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「絶滅のレクイエム」 SF短編


 恒星間に横たわる膨大な距離は、むしろ有り難きことなのだ。
      カール・セーガン(1934〜1996)


 セーガンは語っている。
 あと少しでも人々が暴力的かつ短絡的で、無知で身勝手になりゆけば、我々は自滅し、間違いなく未来はないだろうと。
 他の惑星に移住できるくらい発展する頃には、人類は変化を遂げているはず。それは我々に似た新たな別の種で、より強く、欠点も少なくなった者たち。より自信に満ちあふれ、先見の明があり、高い能力を備え、賢明で、我々が誇れるような人々。
 互いに引き離されている生命体と惑星間の距離を縮めるのは、健全な自己認識と判断力を持ち、安全に航行できる者だけなのだと。


「絶滅のレクイエム」


 そして22世紀も半ばを迎える頃には、人類は進化していた。
 カール・セーガンの予言どおり。
 宇宙全体に誇れる素晴らしい精神を持つ種となりゆくことで、晴れて他の星系を訪れる権利を得られたのだ。

 最新鋭の恒星間宇宙ロケットは、反物質の効果的な応用を得て、想像を超えた宇宙の彼方への航行が実現した。そしてその余波により、時間の移動すらも可能となる。
 恒星間移動も、タイムトラベルも、試行錯誤の初期段階ではあったが、人類には限りない未来の展望が拡がりつつあった。

 しかし天変地異となると話は別。自然は容赦しなかった。

 直径10kmの巨大隕石が衝突コースで地球へ迫り来ると判明したのは、2年前のこと。
 およそ6550万年前に恐竜を絶滅させるきっかけとなった隕石「チクシュルーブ衝突体」と同等の規模である。

 中世代、恐竜は姿や生態も多様性に満ち、巨大で、殆どがリスほどの大きさの哺乳類を完全に圧倒していた。1億5千年もの間、繁栄し続けてきた恐竜の世界は、しかしある日を境に激変する。
 直径10kmの隕石が推定速度20kmの秒速で、現在のメキシコ、ユカタン半島の北端に衝突。
 高さ数キロの火柱が立ち上り、高熱により水分は蒸発、溶けた岩石の層は深さ数キロにも及び、直径180kmのクレーターが形成された。爆心地の衝撃波、大陸を襲う巨大津波、一帯の地中に大量に含まれていた石灰岩と硫酸岩塩が大気圏を超える高さまで吹き飛ばされる。粉塵は降り注ぐ際に高熱を発し、真っ赤な溶岩のじゅうたんに空全体が覆われるかのよう。地上の温度は260°まで上昇、地上の森林の半分は焼き尽くされ、地球全体が地獄と化す。陸上の生物の多くが、僅か数時間で死滅した。
 灼熱の後は、強い酸性雨が1年ほど断続的に降り続き、日光は遮断され、闇に包まれた地球の温度は低下し、光合成もストップ。生態系は壊滅的ダメージを受ける。

 そして恐竜はこの世から消え去った。

 僅かに生きながらえた哺乳類の子孫から、やがて人類が誕生する。
 恐竜の支配が続いていた限り人類誕生の可能性はかなり低く、仮に何らかの知的生物が誕生したとしても、我々とは生態も異なるタイプで、当然歴史も変わっていたであろう。


 当時の大きさと速度も同等と推定される隕石が、地球への衝突コースをとっている。

 しかし壊滅レベルは落下地点の状況にも大きく左右される為、大量の石灰岩と硫酸岩塩という爆心地の地質が最悪だったせいで恐竜らの命運が尽きたように、当時と同様の悲劇が起こる確率は、およそ 10%程度と算出されていた。
 大洋の真ん中に落下した際などは、大きな津波すら生まれないほど衝撃は水中に吸収され、被害は殆どないだろう。
 それでも都市に落ちれば間違いなく広範囲に渡っての壊滅的な大規模災害となるし、犠牲は最小限に抑えねばならない。目下のところ落下地点の予測はつかず、大前提は隕石を地球に衝突させないこと。

