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猫と毛布と私。

うつ状態と診断されてから、約4ヶ月が過ぎた。
症状が顕れはじめてから換算すると、恐らく半年経過したことになるのだろう。

なにをするにも、この日本では、年月の経過を四季という身に染みた風景から感じとれてしまう。
今までそれは、とても豊かで、幸せなことであると感じてきた。

けれども、いまは少し違う。
心があの夏に取り残されているのだ。それ故に、鰯雲を見上げても、赤く色付き落ちていった葉をみても他人事に思えるときがある。
季節だけが進んでいく、感覚。
周りから取り残されていく、感覚。

これは、とても苦い。

ときに、季節は秋と冬の狭間。
息苦しさからの解放を求めて、私は都会から田舎にいる婚約者のもとへ身一つで引っ越した。
そこには、私たちが飼っている猫がいる。

猫からすれば、私など、
新入りの大きな猫のようなものなのだろう。
泣いていれば顔を覗き込みにきて、疲れているときにはそっと近づいてきて添い寝をしてくれる。
そして、私が泣き疲れて寝たのを確認した後、自分のお気に入りスペースに戻っていく、らしい。
時には、背筋と尻尾をピンとのばしてついて来いと合図もする。
世話のやける新入りで誠に申し訳ない限りだが、
まさに、頼れるアニキだ。

故に、私は彼を師匠と呼んでいる。

仕事を休んで治療に専念することを対外的に宣言してから、少しずつではあるが着実に快方へ向かいつつある。

鬱病やうつ状態の人に対する世間の見方はどう在るのか。
私には分からない。

けれども、かつての私なら、私のような人たちに進んで関わろうとはしなかったはずだ。
どう関わればいいか、どういう言葉を交わせばいいか、よく分からなかったというのが正直なところだ。

今ではどういう状況が、その人を追い込んでしまうのか身体が知っている。
だからこそ、これを乗り越えることに価値がある。

私は、うつ状態になるまでの経緯について後悔している。ひとりの社会人として、体調管理ができなかったという一点について、だ。

しかし、なった後の行動については全く後悔していないし、恥じていない。
私という個人を、気遣ってくれる人が周りにいること。
私という患者が、病気について周知できること。
私が私自身と、いま一度向き合えること。
良かったことだって、ちゃんとここに在る。

今という時間は戦略的な小休止期間として、
次のステップへ上がる為の大事な時間にしたい。

だからこそ今は、
猫のように、気ままに。
猫のように、感情に素直に。
猫のように、自分にも他人にも優しく。

師匠の弟子として、
背中を見ながら成長していこうと思っている。

まずは、
師匠の大好きな、柔らかい毛布をたくさん敷き詰めて。