謝ってほしいわけじゃない。

私は文章を全消しし、「昨日いらないって言われたから私は着替え持っていってないよ」とまず事実を伝えた。
そして「何が要因で忘れちゃったの?急いでた?」と聞いた。

彼から「ごめんね、こういう理由で忘れちゃって…」と帰ってきた理由は、ただの彼のチェック漏れという至極シンプルな内容だったが、私は続けてこう聞いた。

「忘れないために、あなたは何ができる?」

彼は、迎えに行った時にまずキャビネットの中をチェックするようにする…など具体的な行動をあげてくれ、私もそれはいいアイデアだね!と言いながら、平和的に会話が終了した。

怒りの先にあるもの

私は、実は元来我慢強いタイプの性格ではない。むしろ超短気で、小さなことにすぐイライラする。

だけど、気づいたのである。
キレたって自分がさらに嫌な思いをするだけだ、と。

大事なのは「問題解決」である。
私の気持ちを感情的に伝えることではなく、どうすれば事態が改善するのか?を最優先にしなければいけない。

現に私はイライラせずに夫との会話を終えられた。
その日の会話で一気に解決するとは思っていない。
また同じようなことを繰り返すだろう。

でも、根気強く私は「何が?」、そして「どうするのがいい?」と聞いてみたいと思う。

最後に…子育てはさらに試練だという話

こんなポストを書いておきつつ何なのだが、別日に私は完全にやらかして、自己嫌悪に陥った。

トイレにたどり着いていたのに、その場で大胆に漏らした長男にブチ切れたのである。

滅多に失敗もしないが、彼は今まで玄関で漏らしたり、保育園の廊下で漏らしたりと数度粗相はしてきた。
その際は、叱らずに大丈夫よーと対処できたのだが、今回は「トイレにたどり着いていたのに」あと1歩
我慢できなかったことに、思わず激昂してしまった。

もちろん、最大限頑張って間に合わなかったのならしょうがない。
そうではなく、なぜか彼は「トイレの電気つけたい」「ジャケット脱いでからしたい」といつものルーティンを守ることを優先させており「そんなこと今はどうだっていいから、先におしっこして!」と言う私の忠告を無視して漏らした。

下の子が暴れに暴れて家に帰るまでも大変で、帰宅直後まだその対応でバタバタイライラしていた私は感情を抑えられず「ねぇ、何で?何でトイレまでついてズボンも下ろしてたのに、そこで漏らすの?あと5cmでしょ?本当意味わかんない!」とキレた。

ワンオペで夫はまだまだ帰ってこない。帰ってきてから私はすぐまた仕事も始めないといけない。
ご飯も作らないといけないし、お風呂も入れないといけないのに、トイレ掃除までしろと⁉︎
次男のつんざくような鳴き声が家中に響き渡り、思考回路を破壊していく。

あ"あ"あああーーイライラするーーー!!!!!

キレちゃいけない。わかってはいるけど、疲れが溜まりすぎて感情を制御できない。

なんでよ!と散々長男にキレた後、なお止まらぬ活火山から溢れ出す溶岩のような怒りを、なけなしの理性で何とか押さえ込もうとした私は、すっかり感情の行き場を失い抜け殻のようになっていた。
そんな状態で夕食の支度をしていたところ、長男がすごすごとやってきて「マミー、ごめんなさい」とポツリと呟いた。

この一言がトリガーになって、私は我に返った。

「どうしたの」
「ママ、こわかった…」
「ママが怒ったから?」
「ウン」

ああ、もう罪悪感で消えてなくなりたい。
私はなんて徳の低い人間なんだろう。

私は全てのタスクの手を止めて、長男に謝った。

「本当にごめん、さっき怒ったのはママが100%悪かった。怖かったよね。本当にごめんね。長男くんは何も悪くないよ」

熱くハグをして、この場は終わったが、私の罪悪感はもちろん消えない。

夫やメンバーに対しては理性を優先できるが、子どもに対しては本当に難しい。
予想外の行動のオンパレードだし、イヤイヤ期の次男がいるため、理性が詰まった小瓶が、目の前でことごとく割られていく状態で対処を求められる。

でも、諦めちゃいけない。
whyではなく、whatで。
whyを聞くのは、本当にそのイシューの本質を探りたいときだけ。

起こってしまったことに腹を立てたり悔やんだりするのではなく、どうすれば改善するのかを考える。

大丈夫、私にはもう成功体験がある。
きっとできる。
私は今一度、自分に対して誓っている。

本代に使わせていただきます!!感謝!