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「オケバトル!」 14. 疑惑の潜入工作員


14.疑惑の潜入工作員


「ウィンナ・オペレッタの父といわれるスッペの喜歌劇《軽騎兵》。
 南ドイツにおける派手やかな軍隊生活を舞台に、恋のさや当てが繰り広げられるという物語ですが、残念ながら今日では全く上演されないどころか、総譜や資料も残っておらず、この〈序曲〉だけが大変有名な曲として、演奏会でもさかんに取り上げられています。
 勇壮なファンファーレに始まり、ヴァイオリンが素速く駆け巡る緊迫の展開に、軽快なマーチ、途中、哀愁誘うチャールダーシュが弦によって奏でられ……」

 といった簡単な楽曲説明が、司会の宮永鈴音によって軽いヴァイオリンの演奏付きでなされ、
「それでは、序曲にちりばめられた魅惑的な音楽を、どうぞご堪能くださいませ!」

 まずは先攻Aチームの演奏が、軽快で明確な浅田の指揮の下、コンサートミストレス安部真里亜もしっかり息を合わせチームをリードし、さすがの貴公子団らしく実にかっこよくスマートに行われた。

 気持ちよく先陣を切り、今回初めてライバルチームの演奏を拝聴するべく客席に散らばったAの面々。中には敵チームに圧力を与えたいか、客席中央の最前列を含む前方に固まって、腕組みに仏頂面でずらりと座るメンバーらも。
 あーあ、あんなことして。同じように仕返しされるとは考えないのかね? と、後方に座る者たちは冷ややかな視線を仲間に投げる。
 案の定、舞台に出てきたBチームのうち、弦と木管の一部辺りで何やら不穏な様子。
 極端に緊張し、こわばっているような感じが見受けられる。ライバルチームに前方の席を陣取られたからといって、皆、プロの音楽家で、これまでも演奏中、撮影カメラにアップで撮られたって平ちゃらだったはずなのに? 
 誰もが「おや?」と首を傾げた。

 チューニングが終わり、さっと登場した噂のミッキー氏。手前に座る仲間の異変に気づき、言わなきゃいいのに、
「雑念は捨てて、音楽だけに集中しましょう」
 なんて余計なひと言を言ってしまったから、緊張に身を固めていたはずの一同に、涙をこらえてのくすくす笑いが伝染してしまった。数人が肩を震わせているではないか。

── 奴ら、緊張してたんじゃなく、必死で笑いをこらえてたんだ ──。

 大切な本番を前に、彼らにいったい何が起きたのか? 客席のAチームの好奇心をよそに、ミッキー氏は少しばかり厳しい調子で、コンコンコン! と指揮台を叩き、まじめにやってくださいよ、と威厳を貫こうとする。

 たとえば、の話。出番直前のライバルを破滅させようと企むなら、目の前でいきなり「より目」でもして見せれば事は足りよう。相手の不意を突くのが肝心で、「ひょっとこ口」なんかを加えれば、なお完璧。
 プロのアーティストたるもの、舞台袖でどんなに爆笑の事態が生じようと、舞台に一歩踏み出した瞬間には、さっと本番モードに切り替えられる機転が必要だが、俗に言う「箸が転げても笑える」ほどの笑い上戸や、無垢すぎる者には辛いことだ。そうした者たちにとっては、大して可笑しくなかろうとも、真剣に笑いをこらえねばならない状況であればなおさら、「笑ってはいけない。決して」と追い込まれるほどに、可笑しさは反比例するかのごとく押し寄せてくるもの。
「だから何なの?」と、冷ややかな軽蔑の一瞥で、そもそも最初から可笑しいとも感じないのが真剣プロフェッショナルとも言えようが、舞台慣れしている大御所アーティストの場合でも油断は禁物らしい。

 パリ・オペラ座のエトワールで、看板ダンサーでもある麗しの青年(M.G.)が、かつて共演の女性ダンサーを出番直前の舞台袖でうっかり笑わせてしまい、全身全霊で真剣に役に入り込まねばならない中で、本気で笑い苦しめてしまったという事件があった。
 それでも気丈な二人は驚異的な精神力で舞台をこなし、腹に抱えた大笑いは、観客はもちろん、同僚の誰一人にも気づかれなかったにせよ、この件に関して彼女は、親友でもある彼を一生恨んでやるといった構えを ── 笑いながらではあるが ── 見せていた。

