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「業界人しぐさ」と「伝統に潜む麻薬」

古い業界で育った人は、若手で、その人自身に新しさがあったとしても、業界特有の悪習に染まっている事があります。染まっているまでは行かなくても、知らずその影響を受けている事があります。

仮にそれを他者から指摘されても

「身に刻み込まれているから自分が悪習に染まっていると思っていない」

「業界人という自負から、指摘してくれる人を上から目線で諭す、あるいは分かってない人に言われたくないと反発する」

・・・という反応をする事が多いです。

本当に怖いものですよ「悪習の伝統化」。

もちろん、それは本当の伝統ではなく、人々の悪習の澱の溜まったバケツに過ぎません。しかしそのバケツには「伝統」という看板が掲げてあるのです。本物よりもホンモノらしく。

例えば、ある古い業界の問題点を若手の人と話合います。この古い業界には、新しい風を吹かせなければならない、この悪習は改善しなければならない!私達が変えて行くのだ!と全く同じ見解で同意した後に普段の商いの話をすると、今まさに問題としていた「悪習」のままの事をするのです。非常に手慣れた感じで、そこに全く疑問を差し挟む事無く・・・全く自然にそうします。1秒で普段の「悪習に染まった業界人に戻ってしまう」のです。

私はその一連の行動を「業界人しぐさ」と呼びます。

ですから、常に他の業界の事などをチェックし、自分が所属する古い業界と比較し実際の立ち位置を確認し続ける必要があります。

これは、搾取する側だけでなく、搾取される側も長年の奴隷生活で「奴隷しぐさ」が身に付き、良き奴隷である事を誇りにしている人にも言える事です。

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私の経験では、長く続く慣習・・・

「一般に思われている伝統なるもの」には「当事者意識や変革への意識を鈍らせる麻薬成分がある」ように思います。その麻薬にやられないようにしなければならないと私は考えます。

その麻薬の作用によって「悪い意味で変わらない事に意欲が湧き」それを「伝統を守る事」と言い換えます。

そこには「自分や自分が所属する団体の既得権益を守る為に変えない」という意味も大きく含まれるのですが、麻薬に酩酊していて「純粋な動機で伝統文化を守っていると思い込める」のです。

これは文化でもそうですし、村や会社・・・人間の集団内では必ず起こる事です。それは本来の伝統ではありません。人間関係の間に溜まる汚泥です。

しかしその麻薬で酩酊している人からすれば(本音ではあえて酩酊しているわけですが)酩酊していない人は異質な存在で排除すべきものとなってしまいます。

皆が酩酊している場に一人素面の人間がいたら、素面の人間が狂人とされます。

本当に、良くある事です。


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