 即座にありとあらゆる対策が講じられる。しかし爆破による破壊といった非常に危険かつ愚かな方法ではなく、あくまでも軌道の変化が目的とされた。

 自転しながら高速移動している隕石の、太陽に熱せられた部分が陰に入ると、熱が放射され、公転軌道に僅かなズレが生じる。このヤルコフスキー効果を利用し、隕石表面に太陽光の吸収率アップを促すべく、黒や白い塗料を吹きつける方法。
 衝突機による、破壊しない程度の軌道を逸らすちょい当たり。
 もう少し過激に、小さめの小惑星から少しずつ大きめサイズに衝突させていき、やがては大きな小惑星の体当たりで軌道を変化させるビリヤード方式。
 隕石の間近で核爆弾を爆破させ、中性子エネルギーを内部に入り込ませ、表面の層を吹き飛ばす作戦。衝撃は浅く広範囲に渡る為、全体の分裂は抑えられる。
 スーパーレーザー。ロボット宇宙船から従来のレーザーの何千倍も強力な、波長の短いスーパーパルスを断続的に発射する。隕石表面の物質を少しずつ飛び散らせ、調整しながら長期間に渡り発射し続けることで、隕石の方向を誘導する方法。
 ソーラーセイルは、太陽光を巨大な反射幕に集め、隕石に照射。高熱による蒸発の作用で地表から物質が噴出する勢いで、軌道の変化を促しゆく。
 これは最も安全で効果的な方法であったはずだが、隕石から吹き飛ばされたチリがソーラーパネルの反射幕を損傷させ、あえなくおじゃん。

 他のいずれも努力虚しく、直径10キロという隕石の規模が大き過ぎて、結局は何の効果も得られずじまい。

 その隕石にはドイツ語やラテン語などで、破壊や破滅を意味する「ルーイン」という不吉な呼び名が付けられた。

 月面や、テラフォーミング化されつつある火星に試験的に移住していた開拓者らは、もはや地球には戻れまいと覚悟する。
 地球の地下には、何万人もの幸運な人々が数年間は生き延びられる巨大シェルターが建造された。
 遥かな宇宙に向けては、まだ開発途上であった恒星間移動用の宇宙ロケットが既に数台出航していた。

 反物質作用を利用して時空を超え行く宇宙船。

 想像を超えた遥かな空間をジャンプできるばかりか、時間までも超越することが可能なのだ。スペースジャンプと、タイムジャンプは、一度の航行で、各々一度きり。つまり完全なる片道切符。

 
 反物質を利用した莫大なエネルギー作用による航法は、あまりにも移動距離が大きすぎ、故にジャンプ先に広がる空間や時代を把握できるのは、宇宙船に乗った当事者だけ。通信可能な太陽系圏内から飛び出してしまう為、連絡の手段がないのだ。残された者は、船の行方どころか、スペースジャンプが成功したか否かすら知る由もない。

 タイムジャンプもまたしかり。「未来」という方向だけは定められるものの、どのくらい先にジャンプしたか、数年か、何百年か、何億年か? 宇宙船に乗っている当人らしか、あるいは当人自身らも分からないかも知れなかった。
 過去にタイムトリップしたならば、何かしらの手がかりを残すことはできるであろう。しかし、開発案の段階で、タイムパラドックスを引き起こす可能性のある過去へのトリップは、国際法で全面禁止される。

 歴史を変えることなど、あってはならないのだ。決して。

 宇宙船「エンデュアランス号」は、地球に残された最後の一隻となっていた。

 地上壊滅に備えての、宇宙への希望を乗せた方舟として、「ファンタジーでも良いので」と、世界中の子どもたちから地球を救う案が募られる。
 それは単に奇抜なアイディアを得る為だけではなく、有能なクルーとして、人類が滅亡した際の僅かな希望の種となりゆくであろう主に若い世代で構成される、「方舟」に乗船する僅かな候補者を選抜する目的ともされた。
 全世界の学校単位、あるいは個人による論文応募で、選考は人工知能ではなく、人間の手によって、厳正に。



