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「大人になっちゃう」

先日、恋人の誕生日があった。
27歳を迎えた彼に、私は子供じみた口調でこう囁いた。
「大人になっちゃう」

「もう大人6年もやってるでしょ」と彼は笑って、私の頭をくしゃくしゃ撫でる。
10代の自分が見ていたら、もうお互い十分大人な筈だった。
それでも私は、大人になれていないとずっと強く思い続けている。

こう思う原因のメインは、私は今でも若さや幼さ・可愛げといったものに甘えて生きてしまっていることなんだと思う。
"可愛い主婦"、"可愛いお母さん"、"可愛いおばあちゃん"、はいるし、私はそれを目指したい。
それでも私の中にあるその"可愛い"をつけても違和感ない"大人"と、今の自分の現状は一致していない。

私が若さに甘えていると感じることは、こんな風だ。
社会人として、年次が低いからできなくてもフォローしてもらえる。
見た目が幼いから相手からの尺度を甘めにしてもらえている。
できないことを許容してもらっている。
場を仕切れないことを手助けしてもらっている。
自分から話しかけられなくても立場が上の人から話しかけてもらえる。
要は、若さを隠れ蓑にできないことや未熟な部分を助けてもらっている自分が子供過ぎて、そしてそれはこのまま過ごしていても隠れ蓑がどんどんなくなっていくだけで出来るようにはならない、そのことへの不安が若さへの甘えだった。

大人になることは、形式的には簡単だ。
時間が経てば勝手に歳は取るし、見た目年齢だって勝手にそうなっていく。
だけど内面的には、自分で考えて掴みとっていかないと少しも大人になれない。
できないことを許してもらえる時間のうちに、どれだけできないことをできるようになれるか、それが明らかになっていくのが大人になっていくことで、そのことへの不安が歳を重ねることへの不安なのだろう。

大人になることは、止めることができない。
止めることができないなら、大人になるしかない。
大人になることへの恐怖をとっくに大人になっている今語るくらい、大人という響きの持つ魔力は強力だ。

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