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私が子育てで心に留めたいこと

私事になりますが、2022年11月末に第一子を出産しました。

どちらかというと難産の部類で身体も心もかなりのダメージを受けており、分娩時のことは今はもう思い出したくないという気持ちです。
(一方で、たっぷり時間をかけてきちんと向き合いたいという思いはあります)

うつ病を経験しているため、産後うつのリスクも普通の産婦さんより高くなっています。
(自分と家族の産後うつ防止のため、うつ病闘病中に作ったアカウントにて毎日二回、身体と心のコンディション確認の様子を公開しています。また、産後うつ予防策として私が試みている生活のヒントも呟いています。よろしければご覧ください。)

しかしかつての私もまたそうであったように、ピンチの時ほど不思議と前向きになる自分がいます。

新生活に戸惑いながらも、難産の経験からの学びに加え、新しい発見やアイデア、近い将来やってみたいことが様々に思い浮かび、今後への不安を凌ぐくらいの期待が胸の内にあります。
それらを実現すべく、今は自分のコンディションを客観的な視点から観察しつつ、一日刻み、一週間刻み、一ヶ月刻みの細切れの目標を立てて、できるだけ身体と心を休めるように心がけたいと思います。

いつもあたたかく見守って下さる皆様、本当にありがとうございます。心より御礼を申し上げます。
個別に対応ができなかった分、お返事のような気持ちでこの記事を書きました。
もしこの先行き詰まったときには、どうかあなたのお知恵をお貸しください。

以下、私がこれからの子育てで心に留めたいと思っていることを箇条書きにしました。
もし絶望的な気持ちになった時、この記事がいつでも戻ってこられる場所になることを祈りつつ。

●親として、人間として未熟者であることを自覚し、子供に教えてもらうつもりで日々を過ごすこと

これは私の実母の言葉を借りたものです。ベストセラーのタイトルのようですが「必要なことは全部子供が教えてくれる」と母。今は目の前の課題を一つずつこなすことで精一杯ですが、その積み重ねを信じます。

●子供を自分の一部や所有物としてではなく、自分とは別の人格と意思を持った一人の人間として尊重すること

私の子供は確かに私のお腹で育ち、私のお腹から出てきた訳ですが、もはや私の身体の一部ではないばかりか、私の所有物でもありません。私とは別の考え方をするかもしれないし、私が好きなものを嫌いだったり、逆に私が嫌いなものを好きだったりするかもしれません。しかしそれを私好みに矯正するとしたら、親として適切な姿勢ではないと考えます。

●周囲に察してもらうまで待つのではなく、適切に自己主張できる人間に育てること

私自身が、周囲に察して貰うのを待ち続け、また周囲の状況を察する感覚を過剰に研ぎ澄ませ続けた末、自己主張ができなくなり、結果うつ病を発症した人間です。子供には同じ轍を踏んでほしくないと強く思います。

●親の自己犠牲を過剰に肯定しすぎないこと

ある近い人から「子供が泣いたのですぐに駆けつけてあやしていたら、ストーブにかかっていたカーテン(幸い防火仕様だった)に火が燃え移り危うく火事になりかけた」という実体験を伺いました。これは極端な例ですし、子育ての経験が浅いくせに偉そうなことを言うようかもしれませんが、親が全てをかなぐり捨て子供のために駆けつけること(自己犠牲すること)で取り返しのつかない事態になるケースは少なくないのではないでしょうか。子供には子供の都合があるように、親には親の都合があります。それを忘れないようにしたいです。

●できるだけ幅広くいろんな方に関わって頂くこと

私の年齢的な問題から、私がそうであったように、おそらく子供は一人っ子になります。「一人っ子はわがまま」というような古典的言説は今やあまり信用ならないと思っていますが、だからこそ、できるだけ幅広くいろんな方(価値観)と触れ合い、子供にいろいろな選択肢を準備できる親でありたいと思います。

以前「一人っ子論の歴史~なぜバッシングされてきたのか」を自主研究、連載したことがあります(有料公開ですが無料で読める部分あり)。もしよろしければあわせてご覧ください。

●行き詰まったときには決して独りよがりにならず、また根拠や真偽不明の情報におどらされず、周囲(家族、友人知人、専門家や経験者など)の知恵と助けを借りること

今回の妊娠出産で、ネット上には溢れんばかりの情報があることを改めて学びました。それらに助けられた場面も多かったのですが、逆に一喜一憂した場面も少なくありませんでした。今は順風満帆に見えても、この先行き詰まることが必ずあると思います。その時に、抱え込んでどつぼにはまるのではなく、素直に周囲の知恵と助けを借りる方法を選べる親でありたいです。

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