 
「夢を見たんだ。反物質の」

 エンデュアランス号が魔の隕石ルーインに向けて地球を離れ、10日が経過していた。

 最年少の乗組員、9才のサトルと、2つ年上のカイナが、朝食の席で小声で話している。
「ぼくと反ぼく、つまり反サトルね。反物質の自分とご対面ってわけさ」
「そしたら消えちゃうんじゃないの?」
 興味深けにカイナが身を乗り出した。彼女はホログラム効果を駆使して創る、空間イリュージョンが専門だ。共用のフリースペースでも、個々のスリープカプセル内でも、果てしなく広がる空間に心を委ねられる装置を開発している。
「物資と反物質が出会ったら、その瞬間に消滅しちゃうでしょ。それか、大爆発か」
「触れてないから大丈夫」
 そう言うサトルは、人間の精神という曖昧なジャンルでの能力を見込まれてクルーに採用されていた。
「反自分って、どんなだった?」
 カイナに聞かれ、サトルは雲をつかむような感覚で夢の世界を思い起こす。
 温かな感じではなかった。ちょっと冷たい感じ。それは反カイナも同じだった。
「実は反カイナも居たんだ」
「反あたし? どんな? 本物のあたしと違ってた?」

 厳密に言えば、どっちも本物のはずだけどね、と前置きしてから、サトルは照れくさそうにそっぽを向いてさらりと答えた。
「ん〜、まあ、可愛いかったよ」
「まあって、何よ」
 カイナはぷうっとむくれて見せる。

 進化した新種の人類とはいえ、こうした微笑ましい冗談や、ちょっとしたからかい、たわいも無いやり取りは日常的に交わされていた。穏やかながらもユーモア感覚は失われていないのだ。

 本物の——どちらも本物には違いないし、夢の存在だから実在はしてないわけだが——カイナが、ふんわりトーンに包まれて、すご〜く可愛いかったなんて、ご丁寧に言うこともない。と、サトルは口を結んだ。
 これから先ずっと、果てしなく続くであろう長い航海で、生涯を共にすることになりそうな仲間に、そんなこと、軽々しく口にしてはいけないのだ。
 そして反カイナが、少し怖いイメージだったなんて、わざわざ告げる必要もないと、サトルは無意識に判断していた。実は夢の反サトルも、どこかちぐはぐで、にこやかな笑みの背後に「隙あらば消してやる」みたいなライバル心が隠れているように感じてしまったので。

 それは後年、「人新類」と分類される、この時代の穏やかな種族には中々理解できない感覚だった。
 敵意といったものは、野生動物の縄張り争いや生きるか死ぬかの弱肉強食の世界、往年の文学や映画などで垣間見られるだけなので。悪質なホラー系は勿論のこと、崇高な戦争ものでも残酷描写のある類は規制されるまでもなく自然と遠避けられていく。現実世界でも故意による殺傷は消え去り、残虐な概念も存在しなくなる。互いが互いを認め合い、尊重し、怒りや嫉妬、恨みや憎しみといった負の感情も自然と消え去りゆく。

 神の存在を信じている者に約束された楽園の世界。
 その日が訪れるのをひたすら信じて待つのではなく、そうしたパラダイスが理想であるなら、自らが築き上げるべきではないか。我々が意識さえ改めれば、それは可能なはずと、ある時、人類は気づいたのだった。
 神を信じる者も、そうでない者も、皆が根底かは意識を改め、理想の世界への思いをひとつに実行しゆく。人々が歪み合わずに平穏に暮らす、素晴らしき平和な世界を自ら築きあげたのだ。

 負の雑念が減ることで感覚は研ぎ澄まされ、太古の種が当然のごとく持っていた、自然を肌で感じ取れる能力や、第六感的な超感覚が少しずつ養われていく。身体能力においてはさほど変わらずも、目に負担がかかりそうな習慣がいつしか排除されていくことで、人々の視力はすっかり回復していった。



「諸君、ミッションは間もなくだ」
 船長のデッカーによる凛としたアナウンスが船内に流れ渡る。
「0010時には地上との全ての交信が遮断される。あとはムーンベースとの技術交信のみ。画面通話も、文書の送信も、以降は永遠に通じまい。残り30分の間で、親しい者への別れをきちんとしておくように」

 船長の声には催眠効果があるな、とサトルは感じていた。有無を言わせず素直に従わせる。そして微妙に隠された複雑な思いすらもクルーらに痛いほど伝わってしまう。
 沈着冷静な船長の語り口が、最後の部分だけ僅かに震えていたことを、誰もが感じ取り、胸が張り裂けそうな思いを共にした。
 プライベートゾーンにて地球上の家族や友人らと交わし合う、ラストメッセージ。
 多くの者は既に朝食も抜きで最後の別れを惜しんでいた。
 宇宙船内の時間はグリニッジ標準時刻に合わせてあり、地球上の地域によっては夜中や明け方だったりもするが、時間帯など気にしている場合ではなかった。

