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「 怒り 」をごまかすと③     過去と今が入り混じる

これはの続きです。
そして しんどい頃を回想中。


「 愛 = 自己犠牲 」


相手の期待に応える。
これ違うかも・・と思っても
嫌だなぁ・・と思っても
多少のガマンは潤滑油だと言い聞かせ

勝手に自己犠牲して
「あなたが満足したのなら 次は私を満たしてよ!」と
子どもの頃の小さい私が
私の中で暴れる。

発作が起きる。

思考が止まり、動悸がして
私を見てよ!
頑張ったら愛されるんでしょ!
こんなに頑張ってるのに!
なんで誰も認めてくれないの!

悲しさやさみしさ
恐れ、不安

怒りになって発作が起きる

我が子が小さい時
その発作を
子どもにぶつけたこともあった

怯える子どもの様子が
全身で私を責めているように感じて
もっと苦しくなったりもした

最悪な状況も渦中にいると気づけない


"誰か"に認められたかった
"誰か"に愛されたかった


「頑張れば認められる」
「ごきげんで居なければ愛されない」
「相手の期待に応えることで居場所が用意される」

思うようにならない子育てを通して
抑え込んできた想いが入り混じって
私は怒っていた。


勝手かもしれないけど、
報われない私をかわいそうな人にして、
見返りをくれない相手を悪者にして、
悲しんで、悔しんで、叫んで、
怒り散らしたかった。

気づいたら過去と繋がってきて

本当は
あの頃(ひとつ前の記事)の両親に
「ケンカやめてよ!」って
嫌だよーの気持ちを乗せて怒りたかった。

小さいころからよく泣いていたけど
「いつまでも泣くな!」じゃなくて
堂々と泣かせてほしかった。

大事にされていることは感じるけど
心配のあまりに、不安を煽るような愛情に
「応援してよ!怖がらせないで!」って言いたかった。

頑張らなくてもいい私でいさせてよ!
仲の悪い両親と祖母にビクビクしてたんだよ!
ホッとできる家が良かった!

私が本当に認めてほしいのは
愛してほしいのは、親だった。

思考であの頃の両親に寄り添うことは十分にしてきたと思う。
思い出すあの頃の両親に寄り添うことはできる。

けど、あの頃の私の感情を癒すのとは別だった。

だから私は
私のために「怒り」を感じる。
怒りを感じるのも、私への愛。

「怒りを感じていい」
そう決めたら、
喉の苦しさが緩まって
肩の力が抜けて
体があったかくなっていくのを感じた

私は大丈夫。


怒っていい。
誰かにぶつけるのではなく、
感じて 出していく


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