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得意なことやればいいじゃん

Yukiです。

米国トランプ大統領就任に端を発して、米中貿易戦争に代表される自国中心主義、保護貿易が世界に広がっています。

商社で日々貿易をしている私としても保護貿易で大きな逆風を受けています。
でも国単位の通商政策は私個人がどうこう言ってもトランプ大統領の政策を変えられるようなレベルの話ではないので、厳しい環境の中ですが文句もほどほどに、変化に対応しながら頑張っていくしかないですね。

ただ、何故このような保護貿易の台頭が政治的に認められていったのでしょうか。
それは経済学を少しでも学んだ人であるならば聞いたことがあるであろう「比較優位の原理」がみんなに浸透していないからではないかな、なんて考えています。
であれば、少しでもその考え方をNoteに書いて、読んでくださった方の行動が変わればちょっとでも皆さんの周りが豊かになるんじゃないかなーと思い、シェアさせていただきます。

「比較優位の原理」は、簡単に言ってしまえば、「自分の得意な分野に特化して、他は他人と交易した方が、経済全体としては良い」といった感じでしょうか。
ここでいう「得意」とは「一定の成果を出す為に費やす機会費用が他の人より比較的小さい」ということです。

例えば、有名な例として「弁護士と秘書」の例があります。
とある有能な弁護士Aは弁護士業のみならず、タイピングが得意だとします。
秘書Bは弁護士業は全くできず、タイピングはそこそこだか、その弁護士Aより遅いとします。
この場合、タイピングを弁護士Aがやる方がタイピングに掛かる時間は少ないですが、弁護士Aがタイピングをするためには弁護士報酬を得る機会を失うことになり、とてつもなく機会費用が掛かることになります。よって、タイピングの機会費用が低い秘書を雇ってタイピングを任せる方が、秘書に給料を払ったとしてもこの弁護士事務所の収入は上がる、というわけです。

これって、当たり前のように思えて、中々普段できていないケース、目にしませんか?例えばこんなケースです。

①「自分でやった方が早い」、といつまでも人に仕事を振れないマネージャー
→人に仕事を振って、自分はより付加価値の高い仕事やマネジメントに集中すべき  
②優秀な部下にばかり仕事を振ってしまうマネージャー
→優秀な部下の機会費用は高い。まだ機会費用の少ない他の部下に任せられる仕事は任せるべき
③誰かと自分を比較して、何をするにも人より時間が掛かってしまい、自分の存在価値を見失う
→自分の中で得意なことに集中すれば、そのサービスをお金を払ってでも欲しがる人はいるはず。(今はココナラみたいなスキルシェアのサービスもありますし!)

「比較優位の原理」に基づく自由貿易は、元株式ブローカーから経済学者になったデービッド・リカードが1817年に発表して以来、意見が対立しがちな経済学者の間でも、ほぼ皆一致して現在まで支持されているものです。普遍的な原理と言えるのではないでしょうか。

簡単に世界を変えることはできなくても、世界情勢、遠い過去の経済学者に思いを馳せながら、目の前の生活ちょっと変えてみませんか?

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