「あまりに長すぎる宇宙の時間を考えたら、今のこの、同じ時代に、異星人が存在してる可能性なんてありゃしないはずだけど、タイムジャンプした先には、もしかしたら存在してたりするかもね」

 別れの挨拶なんて悲しすぎて、泣いて仕事ができなくなってしまいそうだからと、多くの者はストレートな別れの言葉よりも、冒険の話なぞをして引き裂かれる思いをはぐらかしていた。

「どんなに遠く離れてても、思考は瞬時に伝わるはずだよね」
「だからジャンプ先からでも、気持ちは通じ合えるんじゃないかな」
「でも、タイムジャンプしたら、お互いに存在する時間が違っちゃうから、やっぱりムリかなあ」

 遥かな時空への片道切符。
 仮に星系の全くない宇宙の深淵に放り出されてしまった際など、いざとなったらコールドスリープ装置を使用すれば、何らかの可能性が訪れるまで半永久的に眠り続ける選択肢も用意されている。

 乗組員58名の半数以上が未成年、独身が条件の成人クルーと共に、あらゆるジャンルにて有能な、選ばれし者。

 動植物については、乗組員の憩いの場として、ささやかな温室が設置されていた。光の持つ多様性を効果的に利用した宇宙植物科学の権威、ケストナー博士と、彼の片腕として動植物と通じ合える自然な感性のディエゴ少年管理を担っている。
 出入りにはクリーンブースの通過が必要で、ミニ菜園とミニ果樹園があり、人類の友の代表として唯一連れて来られた種、賢いシェパードの仔犬らとも戯れることができた。空間イリュージョン担当のカイナの技術で、犬たちも広い世界でのびのびと思い切り走り回っている錯覚を得ることができた。
 そして温室内には船の音楽担当で、歴史上のあらゆる楽曲や音楽史を熟知しているエリーにより厳選された美しい音楽が流れている。折に触れて、彼女は気の利いたBGMを船内にさりけなく、しかし粋で素敵な効果をもって流してくれるのだ。あらゆる楽器を駆使して自ら演奏することもある才能豊かな音楽家だ。



「任務は必ず敢行します。万が一の際は、どんな手段を使ってでも彼の決断を阻止しますので、どうぞご安心を」
 さっと話を切り上げ、マクシモワ副船長は極秘の通信回線を遮断した。
 乗員中最年長、50代の彼女は、船長のサポート役、及び科学主任としてだけでなく、希望に満ちあふれながらも不安を隠せない子どもらの優しい母親役としても、研修の期間から愛されている。

 そんな彼女の不穏な通信内容に、この宇宙船の要である人工知能「アース」も含め、気づいた者はいなかった。
 アースという呼び名は、この船が地球を遠く離れることも考慮して、「地球全体の資料の宝庫」の意味で付けられた愛称である。複雑な計算や調査、運航数値の設定などが主な役割で、権限は与えられていない。
 21世紀半ばにおける地球連合の創設前、危うく人類が滅亡しかけた「AI大戦」で、人間は便利さの代償を痛感する。人が自らの能力で難なく行える作業を機械任せにすることはなくなり、人工知能の利用は必要最低限に留められる。よって、人間と見分けがつかないほど進んでいたアンドロイドの開発も見送られた。

 このエンデュアランス号においても、仮に宇宙の未知なる現象の影響で人工知能が異常をきたしたとしても、基本操作は人の手でなされるよう、クルーたちは充分な訓練を受けている。