 そしてここ、チームBにおける笑い悪魔の張本人は、既に脱落候補の警告を出されているオーボエの倉本香苗。
 話を数分前の舞台裏に巻き戻そう。
 演奏を終えたAチームが退場し、ステージマネージャー率いるスタッフらが、舞台のセッティングを後攻チーム用に直している間のこと。
 舞台袖の様々な機械が設置されているブースにて、撮影隊の二人が小型のモニター画面で、先ほど収録したばかりの司会のトークをチェックしていた。一人での確認ならヘッドホンでも使用していたであろうが、何やら相談しながらの作業であったため、かすかな音がスピーカーから漏れている。
 袖で待機しているBのメンバーにも、宮永鈴音の語りや、ちょっと頼りないヴァイオリンの音も聞こえてしまう。彼女が曲のさわりを紹介しているのに乗って、香苗が、

「あたし、ここんとこ、ファーストヴァイオリンがミからシへ何度も繰り返すとこが、どーしても『ブーヒブーヒ』って聞こえちゃうのよね」
 と、やらかした。

 その時点では誰も笑わなかったが、先にも話題に出たディズニー・アニメ、「ミッキーのオーケストラ」の中で、ドナルドが蛇腹のふいごのような楽器で ── と、香苗が懇切丁寧に説明しながら「ブーヒブーヒ、ブヒブヒブー」と歌うので、たまりかねたルームメイトの夕子が、
「あたし、ファーストの最前列なんだから、笑わせないで!」
 と小声で悲鳴を上げた。
 そこで香苗が、ブヒブヒブーを面白おかしく繰り返すので、他の女性が彼女を叩いて黙らせ、ついに指揮のミッキー氏からも、
「ドナルドはあなただったんですか!」
 と、ふざけたお叱りを受ける羽目になったところで、ステージマネージャーより、
「(舞台に)出てください」の合図が入り、一同、「腹を抱えて笑いたいのに笑いそびれた」という最悪のタイミングでの登場となってしまう。

 指揮者は後から登場する習わしなので、一人舞台袖に残った山寺充希は、皆がチューニングをしている間に「最も責任ある自分がしっかりせねば」と集中し、オーボエ奏者が間抜け面でブヒブヒ歌って見せる姿 ── 思考から消し去ろうとしても悪夢のようによみがえる ── を必死で追い払い、どうにか平静を取り戻す時間を稼げたが、笑い損ねた何人かは舞台に出ても集中できないまま。
 しかもライバルチームが客席前方に勢揃いして圧力をかけてきたため、すっかり調子が狂ってしまう。本番直前にすべての楽器が壊れてしまった「ミッキーのオーケストラ」のアニメの状況のごとく、まさに絶体絶命の気分であった。

 事情は分からずとも、木管と弦の一部にふざけた異常事態が発生していると察したトランペット首席の上之忠司は、「まじめにやれい!」と一発ぶちかましたいのをぐっとガマンしていた。全員がひとたび舞台に出てしまったからには、もはやどうにもできない ———

 いや、できるかも知れない。
 自分が真っ先にソロでファンファーレを吹くのだから。

 指揮者が指揮棒を宙にかざす前に、まず「始めましょうか」と、こちらを見たところで、信頼の目線のみで合図を交わし合う崇高な瞬間であるところで 、上之忠司はいきなりすっくと立ち上がった。

 マーラーの交響曲などでは、クライマックスで「立って吹く」との楽譜に記された作曲家の無謀な指示に従い、八人のホルン奏者が一斉に立ち上がって奏する劇的なシーンがあったりもするが ── 従順に従う指揮者もいれば、完全無視の指揮者もいる ──、このトランペット首席の行動は、誰も予想だにしなかったこと。
 まずは指揮者がぶっ飛び、客席の審査員もAチームもぶっ飛び、気づいたBオケの仲間もぶっ飛んだ。しかしそうしたことで、確実に空気の流れは変わった。
 指揮者の鋭い呼吸とともにいったん振り上げられた棒が振り下ろされるや、実に晴れやかな音色のトランペットが立ったままで奏され、しょっぱなから鳥肌ものの感動を呼び起こした。

 それがすべてであり、すべてはそこで決まった。

 トランペットに導かれての輝かしくも重厚な全合奏に続き、今度はホルンのファンファーレが高らかに奏されるのだが、「おやっさん、何てことしてくれるんだね」と内心ぼやきつつも、ホルン首席も先陣を切ったトランペットの対となるファンファーレを、いさぎよく立ち上がって吹き鳴らした。
 ただ立ち上がっただけというのに、意表をついた演出のせいか誰もが心の底から感激し、その後、不穏な影を伴う場面転換から始まるヴァイオリンの緊迫パッセージの中に、例のドナルド(=香苗)のブヒブヒ音が顔を出す問題の箇所でも誰一人、そのような笑い話のことはすっかり忘れて ── 張本人の香苗でさえも ──、真剣に演奏に集中することができたのだ。


