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[漫画&ブログ] 7/8発売のヤングキングに「杉村くん」が掲載されます

7/8発売のヤングキング15号に、「杉村くん」が掲載されます。20歳から漫画を描いて持ち込み始めて、47歳でやっとデビューです。嬉しいですね~。杉村未樹というペンネームで載っています。思っていたよりページがもらえて、3話ぶん(12ページ)載ります。ここでアンケートの結果が良いとまた掲載のチャンスが来たり、連載になったりするので、ぜひ応援よろしくお願いします。アンケートは雑誌の後半に、用紙に記入してハガキで送る形式のものとWEB(QRコードが載っています)で記入する形式のものがあります。

今回の漫画にも描いたとおり、私はこういうふうに公に出るまで30年かかりました。バンドでいうところのインディーズ活動を30年続けていたわけです。お金に関して見れば、インディーズでもお金をもらえていた時期はありました。さらにこれからは漫画も、出版社よりも個人での出版がメインになるだろうともよく言われています。でも、そういうことじゃないんですよね。それは私にも何か公に認められたい感があったのかもしれません。小さい頃、友達の輪に入れなかったという「公に認められなかった感」のリベンジをずっと続けていたのかもしれません。

https://note.com/yuki1192/n/n46866034be74

思えば私は周りに追い抜かされてばかりいました。保育園や小学校では明らかに周りよりボーっとした愚鈍な子供でしたし、中学で不良グループに入ったとは言っても、不良というカテゴリ自体が「みんな」よりも劣った存在だったわけです。このままではいけないなと起死回生で美大受験をしましたが、浪人しても合格しませんでした。画塾には4年通い、高校時代は遊びはほぼ封印したのに、です。つまり高校3年間のエンジョイ経験値という意味でも周りに抜かされていました。自分以外の画塾の同級生は全員合格しました。浪人していた頃、デッサンを始めて4年の私より、始めて半年しか経ってない後輩のほうが明らかにデッサンが上手で、こういう世界は決定的な才能というものが存在しているという事も実感しました。うさぎとカメの話のように努力が才能に勝るという出来事はレアなんだろうなとも実感しました。とは言え絵を描く以外に得意な事は無いし、相変わらず愚鈍なので普通の就職も無理そうです。そこで違うルートで絵の仕事はないものかという事で漫画を描いて持ち込みを始めました。けれどもこれも、何年続けてもデビューはできませんでした。その間知り合った、同じく漫画を描いている人たちはだいたいみんなデビューしていきました。この流れは今も続いています。40代になった今でも相変わらず周りに抜かされてばかりというわけです。

https://note.com/yuki1192/n/nbf1f85292b02?magazine_key=m0b7b30a5d458

小さい頃から愚鈍で、周りに抜かされてばかりで、それでも自分には「これだ!」というものが欲しい、そういう気持ちが強かったから30代では仕事を頑張り過ぎてしまったんだと思います。その結果、きつめのうつ病と不眠症になってしまい、10年以上経った今でもスッキリとは治りません。妻ちゃんへの献身もそうなのでしょう。自分以上に心と体を病んだ女性ですし、自分は夢に手が届かなかったのでそれによる「はあ~だめか~…」感をよく知っています。そんなかわいそうな思いはさせたくありませんよね。だから妻ちゃんの仕事を支えるわけです。料理や家事を全部私がやるのも、妻ちゃんが好きな事に集中し、「はあ~だめか~」と思わなくて済むようにです。そうしていくうちに30代中ごろで、漫画は描くのも読むのも嫌になってしまいました。いくら持ち込みをしても、担当がついたり賞がもらえても掲載はされないという寸止めが10年続いていたので、自分自身の進展の無さにうんざりしていたのです。さらに原案としてデビューする事はできたのですが、メディア展開の際に私の名前は全部消されていた事もありました。漫画は10年、受験も合わせたら15年近くやった結果、漫画の業界にも裏切られて、それが「もういい!」の決め手になったという理由もありました。

https://note.com/yuki1192/n/n0f5fb971b791?magazine_key=m0b7b30a5d458

そういう事もあって、漫画への情熱を全部仕事と妻ちゃんに向けていたのでしょう。その頃からは相当無理をしていたと思います。うつと不眠の薬を飲みながら、自分の会社をやっていた頃は毎日夜中の3時4時まで働き365日休みは無かったですし、妻ちゃんとお店を始めてからは毎日2、3時間とかしか眠れなくても一回も休む事はありませんでした。何より、妻ちゃんと毒家族との関わりによる心労がとても大きく、自分がどれだけ妻ちゃんに「与え」をしても、毒家族がそれを壊してしまうという、なんか地獄で石を積んでは鬼にそれを壊されるみたいな事を何年も続けていました。というか今も続いています。

