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【就学期】祖父母による虐待~不登校の双子

【就学期】祖父母による虐待~不登校の双子

この時期になるとおぼろげながら記憶がある。

自分でもシャイで大人しかった子どもだったように思う。

美術の時間に「宇宙は何色ですか」という質問を、先生にずっとできないままでいた記憶がある。

しかし、何色かわからないまま描いたカラフルな宇宙で、虹の下をカブトムシが飛ぶ絵が何故か入賞した。

朝礼で表彰台に登った時もやっぱり恥ずかしかった。

まともに校長先生の顔も見られなかった。

そして、わりと女の子にモテていた。

目がクリっとしている比較的可愛らしい外見であったのと、シャイな性格が周囲にミステリアスであると勘違いさせたせいだと思う。

バレンタインにはチョコを複数もらっていたし、女の子を連れて下校していた記憶がある。

これは送った方がよいのではと直感的に感じた場面では女の子をわざわざ家まで送り届けたり、ある一面では憎いほどませた子どもだった。

そんな輝かしい思い出とは裏腹に、4~7歳まで、私と弟は祖父母による虐待を経験した。

一言で虐待といってもわかりにくいと思うので、ジャンルで分けると、心理的・身体的なものになるだろう。

といってもあまり具体的ではないので、内容としては、「バカ・死ね・出ていけ」など暴言の日常的な発言、理不尽な理由での顔面ビンタ、何時間にも感じられるほど手を洗わされる(祖父が重度の強迫神経症であった)、通学以外での外出の禁止(友達との約束を勝手に断わるなど、これが一番辛かった)などである。

さすがに愛していただけるはずの身内に頻繁に罵られ続けると、幼いながらに自分が無価値に感じてしまう瞬間が多々あり、弟にいたってはその歳で二階の窓から飛び降りようとするなど自殺未遂まがいの行為をしたこともある(もっともこの程度で死ねる訳ないが)。

母はそんな息子たちを見かねて、実家を出て三人で暮らすことを決めた。

と同時に小学校2年生にして、我々双子は不登校になった。

なぜ学校に行かなくていいのかあまりよく分からなかったし、弟とマンションの自室で慎ましく、時に無気力に過ごしていた記憶がある。

そういえば余談だが、ペットのミドリガメを飼い始めたのもこの頃からか。そのミドリガメは後にタフィという名前を授かり、そして条件付特定外来生物となる。

言わずもがな名前は野球選手のタフィ・ローズに由来する。

今もまだ存命であるから感慨深い。

子どもだけで留守をしていた時に、タフィにガサガサと音を立てられるのが怖かったものだ。

しかし、その記憶はあまりない。

母がベビーシッターを雇ったからだろう。

借金をしてまで。

今思えば、母には最初から終わりが来る生活であることはわかっていたのではないか。

わかっていてなお、できる限り限られた時間の中で息子たちを守ろうとしたのではないか。

そう思えてならない。

カウンセラーにも訪問に来てもらっていた。

訪問といっても家で話をしたりするのではなく、遊園地に連れ出してくれるなど子どもらしいことをさせてくれた。

遠方から来てもらっていたため、高速代が高くつき、カウンセリングの報酬と相殺されてほぼボランティアのような活動であったらしい。

そのカウンセラーは、3歳以降音信不通の父親よりもよっぽど父親らしく感じられて、薄っすらと憧れに似た感情を抱いていた。

加えてこの時期に良い思い出として残っているのは、叔父さんや叔母さんに旅行に連れて行ってもらい、従姉弟と遊んだ思い出だ。

一昨年参加した従妹の結婚式で見た彼女は本当に綺麗だったし、従弟の方は大学を出て自分のやりたいことを追及している姿が眩しかった。

つづく。

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