 しかし残念。ラッパおやじ上之忠司の機転や、ミッキーこと山寺充希の尽力もむなしく、今回の勝利もまたもやAチームに奪い去られる結果となる。

「演奏は中々良かった。どちらのチームも歯切れがあって、軽快で」
 とは長岡プロデューサー。
「だがね、どんな事情であれ、スタンドプレーはルール違反だ」
「文字通りのスタンドプレイ、ですね」と司会が挟む。
「でも、感動的にかっこよかったし、それくらいはいいんじゃないでしょうか」
 明るい調子でジョージがかばう。
「むしろトランペットとホルンにはボーナスポイントを差し上げたいくらい」
「少なくとも音楽が損なわれたわけではないのですし、私もプラスα得点ね」
 青井杏香も優しい反応だ。
「チーム内でも驚きが広がっていたということは、その場の判断でのスタンドプレイ、なのでしょう?」
「打ち合わせの上で、ライバルチームを出し抜こうと派手な効果を狙ってのパフォーマンスなら、ああした崇高な空気にはならなかったでしょうね」とジョージ。
「窮境に陥ったチームを救うための、とっさの行動だからこそ、感動が生まれるわけですよ」
「バトル番組ならではの展開よね」
「わかったわかった。あなた方芸術家二人にはかなわないな」
 長岡氏が降参する。
「じゃあ、スタンドプレーの減点はナシとして、そもそも何故、非常事態に陥ったのか、真剣勝負の舞台で、芸術を披露しなきゃならない場面で何故、皆が集中しきれなかったのか。ばかげた言い訳は聞きたくもないが、そうした失態だけでもBの敗北は決まりだね」
 ええーっ? と、舞台上のBチームに動揺が広がる。
「Bチームには何かのっぴきならない事情があったようですけど」
 宮永鈴音が補足する。
「長岡プロデューサーは内部のゴタゴタではなく、純粋に音楽性についての審議を続けたいと思われますので、Bの皆さん? 言い訳は、独白ルームにてお願いしますね」

 ジョージと杏香は、とにかく最初の一打、トランペットおやじさんにノックアウトされてしまったので、それだけでもBに勝利を与えたかったが、他の不真面目なメンバーのおかげで、勝利のチャンスは失われてしまって、残念ですね、とコメントした。
 でも、不手際があったからこそ生まれたトランペットの機転なのだから、むしろ逆境が感動を呼び起こした、とも言えるのではないでしょうか? と、司会が審査の矛盾点を突く。
「鶏と卵のパラドックスだね」と、長岡氏。
 ちょっと違うんでないの? と皆、首を傾げたが、プロデューサーの采配により、この課題曲においての脱落は、トランペット首席のみ特別に免除とされた。
 同時に当の上之忠司にはボーナス得点が与えられたが、そうした得点制度については、バトル参加者には何ら知らされていないので、これは審査員どうしの了解事項となる。

 オーディション時からの得点を含む、現時点での上位は、ヴァイオリンの有出絃人が抜きんでており、次いで、その演奏技術の高さにより既に得点の高かった上之忠司が二番手に躍り出る形となった。

 指揮やコンサートマスターといった上に立つ者は、可であれ、不可であれ、それだけでも得点を得られるので、逆アルファベット順とはいえ指揮を二回も請け負った山寺充希も、その誠実まじめな人柄得点も加えて好位置につけていたが、残念ながら二連敗北の責任をとって、彼は辞任することになる。指揮だけでなく、バトルからの脱落である。
 誰もがミッキー氏の自己犠牲を止めようとしたが、彼の決意は固かった。

 さよなら、ミッキー、さようなら。
 きみは誰からも愛されていたね。
 たった一日のことだけど。
 きみの勇姿は忘れないよ、いついつまでも……。

 と、涙の見送りを受ける山寺充希。

 彼の道連れの友としては、責任ある立場にありながら皆の笑いを止められず、存在感も皆無で、名前もこの時点で初めて登場したも同然の、コンサートマスター安方が自ら名乗りをあげた。
 我がチームを陥れるため、敵方Aチームが放った潜入工作員疑惑をかけられたオーボエの倉本香苗は、山寺と安方、両青年のおかげで、かろうじて今回も難を免れた。

「序曲の日」とされたバトル二日目であるが、様々なドラマが展開された〈ウィリアム・テル〉も〈軽騎兵〉も、三曲目の今宵の課題曲の ——— 文字通りの ——— 序奏にすぎなかったとは、誰が予測したであろう。




15.「地獄のオルフェ」に続く...


★ ★ ★ 今回の脱落者 ★ ★ ★

Bチームより Violin 2名

山寺 充希 指揮を2回務め、惜しまれつつのミッキー氏

安方 青年 アルファベット順コンサートマスター犠牲者




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