 時空ジャンプの衝撃で生じる周辺空間の強烈な歪み。これを利用して隕石ルーインを遥か彼方に放り出す、という人類の最後の望みが、エンデュアランス号に託されていた。

 まずは地球から安全な距離、火星にも影響を与えない程度の、充分にゆとりを持った区域で、宇宙船がルーインを捕らえ、並走しつつ地球に向かい、最適な着陸地点を選択し、隕石の表面に降り立つ姿勢をとる。
 しかし実際には地表に着陸する寸前に時空ジャンプを敢行する。
 ジャンプの空間物理的な方向は、タイムジャンプの場合でも、太陽系、そして銀河系の渦に沿った方向に設定すれば、時間の流れと共に一定方向に常に高速移動している星々の何処かしらの宇宙空間の未来に行ける可能性が残される。それでいて、地軸に対して北や南といった銀河系の外に飛び出してしまいそうな明後日の方向にはならないよう、他の恒星系への訪問の可能性も残した方向を設定する。
 とはいえ銀河系全体も大変な速度で宇宙空間を移動しており、更に宇宙全体も膨張加速しているのだから、方向を定めること自体がナンセンスという意見もある。1日未来へ進んだだけで、銀河すら存在しない宇宙の深淵に飛ばされていた、ということだってあるだろう。
 時間がどこまで空間の相対的影響を受けるか、空間がどの程度、時間に作用するのか。それはジャンプしてみて初めて解明される。

 楽観的な見方として、銀河系内での移動となると、銀河系は約2億年で一周しているので、例えば1億年先に行くと、その場所は銀河系内の真反対側に、自動的に移動できることになる。
 しかし実際は億レベルの時間移動ではなく、数百年単位ではないかと予想されていた。

 タイムジャンプを行うことで生じる膨大な距離の移動。その瞬間の爆発的エネルギーを、地球に迫り来る隕石に向ける。隕石は粉砕はされることはなくも、ジャンプを行ったロケットとは反対の方向に飛ばされるであろう。恐らく過去に。しかし宇宙全体が常に移動している以上、地球を含めた過去の星々に影響を及ぼす可能性は皆無のはず。

 こうした、半ばファンタジーとも言える説を、数限りない者たちが提案してきたが、ただ1人、プラスアルファの案を添えた少年がいた。

 物理的作用に加え、精神の力、思考力、念。そういった、人の強烈な思いが、時空ジャンプに方向性や、成し遂げるパワーを加えるのだ。

 これもまたファンタジーレベルの発想だが、進化した人種にとっては、実際に物理の法則には到底当てはまらない、念力だとか、第六感、共時性といった概念は身近になりつつあった。
 そして彼、サトルはそうした特殊な能力を自然に持ち合わせていた。
 それは直径10㎞もの隕石そのものを遠くへ追いやるといったレベルのものではなく、日常のささやかな類ではあるのだが。しかし1人ではささやかであれど、全人類レベルとなると、ファンタジーの力も大きくなろう。
 宇宙船の乗員、そして地上の人類が一丸となって、隕石の軌道をそらす。

 それは人類に残された最終手段。

 しかしミッションが成功したか否かは、遥か彼方にジャンプしてしまうエンデュアランス号の乗組員には、恐らく永遠に分からず仕舞い.…..

 のはずだった。

 人口重力も施された宇宙船は、大ジャンプ時に降り注ぐ強烈なGに対しても、人間には殆ど圧を感じられないよう設計されていた為、自分らが移動できたのかすら、最初は分からなかった。

「タイムジャンプ、成功しました」
 人工知能による報告で、ようやく気づいたくらいで、時空を超える大冒険をしたという感覚も得られなかった。
 クルーのほぼ全員が定位置に着席していたメインデッキに、ジャンプ先の宇宙空間が映し出されている。そこには見たこともない未知の宇宙領域が広がっている......

 はずだった。

 隕石がいる。

 紛れもなく「ルーイン」だ。
 誰もが我が目を疑った。
 何かの間違いだ。
 この宇宙船すぐそばを並走移動している。
 時空の反対側に追いやったはずなのに? 
 そしてその先には......、

 地球がある。

 月ほどの大きさに見えるが、青く神々しい姿。自分たちの星。クルーらは宇宙船が地球からまだ離れていなかったことに内心安堵しつつも、この場に留まっていることの意味を考え、ぞっとしていた。

——— タイムジャンプは、元々存在していた空間の制約から逃れられない ———。

 トライして、初めて知った法則だった。大いなる誤算に加え、隕石が巨大すぎるあまり、反対方向に進むはずのちっぽけな宇宙船も、引力の道連れにされてしまうというダブルの誤算。

