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大型ショッピングモールのやさしい世界

四国に引っ越してきて三か月が経とうとしている。
おかげさまで、新天地の暮らしにも慣れ、新しい知り合いにも恵まれた。
仕事も始めれば、きっとまた違った新しい視点が生まれるのではないかと思う。

町に大分慣れてきた。
電車やバスでの移動が多いので、自分の運転する車で通る道はまだまだ知らないことだらけだが。

歩いていて印象に残るのは商店街の衰退だ。
もちろん盛り上がっている商店街もある。
老舗ながら新しい経営手法を取り入れて繁盛しているお店や、若者が経営するおしゃれな新店舗も時々見かける。
一方で、一見賑わっているかに見える通りをよく観察すると、チェーン店やブランドショップだけということも少なくないし、空き店舗も目立つ。

県庁所在地の商店街ですらこのような状況なのだから、他の町は言うまでもない。
隣町の商店街では、ほとんどの店がシャッターを下ろしていた。
そこで話を聞いたある年配女性は、現状を嘆きつつ「イオンモールができてしまったから」「瀬戸大橋を通って神戸の方のコストコに行ってしまうから」と、笑顔ではあったがどこか悔しそうに呟いていた。

学生時代、確か地理学の授業だったと思うが、イオンモールをはじめとする巨大ショッピングモール(以下「モール」と略)は、典型的な郊外、地方の景色の一つとして取り上げられていた。

客を奪う、商店街をつぶす、地域の特色をなくしてしまう、画一性の押し付けなど、郊外や地方のモールは悪の権化のようなイメージを持たれているのではないだろうか。

かく言う筆者も、地方出身でありながら、モールにはあまり良い印象を抱いていなかった。
元々、大勢の人が詰めかけ、行列を作り、大量に買い物をして去っていく、というような一日の過ごし方があまり好きではなかったからだ。

しかし、なりゆきで地方移住してきてから、地方社会におけるモールの存在がいかなる意味を持つものであるか、次第に理解するようになった。
そして自分自身も、趣味の短歌や俳句の創作の場として、吟行の目的地としてのモールに興味を持っている。

なぜモールにはこんなにも多くの人が集まるのか。
専門論考は豊富にあると思われるが、ここでは私なりの視点を書いてみようと思う。

私のモールの楽しみ方

私がモールを訪れる時は、電車やバスなどの公共交通機関で向かう。
(一人での運転にはまだ自信がないので車は使わない。なので、公共交通機関で行けない中規模モールにはまだ訪れていない。)
必ず持っていくのが、水筒の飲み物、本、メモ帳、筆記用具である。
モールの中は広い。
まずはフロアマップを見て、どんな構造なのか、どんなお店があるか、レストランや喫茶はあるかを見て、全体像を把握する。
そのあとで店内を自由に歩き回る。気になるお店には入ってみる。
少し疲れたら、居心地の良さそうな場所にあるソファーに腰かけ、飲み物を飲んだり、読書をしたり、思いついたことをメモにとったりする。
モールの無料Wi-Fiを使えば映画や音楽などのダウンロードコンテンツも通信料を気にせず楽しめる。(ただしこれはあまりやったことがない)
それにも飽きたら、人間模様を観察してもいいし、再びモールの中をふらふらと歩きまわってもよい。
お腹が空いたら食事を取る場所もある。(ただしモール内のフードコートは商店街の食事よりもかなり割高なので注意しなくてはならない)
疲れたら、公共交通機関の時刻を調べて帰る。
食事を取ってから、あるいは簡単なものを持参して行けば、全くお金を使わずに過ごすことも可能だろう。

地方社会におけるモール

●雨に濡れずに済む

この原稿を書いている今、四国は観測史上最も早い梅雨入りをした梅雨の真っ最中である。しとしとと雨の降るじめじめした毎日が続き、何となく憂うつで、外へ出るのには思い切りが必要だ。しかしモールであれば、食品、日用品、洋服、書籍などを、雨に濡れずに一つの建物の中で購入することができる。私が「モール吟行」を提唱しているのも、天候に左右されないことが大きな魅力の一つだからである。

