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【ロックフェラー財団設立の歴史を分かりやすく解説‼】多種多様な分野の支配へ

母はある3つの約束をジョン・D・ロックフェラーと交わしました。

母の教えはロックフェラー家に【光】と【闇】を与えるきっかけとなる。

母からの3つの約束

・収入の10%を教会に寄付

・教会に行ったら必ず最前列へ

・教会の教えを素直に聞き牧師を悲しませない

特に【収入の10%を教会に寄付】という教えは大きな実業家となっても必ず行っていました。

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例えば100億円稼いでも10億円は教会に寄付。

これがロックフェラー財団のきっかけで、あらゆる分野の支配へと繋がる。

この章はジョン・D・ロックフェラーの慈善活動による世界的影響の史実です。

第2章

D・ロックフェラー支援で現代も影響する3機関設立

・1890年シカゴ大学の設立

・1901年、ロックフェラー医学研究所の設立

・1913年、ロックフェラー財団の創設

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シカゴ大学の設立で平等に学ぶ機会を人々へ

年齢、性別、人種、国籍とさまざまな背景と事情を持つ人達のために創設された。

これは当時では珍しく人々に【平等に学ぶ機会】を与えました。

ジョン・D・ロックフェラーの資金提供で創設したこの大学は、現在最も評価の高い教育機関の1つ。

またノーベル賞の受賞者を100名も出しています。

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化学、物理、経済と様々な分野で世界最先端の研究が行われている。

ロックフェラー医学研究所で感染症公衆衛生対策

ロックフェラー医学研究所はアメリカで最初の生物医学研究施設です。

感染症や公衆衛生の研究目的のために設立。

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化学、生物医学の分野で20人ノーベル賞の受賞者を輩出しています。

日本の【野口英夫】もロックフェラー医学研究所で黄熱病、梅毒を研究。

2021年現在はロックフェラー大学に名前を変更して続いています。

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ロックフェラー財団の創設で世界規模のNGOへ

ロックフェラー財団は【人類の福祉の増進と教育】を目的として創設された団体です。

2021年現在では【世界で最も影響力のあるNGO】と称される。

NGO 国際協力組織で非政府組織。

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ジョン・D・ロックフェラーはこの財団に、累計190億円以上の資金提供しています。

慈善活動は医療、自然、農業、芸術、社会、国際問題と多種多様。

世界中の科学者がこの財団の支援で最先端の研究を行っている。

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裏を返せばこれだけ資金提供を受けていれば、ある程度思い通りに動かせるということです。

例えば医療研究、農業に資金提供をしているので危険な農薬を作らせることも可能。

さらに農薬で病気になれば資金提供で作られた薬が売れ儲かる。

この仕組みが事実上可能なのです。

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ロックフェラー財団の支援で設立又は研究しているのは以下

・1921年、外交問題評議会

・1922年、ソ連建国
・1920年、王立国際問題研究所
・1916年、ブルッキングス研究所
・1945年、世界銀行
・1636年、ハーバード大学
・1701年、イェール大学
・1746年、プリンストン大学
・1754年、コロンビア大学 - ロシア研究所を設立
・1908年、フィリピン大学
・1829年、マギル大学
・1800年、アメリカ議会図書館
・1602年、ボドリアン図書館(オックスフォード大学)
・1938年、国立保健医療科学院(日本)
・1895年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
・1809年、リヨン大学
・1901年、モンサント (企業)

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日本も例外ではなく厚生労働省の機関である国立保健科学院設立。

この機関はロックフェラー財団の経済的援助を受けて設立されています。

上記の通り世界規模で活動し「すべての人間が平等の権利を持つ」を命題に資金提供を行った。

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・シカゴ大学

・ロックフェラー医学研究所

・ロックフェラー財団

紹介した3機関は2021年の現代でも、間違いなく世界的な影響力を持つ施設として機能しています。

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D・ロックフェラーの引退時の資産は極少数

多額の資産を保有しビジネスを引退したジョン・D・ロックフェラー。

その晩年慈善活動に多くの時間と資金を費やしました。

1937年、97歳でこの世を去った彼の手元に残ったのは極少数の資産。

生前に財産は一族に贈与し、ほとんどを息子のジョン・D・ロックフェラー2世に与えられた。

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光と闇は父母への尊敬と感謝の心で両立できた

話しをまとめて行きましょう。

子供の頃から母から教えられた奉仕の心。

アメリカ産業の頂点に立ってからも守り続けた。

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ビジネスの【闇】と奉仕の【光】どちらもさまざまな意見があります。

どちらも両親に対する尊敬と感謝の気持ちがあったからこそ両立できたのでしょう。

今となっては分からないので筆者の感想になってしまいます。

最後にジョン・D・ロックフェラーが残した言葉を紹介してこの章を閉幕。

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I was early taught to work as well as play,
My life has been one long, happy holiday;
Full of work and full of play-
I dropped the worry on the way-
And God was good to me everyday.

日本語訳

「私は早くから働くことと遊ぶことを教えられました。
私の人生は長く幸せな休日でした。
仕事と遊びでいっぱい-途中で心配事をやめました-
そして神は毎日私に親切でした。」