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家族の地方移住ストーリーにおける女性の不在について

地方移住して今年で三年目になる。


元々は田舎の出身だ。

学生時代を過ごし、正社員の仕事もあった東京のど真ん中から、田舎ではあるがちょっとした街中へ、夫の仕事の都合で移り住んだ。


こちらでの生活にはもう慣れたけれど、いまだに「地方に移り住む」ということについて時々考える。

だから、(スマホならサジェスト機能のせいもあるのだろうが)地方移住関連の情報が目に入りやすい。


例えば、無事移住先に根付き、子供も生まれ、地域の人々に支えられながら仕事に育児に励んでいる、という成功例。

古民家のリノベーション。

伝統の継承と刷新。

明るい話題は割とある。


しかし、それにツッコミが入る場合もあるし、上手くいったとは言えない例もある。

根付いたといっても仕事や育児は隣町に行ってるじゃないかという指摘を見かけたり…

地方移住の失敗例、田舎の閉鎖性や不寛容さ、移住者と地元民の間のトラブル…

光もあれば陰もあるように、地方移住にはマイナス面も当然ある。

そしてこうしたマイナス面のほうが、成功例よりも衝撃的であるがゆえに強烈な印象を残しやすい。


ただ、今回指摘したいポイントはもっと別のところにある。

移住の成功体験にせよ、失敗例にせよ、「もっとここを掘り下げてほしい」と思うところがある。


それは、家族の地方移住のキーパーソンが圧倒的に男性(夫)であることと、女性(妻)がそれに合わせ従うかたちで着いてきている点。

もっと言えば、家族の地方移住ストーリーには女性が見えない、見えにくい、いない、いないことになっている、という点だ。


従来の描き方では、男性は強い意思を持ち自らについても雄弁な能動的存在だが、女性は強い意思がなく男性の行動に対し感想を求められるのみの受動的存在に見え、生活の実際が全く見えてこない。

本当にそれでいいのだろうか。

とはいえ、我が家も一応「夫倡婦随」タイプの地方移住ではある。

夫から転職にあたり地方の求人を受けようと思うと相談された時、わたしは「面白そうじゃん、受かったら移住しちゃおう」と背中を押した。

ちょうど前職を辞めようと思っていたタイミングだったし、夫の転職が決まったことで全く縁故のない地方へ一緒に引っ越してきた。

幸い新たな友人知人にも恵まれ、こちらで生まれた子供の育児も少しずつ軌道に乗り始めてはいる。

あとは再就職さえできれば…


家族の地方移住ストーリーにおける女性不在が気になる背景に、日常生活や日本社会に対するちょっとした、もしくは「ちょっとしない」不満…例えば体力のない夫が夜中や早朝の育児に起きてくれないことや、再就職をイメージすればするほど子持ち女性が働くことへのハードルの高さを自覚させられること…があるのは否定しない。

夫への怒りを世の中の男性全般への怒りに昇華することの是非や、日本社会の仕組みへの不満を夫にぶつけることの是非について考えたこともある。

しかし、わたしが抱く違和感は、夫への不満が社会全般への不満として現れただけのもの、として片付けてしまって本当によいのだろうか。


夫の仕事の都合で地方移住した、と話すと、大抵相手は目を丸くして驚く。

環境適応力が高いんですね、好奇心旺盛なんですね、と褒められて、確かにそうかも…と、自分の新たな一面に気付かされ嬉しくもある。

ナイジョノコー、理解のある奥さん、などと言われて嬉しくない訳ではない。

でも、だからといってお手当が出る訳ではない。


自治体が用意した就職口の中から仕事を選び、自治会にも加入するならばお金をあげるよ、という制度もあったのだけれど、我が家は申請しなかった。

「骨を埋める」ような移住イメージには違和感があった。


別居婚という選択肢だってあったのだし、離婚だってあり得なくはなかった。

それを、あなただって面白がって着いてきたんだから自己責任でしょ、仕事も地方で用意してあげるって言ってるものに就職しないのならあとは自分らでなんとかして当然でしょ、郷に入っては郷に従えでしょ、と言われたらぐうの音もでない。


今のところ、わたしは夫にノコノコ着いてきた、地方に染まるようで染まりきらない奇特な配偶者であり、それ以下でもそれ以上でもないのだ。


だけど、そうなのだけれども。

夫の都合で地方移住した妻と、地方にいまだ根強い「女性は家にいるもの」「女性はフルタイムでは働かないもの」「女性は正社員にはならないもの」「育児は女性がするもの」「家計を主に支えるのは男性」という価値観は、幸か不幸か、相性よくできてしまっている。

そして地方の労働市場の側も、こうした「夫の都合でフルタイム勤務にはなり得ない妻、女性たち」の受け皿になりやすくできてしまっている。

わたしが既に地方に来てしまっているがゆえに、寡聞にして知らないだけなのだろうか…

最近、ひと頃ほど地方移住は流行らないような気はするものの…


地方移住が語られる時、なおかつ地方での子育てのしやすさが取り沙汰される時、地方移住と女性の社会的地位の低さに親和性がある点は、果たしてどれほど注目されているだろうか。


家族の理想的な地方移住ストーリー。

しかしそこで妻の日常生活や、葛藤や悩みが注目されることは、果たしてどれくらいあるだろうか。


そしてこれは単に家族の地方移住における女性の立場の問題にとどまらない。

女性が生きやすいよう社会が変わるのではなく、女性が社会に合わせて終わってしまっていることをどう考えるか。

ひいては、女性が生きるとはどういうことか、という課題にもつながってくるのではなかろうか。

自分で言うのもおかしいけれど、様々なお陰様もあって、我が家の地方移住は成功しているほうだと思う。

子供が生まれる前も後も、夫は深夜や早朝が大の苦手とはいえ、育児の共同作業者としてよくやってくれている。

だとしても…いや、だからこそ、家族の地方移住における女性の立場についての問題を考え続けたいと思っている。


受けとるだけの側でいると埋もれてしまう。

しかし、受けとるだけでなく、発信もする側、クリエイトする側であれば、様々な相互作用がうまれて、身の回りを、というよりはまず、地方社会の見え方を変えてゆける可能性がある。


まずは動くことだ。

次に新しい情報を吸収することだ。

そして孤立せぬことだ。


今日この記事を書きながら、改めて思いを新たにした。

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