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③ZINE『わたしの移住歳時記』より「金目鯛」

  地元には帰らず香川で出産した。コロナ流行下だったこともあり、家族とは陣痛による入院の時点で別れなければならず、以後退院まで一度も会えなかった。難産だったこともあって、つらく寂しい孤独な出産となった。加えて、出産で尾てい骨を痛めたことから、産後二日くらいはほぼ寝たきりで、子供の世話もほとんどできなかった。この顛末はブログに詳しく書いているので、もしよろしければご覧いただきたい。

  移住先での孤独な出産は辛かったが、面白いこともあった。一番印象的だったのは、入院中ケアをしてくださった看護師さんや助産師さんたちが全員讃岐弁を話していたことだ。当たり前のことのように思われるかもしれないが、自宅では夫とほぼ「関東弁」で会話している(思いがけず方言が出るのはわたし、実家の家族と電話したり直接会ったりすると語尾に「ずら」が出始める)ので、入院中の病棟は完全に「アウェー」だった。しかし、スタッフの皆さんはそうした「言葉の壁」を心の壁にすることなく、親身に接してくださったので、尾てい骨の痛みを抱えつつも、次第に心が晴れていった。

入院中出てきた、確実に2玉はあったうどん
※本文に掲載できなかったおまけ画像

  次に印象的だったのが、入院中の献立表だ。尾てい骨痛は歩行に支障をきたすほどだったが、退院の説明を受けるためには鎮痛剤で痛みをコントロールしながら、かつ自力で指導室まで歩いていかなければない。そこで、歩行器を貸していただき、病棟の入り口まで献立表を見に行くことにした。食い意地は、いざという時に身を助ける。歩行器によりかかり、少しずつ廊下を進んで、ついに献立表の前に立った時の達成感!しかもその日のお昼が、妊娠中控えていた「金目鯛の煮付け」(水銀濃度が高いといわれているため)だと知った時の胸の高鳴りは今でも忘れられない。脳裏に浮かんだ、大きな目をした真っ赤な金目鯛の姿も。

左上が金目鯛の煮付け
※本文に掲載できなかったおまけ画像

  いよいよお昼時。お膳の蓋をひらくと、思い描いた通りの、赤い皮のついたやや小振りな金目鯛の煮付けが一切れ、皿にのせられていた。箸をつけると、赤い皮はお皿にくっつき、若干の抵抗をみせた。これまで単なる魚の一つでしかなかった金目鯛。これからは冬が来るたび、今日この日の金目鯛の煮付けのことを思い出すのだろうな、そう思いながら身をほぐしていった。こうして、金目鯛はわたしにとって特別な魚になった。

本文に使った画像ですが、この金目鯛はあまり活きがよくないですね…カラーだと一目瞭然

ZINE『わたしの移住歳時記』が完成しました。

季語をめぐるショートエッセイが60本ほど収録されています。また、これまで発表した俳句をそのところどころに添えています。

7/28の文学フリマ香川にて販売します。また、その後も様々なイベントで販売予定ですので、よろしければ手にとってみて下さい。
なお、文学フリマ終了後はこちらのサイトで通販も予定しています。


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