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創作の世界も人為と人工物に過ぎないのだから批判するべき所は批判しないと

 アーティストみたいな仕事をしていると「どんな事があっても表現の自由は守られなければならない!キリッ!」とか「あらゆる暴力・戦争に反対である!ドヤあ!」とか言っていると人気が出るんですが、そう言っている人たちの多くがセクハラモラハラパワハラが凄くて、又、社会や芸術愛好家達はそういう輩を「あれぐらい過激でアブナイヤツで社会の常識に収まらない人だからこそホンモノのアーティスト!」なんて賞賛してるんですよねえ。矛盾もいいトコです。それ、指摘して良いんですよ。アートだから特別なんて事は「全く無い!」んですから。

 「どんな事があっても表現の自由は守られなければならない」が通用するのはなんだかんだ言ってひとつの宗教的価値観の中だけの話です。その価値観の前提を逸脱しない事が前提です。あるいは、皆が許容するであろうギリギリを攻めた範囲のものです。だからその自由は実際には限定的なものです。日本人からすると西欧の芸術表現が自由、あるいは過激に観えていても西欧人の文化圏で彼ら自身が基礎的価値観の前提を逸脱してしまえば叩かれます。なので外国から観て日本が自由に観える逆パターンも良くあります。

 伝統工芸の主流を自認しているような人達がプロの後継者を育てるのを放棄してるし、工芸系の人間国宝が後継者を育成していないし、助成金をもらっているのに血族ばかりが儲かるシステムにしていたりするのもありますし(血族を跡取りにするのを否定しているのでは無く文化を外側に拡張し外部からの人材を増やす姿勢が無い事が問題)年間の作品制作数が少な過ぎるし、総合的に観てどう考えても人間国宝に値する仕事内容では無いのに、政治的な問題で人間国宝になったりして、周りは「?」となったり・・・そこ指摘したり糾弾したりして良いんですよ。

 アート界隈といっても人間のやる事に過ぎません。当たり前の視点で観ましょう。アートだから特別なものとして扱っても社会を刷新するレベルの良いものが出て来る事はありません。

 例えば国の援助を貰っていながら国を批判ではなく怨念のこもった汚らしい罵倒の表現をしたり反社会的表現をするのも「表現の自由という文言を思春期の子供のような態度で都合よく解釈すれば」自由ですが、実際にそういう環境で作品を制作し展示した場合その殆どは醜悪です。しかも何をやってもほぼ安全な日本でイキがっているのに勇敢な戦士だと自称している・・・そういう創作姿勢自体が酷くダサいしロクなもんじゃないという美意識を放棄したらその民族の文化は衰退すると思います。それは表現の自由を逸脱しているからです。それは表現の自由の誤用です。

身勝手と自由は全く違うものです。


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