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中野ぶんちゃか通信#2

ヘッドフォンから鳴る、一十三十一(ひとみとい)という女性アーティストの、とあるアルバム最終曲は、荒井由実のカバー曲「ハッピーニューイヤー」であった。静かな、とても寒く静かな年末年始の情景と、壊れそうなほど純度の高い愛への祈りの歌。

久々のお仕事の海外出張でマヨルカ島へ向かった。

羽田からヒースローを経由し、バルセロナへ向かう16時間のフライトで、当初、本を読んだり、機内での映画を観たり、仕事のことなどを落ち着いて整理できる時間もあると、久しぶりの慣れない旅路に意気込んだが、10時間を経過する頃には、何もかも飽きた。
iPhoneのアプリケーションで音楽のサブスクリプションサービスから以前ローカルへ移し溜めた楽曲を片っ端からぼんやり聞くだけになっていた。

一十三十一のアルバムは全て持っている。彼女が好きな理由をあげるならば、他のファンもそうであろう、その歌う声の響きであり、例えるならその声は、ゆったりとした曲線をイメージさせ、言葉が音に乗車し運ばれ届く感がある。耳に届く言葉は丸みを帯びている。

そのゆったりと響く歌声が、ぼんやりとしたまどろむ気持ちに重なって、静かに染み込み始めた頃に、遠く36年前位、18、19歳の頃、この曲をカセットテープで聴いてた頃の気持ちに繋がってしまった。時間がありあまると人間の脳は過去へリダイレクトを選ぶようにプログラムされているのであろうか。

30数年前、大学生になったばかりの私は、当時の「私をスキーに連れて行って」の全国的なブームもあって、冬のシーズンはスキーに行くことが恒例であった。もちろんバイトをした僅かな資金を基に、目を皿のようにし各社主催する紙のツアーパンフレットを机に並べ、これならばと、よりよい格安ツアーを探し当てることが重要事項である。当時の学生はシーズンが始まる頃には各スキー場の積雪情報が必ず最初の話題となっていた。

そして待ちに待った当日、新宿発のツアーバスは深夜出発というこれまた、月の光も冴える寒い夜ということもあり、冒険的な気分も相まってはしゃぐ前のめりの会話もそこここに、転がるように乗り込むのであった。
バスは国道から高速道路に入ると、車内の電気もいよいよ消灯となり、眠る者も出始め落ち着きを取り戻した。窓に当たる左肩はカーテン1枚分は離れているが冷たく、予想以上に体が冷えるものだから眠れずにいる中、ウォークマンのオートリバースをセットして聴いた音楽がユーミンのアルバムであり、この楽曲が数回訪れたのであった。流れる夜景をぼんやり眺めながら聞いていた。

なんて事を思い返すと、当時はその歌の詩の感じ方が額面通りで、それはそれで、いいわーと思っていたものの、機上で聞くこのカバー楽曲は、過去からの累積された楽曲体験(とその時の状況)により印象を押し上げられ、それは過去の拙い恋愛の記憶達がサルベージされ染み入るのではないか。そういう事なのかなと結論づけたところで音楽自体聴くのをやめ、寝る事にした。     (道中は続く)

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