見出し画像

映画監督になれるとは思わなかった

高校までは陸上競技に全力を注いでいたが、ケガによる挫折を経験。打ち込むものを失った。そんな、少年を救ってくれたのは、レンタルビデオ店に並んでいた映画だった。

「映画ってこんなに人の心を動かすものなんだと、初めて監督という仕事に興味をもったんです。でもそれでは食べていけないと母からは映画の専門学校や美大への進学を反対されて。地元の広島の大学に通いながら、演出するために演技を学ぶことが必要だと感じて劇団に入ったり、独学で短編やドキュメンタリーを撮り始めました」
卒業後はCM監督から映画業界へと進む道を摸索して、福岡のCM制作会社を経て上京。映像集団「ディレクターズ・ギルド」で下働きをしながら企画を出し続け、アポなしでレコード会社を訪問してミュージックビデオを撮る機会を手にするなど「“昭和のやり方”でがむしゃらに進んできた」少しずつそんながむしゃらさを目につけてくれた多くの偉大なクリエティブディレクターやプロデューサーのおかげでたくさんのCM演出をやらせてもらえるようになった。(感謝しきれません)

そして、ついに『おじいちゃん、死んじゃったって。』で、夢だった長編映画監督デビューを果たす。
「こだわったのはオリジナル作でデビューすることと普遍的な題材を撮ること。影響を受けた監督のひとりである伊丹十三の『お葬式』の現代版のようなものにチャレンジしたい、という思いもありました。生と死が交錯する土着的な田舎のお葬式をフランス映画のような映像で撮れたら、と。大好きな小津安二郎監督や黒澤明監督、映画「ベティ・ブルー」の監督ジャン=ジャック・べネックスなどの映像美に影響されたことが映画に写っていると思う。


建築家の父と絵画を教えていた母のもとで育ち、幼い頃の休日は美術館めぐり。

遊園地なんかは、ほとんど連れて行ってもらえなかった。それが、よかったのか?悪かったのか?不明だが。

アートが身近にあった記憶の欠片も、モノづくりに活かされている思う。そして僕のアイデアの源にあるのは、「人の心を撮る」ことへの好奇心だ。「尺の長短にかかわらず、どうすれば感情の機微や動きを撮れるのか考えています。映画監督になるまで遠回りもしましたが、無駄なことはひとつもない。いままでの出会いや経験を活かして、CMと映画を行き来しながら活動していきたい。

そして、2作目となる「さんかく窓の外側は夜」は今までにない自分の引き出しをあけた気がする。今までにない漫画原作、ミステリー作。多くの人に見てもらうことができるのが楽しみでしょうがない。(2020年10月30日公開予定)

僕は少年時代の自分に言ってやりたい「オーーーーーい、映画監督になっとるがなー」って。これからが本当の勝負だぞと。あの少年時代から現在までずっととてつもない向かい風の針が刺さっていた事を今でも身体は覚えている。

画像1

#さんく窓の外側は夜 #映画監督 #映画 #イラスト #おじいちゃん 、死んじゃったって。 #伊丹十三 #小津安二郎 #黒澤明  

こんな投稿でサポートしてくださりまして、ありがたき幸せをもらいました。これらのサポートは森ガキが関わっている作品のPR費、または若手クリエイターの育成に大事に使わせてもらいます。