 そして隕石ルーインは未だ真っ直ぐ地球に向かっていた。

「アース、この時代がいつなのか、調べはつくか?」
 デッカー船長が、エンデュアランスの人工知能に冷静に尋ねてみる。
「地上ともムーンベースとも交信不能」
 苦しいはずはないのに、アースは苦し紛れに、そして心細そうに返答した。
「地球の年代測定を」
 辛抱強く、船長は具体的な命令を下す。

 しばしの沈黙。一同は息を呑んで答えを待った。

「周囲の恒星位置、及び太陽系第3惑星の地球と思われる惑星の地質年代から測定しますと...」
「いつなんだ! 一刻を争うんだ。時代を答えたまえ!」
 冷静な人種の冷静な船長の、恐ろしく険しい態度に、当のアースでなくても子どもたちは震え上がった。

「有史以前。この船が出発した時代から、およそ6550万年過去の地球です」

 その瞬間、「ルーイン」と名づけられていた隕石は、クルー全員の意識において、
「チクシュルーブ衝突体」と変換された。

「衝突するのか? 予測落下地点は?」
 もはや答えは分かっていたが、確認せざるを得ない船長は、更に厳しい口調で問いただす。
「この年代の地球に地名は存在しませんが...」
「前置きは結構! 22世紀の地理で答えてくれ」
「メキシコ、ユカタン半島沖と予測されます」


—— 恐竜を滅ぼしたのは人類だったのか ——。


 動揺している場合ではなかった。船長は即座に決断を下し、アースに尋ねた。
「先のタイムジャンプと同様に、ルーインの領域でスペースジャンプを試みた場合、地球への隕石衝突は回避できるか?」

「デッカー船長、それは——」
 副船長のマクシモワが釘を刺す。この後に及んでの衝突の回避が、何を意味するか。

 歴史を変える。それだけは、決して手を出してはならない領域。

 アースが答える。
「確実な保証はなくも、少なくとも方向は変えられるでしょう」
「『でしょう』だと? 『少なくとも』? できるのか? できないのか !?」
「できます」
「いけません、船長」
 再びマクシモワ副長が最初はきつく、次に彼女らしい、いつもの穏やかに言い含めるような落ち着いた口調でしっかりと告げた。
「衝突を回避したら歴史が変わってしまいます」

 恐竜を含む、多くの種の大量絶滅は免れ、そして人類誕生しない。

「並行世界」の存在は、この時代、既に理論的にあり得ないことが証明されていた。
 故に、この衝突を回避したからといって、ある世界では22世紀においても恐竜が地上を闊歩し、別な世界では人類が変わらず存続しているという可能性はない。

 衝突を回避して過去を変えようものなら、これまで築かれた歴史そのものが消滅する。それは紛れもない事実だった。


「しかし我々には使命があるんだ。隕石を地球に衝突させてはならないという」
 言いながら、デッカーは事態をどうすべきか考えあぐねていた。
「『過去を変えてはいけない』が、大前提だとしても、我々は今、こうして不本意ながらも過去に干渉してしまったではないか。だとしたら、それを取り消さねばならない。
 それに死にゆく生命体が目の前に居るとしたら、助けることが人情というもの。たとえ歴史を変えてしまおうとも」

 21世紀半ば、地球連合を創設した偉大な大統領を先祖に持ち、使命感や正義感の強い、誇り高きデッカー船長は、いざとなったら歴史を変えてでも、とっさの行動で我が身を投げ出し、たった1人の人命すら救おうとするだろう。
 それが惑星規模の生命体レベルであれば尚更だ。

 隕石ルーインの成分中イリジウムの含有率が、6550万年前に地球に落ち、ユカタン半島の白亜紀と古第三期の境目である KPg境界地層にその証拠が残された「チクシュルーブ衝突体」と限りなく近いことが判明したのは、数日前。エンデュアランス号が既に地球を飛び立った後のことであった。

 もはや人員交代のできない状況で、柔軟で穏やかな気質のマクシモワ副船長に、極秘の指令が与えられる。
 タイムジャンプの何らかの異変で、ルーインが遥かな過去に飛ばされゆく可能性がある限り、デッカー船長が正義感からルールを無視して暴走する危険は拭えない。何が何でも、自らを犠牲にしてでも落下を阻止しようとする船長を、冷静に説得する役目を彼女は担っていた。