●椅子が沢山ある


モール内に置かれた椅子は重要なアイテムだ。
現在は感染症対策のために利用制限、一部撤去などがなされているが、それでも完全撤去はされていない。
椅子があると様々な人にとって便利である。
例えば、お年寄りや小さな子供の休憩スペースとして使うことができる。
体力に自信がない人にとってもありがたい場所だ。
また、特に買い物をしに来たわけではないが、それでもモールを必要とする人たちの「居場所」としても機能しているように思われる。
例えば、平日のモールの椅子では、60~70代くらいの男性がソファーに座って休んでいるのをよく見かける。
買い物中のお連れ合いを待っていると思しき人もいるが、多くは、家ではない場所で時間を潰したいとか、会社の外回りの休憩とか、そういう目的での利用者のように見受けられる。
私自身、病気休職中に「居場所」の大切さをしみじみと感じた一人である。
確かに喫茶店は居場所の一つだったが、いつも喫茶店では飽きてしまうしお金もかかる。
特にお金を掛けず、ただ座っていられるだけの、公園のベンチや町中のちょっとした椅子は非常にありがたいものなのだ。

●モール外よりも安全である


モールの中では子供連れのお母さん、お父さんたちをよく見かける。
モールの外に出てしまったら話は別だが、モールの中にいる限りは、子供が走り回ったり、転んだりしても、車にひかれたり、危険な突起に頭をぶつけたりというリスクは少ない。
例え大きな声を出したり、泣き出したりしたとしても、フロアが広ければ移動できるし、子供の気をそらせることのできるものが溢れている。
特に感染症流行下では、大きな公園が閉鎖されているため、子供が安全に歩き回ることの場所は限られているので、モールは代わりの場所といえるのではないか。
ただし、子供がお年寄りと衝突して転倒、お互いが怪我をしてしまうという事態は想像できるし、子供にとって魅力のある商品が多すぎて欲しがり、かえってぐずってしまうなど、難しい点があることも否定できない。

●ベビーカーや車椅子の移動がしやすい


ご家族と思しき女性が高齢の男性の車椅子を押して、一緒に楽しそうに買い物をしている光景を見かけた。
モール内は通路がかなり広く確保されているので、ベビーカーや車いすなどの少し幅を取る乗り物も移動が容易だ。
モール内なら雨や安全の心配をしなくて済むだけでなく、多目的トイレやおむつ替えシート、広い食事の場所も用意されているので、一日安心して過ごすことができる。

●東京とほぼ同じ商品が手に入る


例えば新宿のルミネの中にあるお店と同じチェーン店がモールにも入っている。
スターバックス、カルディーコーヒーなど、東京暮らしをしていたころと同じ商品が手に入る。
お気に入りの商品は新生活を元気づける格好のアイテムだ。
しかし、チェーン店の品物は地方でも同じ値段だ。最低賃金が低い地方で購入すると、少し損をしているような気分になる。

やさしい世界


ここまで見てきたように、モールは、社会的弱者に対し、おおむねやさしく作られている。
モールを一歩出れば、弱者にとって辛い世界が広がっている。
モールは理想的で温かい場所。
そうあって欲しい。
だからこそ、モールに掲示されている「お客様のお叱りの声」は厳しいものが多いのではないだろうか。

絶対的強者でなければモールを敵視できない、というのが、ここまでまとめてきて感じたことだ。
悪天候の中でも自由に移動できるだけの体力と健康に恵まれていること、車いすやベビーカーでの移動の必要がないこと、他に安心できる居場所があること、東京と地方を自由に行き来できるだけの慣れや土地勘、そしてお金があること。

モールの外で、モールよりもやさしい世界を、私たちは作ることができるだろうか。

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