”書く”で見えたこと。

 オチなどないよ。

 最近つけぺんを買った。
 つけぺんとは、漫画を描く際に使われるGペンと同じで先端にインクを付けて書くための筆記用具だ。それを知ったのも買う直前くらいの話だけど。
 本当に突然の思い付きだった。Youtubeでいつか見た、ノートに綺麗なインクで書く映え動画を思い出し、なんとはなしに文具屋に行って試し書きをして買った。インクも4色、MDノートも併せて買った。こういう何かを始める時は一気に揃えてしまうのが自分の欠点だと思う。飽きるのも早いくせに入口を立派にしてしまう。

 とにかく、突然買って突然ノートに書き散らしてみた。これがとても面白いと感じた。万年筆のような書き心地で、黒でないインクで何でもないようなことを書く。そうして書いていくうちにいろいろ感情がまとまっていくのを感じていた。あっちこっちに散らばっていたベクトル付きの思いを手書きすることで動きを抑えるような。紙に押し付けてそのまま溶かすような。そんな感覚だった。

 それに加えて、なんとなく落ち着いてくるような感覚も覚えた。書写のときの気持ち……とはまぁ違うんだろうけど、とにかくそんな感じ。こんな感覚は学生時代には無かったように思う。多分社会人になってから手でものを書く経験が圧倒的に薄れるから、それの反動かもしれない。その日から1日1回はなにかしら手書きでものを書くようにしている。

 書いているうちに気づいたことがある。それは「書く内容は自分の知る限りの言葉でしかない」ということだった。何を当たり前のことを、と思うだろうが僕にとっては大変ショックなことだった。言いかえれば「自分の書きたいことが自分の言葉で表せない」のと同義だからだ。何を当たり前のことを。

 でもちょっと考えてみてほしい。自分の感情や思いや身の回り環境世の中のことを言葉で表すことができないと思うと、これはとんでもなく怖いことではないだろうか。なにせ頭でわかっているつもりのことが限られた語彙の中でしか表現できず、その表現も稚拙で回りくどいんだろうと自分で気づいてしまうのだから。この恐ろしさすらこんな平易な言葉でしか表現できないのだから自分がいかに頭が悪いのか認識させられてしまう。

 「本当に頭が良い人」とはどんな人かという定義はたくさんあるだろうが、僕個人的には「相手に分かるように言語化できる人」が条件であると思っている。解説やお悩み相談で有名な人、話が上手い人は答えに対し、それを相手に分かるよう比喩や言い回しを絶妙にして伝える術と語彙を持っている人ではないだろうか。「すごい、この人は僕の感情や思いを代弁してくれている」と共感できる人は、おそらく僕とその人が全く同じものを見ても、僕より上手くそれを他人に伝えることができる。悔しいほどに。

 話を戻すと、僕は自分の知っている語彙でしか世の中を表現できないことに恐怖を覚えた。悔しい、悲しい、なんて矮小なんだと。
 それらの恐怖や感情に対しても、小学生レベルの単語と文章でしかここに記せない。この泥沼から這いずり出るための対策は何かといえば、インプットとアウトプットなのだろう。つまりは、「本読め」と「書け」である。
 もうこの年まで読書の習慣がないと、何を読めばいいのかまーったくわからんといったかんぜんにふりきれたかんじょうになってしまう。ミステリと自己啓発本でないことだけは分かるが、どの本を読み、どのようにアウトプットすれば僕の憧れるあの人やこの人のような文章や考え方ができるのか不思議でならない。ここから先どうするかはまだ思い浮かんでないのでこの辺で終わりにする。

 最後に。
 家長むぎさんをご存じだろうか。にじさんじのライバーで、デビューも初期のメンバーである。ライバーの配信はよく見るが、コラボや切り抜きでもあまり見かけることはなく、正直今まで存在は知ってても全然観ないライバーの一人だった。
 しかし、つけペンを買ったのと同時期ぐらいでYoutubeのおススメに上がってきた切り抜きを観て僕の考えは一変した。お悩み相談をしていたのだがその回答があまりにも的確かつ語彙と話し方に優れたものだった。ひと聞きしただけで壮大な本から得た知識量と頭脳明晰ぶりを感じることができた。noteも読んだがもうとんでもない。すごい(語彙の限界)。
 人にどう刺さるかは読んでみないと本当に分からないと思うので、ぜひ一読をおすすめしたい。少なくとも僕にとってはとても価値のある文章だった。


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