「どうして私たちが、これほどまでに遥かな過去に来たと? 何故、たまたま6550万年前だと?」
 そして彼女はその任務を的確に果たすのだった。
「それはエンデュアランス号に課せられた、歴史の一部、この時代に隕石を送り込むことが、地球の歴史そのものだからなんですよ」

 そんなわけあるものかと半信半疑の船長に対し、副長は更にたたみかける。
「隕石の落下を阻止した瞬間、我々もろとも、そして地球の歴史そのものが、人類の歴史全てが消滅してしまうんですよ」

 やるせない思いで船長は一同を見渡した。あどけない子どもらも含めた、素晴らしきクルーたち。そして人類の過去と未来……。
 自身が貫いてきた揺るぎない信念と闘い、船長は必死で己を納得させた。

「このまま、この場を離れるべきなのか? 何もせず」

 しかし船の大半のクルーである子どもたちの思いは、決して納得などできるものではなかった。

 ダメだ! 恐竜を救わなきゃ!
 恐竜は1億5千年も生き続けてきたんですよ? そんな生命体を人間の身勝手で絶滅させちゃうんですか?
 恐竜だけじゃなく、海や陸の小さな生き物、動物だけじゃなくて、植物だって、みんな死んじゃうんですよ? 
 地球そのものが、地獄と化しちゃうのに、助けないの?


 そんな必死の思考波が飛び交うが、彼らも理屈の奥底では事態を理解していたので、泣き騒いで意見を述べて掻き乱すような幼稚な醜態はさらさなかった。
 ただ、ひたすら涙するだけ。

 もはや選択の余地はない。
 大いなる宇宙の運命に導かれて、人類が不本意ながらも過去に送り込んでしまう形となった巨大隕石。
 これは地球の歴史であって、この期に及んで新たに手を下してはいけないのだと、全員が納得する。


 静かな唄が聞こえてきた。

 哀しくも、慰めのような穏やかな女性とも少年ともつかないような、歌詞のない不思議なハミングに、子どもらだけでなく、全員が身につまされ涙してしまう。

「エリー、ありがとう」
 音楽担当の少女を、船長が心からの感謝を込めてねぎらった。
「船長、あたしじゃありません」
 半ば怯えながら、エリーは言った。
「そもそも、この唄、船内を流れてるわけじゃないです」

 言われてみれば、そうだった。唄声は各々の心に直接響いてくるようだった。

 それは絶滅しゆく種へのレクイエム。

 この時代の生命体を絶滅に追いやってしまった人類の、贖罪の思いも代弁しているようだった。
 神々しく清らかな唄と共に、全員が思い思いに敬虔な祈りを心の中で捧げゆく。

「出航しよう」
 デッカー船長が力強く言った。
 地球が滅亡しゆく悲惨な様子など、子どもらに見せるような事態は避けねばならない。

「船長、進路はどちらに定めます?」
 マクシモワ副長が涙を拭って明るく応える。

 そこでサトルが手を挙げて遮り、爆弾発言を述べた。
「唄声の方向に」

 その時になって初めてサトル以外の面々も、唄がどこからのものか、そして誰からのものなのかを悟ったのだった。

 それは遥かな宇宙、慈愛に満ちた異星人からの温かなメッセージ。今、この時代を生きている種族の。

 思考は瞬時に伝わる。この瞬間にも。それが宇宙の果てであろうと、膨大な距離の制約に干渉されず思考波は瞬時に届く。たとえ言葉も習慣も異なる異星人どうしであろうと、思いは通じ合えるのだ。

 壊滅しゆく地球に、エンデュアランス号による何らかのメッセージを未来に向けて残す方法もなくもなかったが、それこそ歴史が変わる事態となりかねない。潔く黙して去ることにする。

「唄声の方角に進路を。未知の存在である彼らに感謝の念を込めつつ、思いを馳せよう」

 アースが確認する。
「時空ジャンプの正確な方角を定めて下さい」
 残念ながら人工知能に唄声は届いて聞いなかった。

 船長は首を傾げた。
「皆、思考波の方向は感じられるかな?」

 指を指したり、顔を向けたりと、「アンドロメダの方向!」と叫んだり。全員がほぼ同じ、一定方向を指し示す。

「再び故郷の見納めだな」
 穏やかな目線を副長と交わし合い、船長は青い地球と永遠の別れとなる発進命令を出した。




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