https://note.com/yuki1192/n/n75c82f89e0f1?magazine_key=m5c1ceb5a8550

今思えば、そりゃ心を病むよねという事が多かったのですが、でもそこで「一体自分の体験してきた世界では何が起きているんだ?」という事に目を向けるようになったのです。人間の心の闇という事です。なぜ自分は心の病気になってしまったのか?なぜこの毒家族は妻ちゃんをいじめるのか?それってここだけじゃなくて、もっと世の中全体とも関連があるんじゃないか?というような事です。それにより自分の考える事が一段深くなり、せっかくなのでその一段深くなった内容で漫画を描き始めたのです。それを8年くらい続けていたら、今回の掲載につながったという事です。本当は数年前に別の所で賞をもらって連載も決まっていて1年くらい連載の準備(原稿のストック作成とか)をしていたのですが、連載先のサイトが閉鎖になって自分の連載も無しになってしまった事もありました。自分は相変わらず縁がないなと思いましたが、まあ今さら大した事ではありませんでした。それは昔とは違い、今はネットで漫画を公開→みんながそれを読むという流れがカジュアルに行われる世の中になっていたため、自分の漫画は結構いろいろな人に読んでもらえていたからです。昔からあった「周りに抜かされている感」がだいぶフワっとしたものになっていたんですよね。英語でも公開するようになってからは、いろんな国の人たちとも仲良くなれましたし、一番メッセージやプレゼントの交換をしている友人は、コミック雑誌に私の記事を書いてくれた事もありました(スウェーデンの友人です)。嬉しいですよね。コメントでは自身の内面について教えてくれる人もたくさんいますし、そういう交流がまた私の内面を深くしてくれたんだと思います。

漫画には大きく分けて、キャラクターを描く漫画と人間を描く漫画とがあります。基本的にはキャラクターを描く漫画のほうが多いです。エンターテインメントですしね。私もずっとそうでした。でも、一回漫画を描くのをやめていろいろ苦労をしてからは、人間を描くほうの漫画に変わりました。具体的にはメンタルヘルスや毒親がなんたらをベースにした、要は人間の弱さに目を向けた漫画です。心の病気や毒親を直接描く事もありますし、自分自身の弱さ、不良の人たちの弱さ、そしてこの世の中の弱さ(不確かさ)についてです。それらが私をやっと、「公に認められる」水準に引き上げてくれたのだと思います。ヤングキングに持ち込みした時、少し読んだ時点で「結構描けるかたですよね?」と言われました。コンビニとかに置いてある漫画雑誌の水準には達していたという事ですね。その後は以前の漫画に描いたとおり「すごく心が揺さぶられました」「代原ですぐ載せられると思います」と好評でした。「あまり修正はしないでこのままやりたいです」とも言われました。普通、漫画は描いたものがそのまま載る事はめったになく、例えば持ち込み原稿であればそれを元に担当編集と1から構成やネームを作り直して原稿を描き直して、賞に出したり掲載に至ります。こんなふうに言われる事は基本ありません。私のは半エッセイ漫画なのであんまり手直ししてもしょうがないor今はあまり編集が口を出さないという時代の流れもあるのかもしれません。↑↑で書いた数年前の連載用のストック漫画では担当編集と密に打ち合わせしながら描いたので、担当本人のやりかたや好みの関係もあると思います。…が、それでも自分の漫画がそのまま掲載の水準になっていた事にビックリしました。素直に自分の漫画はいつのまにかそういう水準になっていたんだな~と思っておいたほうが気分も良いですしね。

そして何より勇気づけられたのは、その編集者が20代の若い方だった事です。私は今年47歳なので、普通に描いたら同じ47歳のおじさんにだけ響く物が出来上がります。でも、全然違う世代の方にも響いたんですよね。実際、Pixivでは私より下の世代の女性がメインの読者層です。これはPixiv自体が女性ユーザーが多いからかなと思っていたのですが、noteでも読んでくれる方は女性のほうが多いですし、Twitterでは男女だけでなく海外の人のほうが多いです(もはや性別はわかりません)。自分の漫画は結構色んな層の人に響く内容なのかなとうっすら思っていて、そのうえで目の前で全然違う世代の人にグッときた的な事を言われると、「ああやっぱそうだったのか」と改めてリアリティを感じたんです。これは自分にとって大きい一歩でした。結局ウソは描けないんですよね。ウソは描けないから、自然に描くしかなく、それがどういう人に響くかはもう運次第なわけです。これまでの人生の経験や交友関係で出来上がった人格をもとに漫画を描くので、もう変えようがないわけです。自分のそれが運よく色々な層の人に響く物であったというのを実感できた事は、大きな一歩でした。特に現代はいかにもおじさん的な思考は老害的にうざがられますしね。世代的に男尊女卑の強い社会の雰囲気もありましたし。私自身が社会から認められず置いてけぼりで、ザ・昭和な世の中に入れなかった事が逆に今良い結果を生んだんだと思います。こんなふうに、創作はネガティブな事をポジティブに変換できるんです。

https://note.com/yuki1192/n/n8630c48f71d1?magazine_key=mad6a2457605d


今回載る漫画のアンケート結果が良ければ、また掲載チャンスがもらえるor連載になります。私が今年持ち込みを再開した理由は、20年かけてねじれにねじれた妻ちゃんの毒家庭への気持ちから目をそむけたいという部分が大きいです。自分の仕事に没頭して、もう毎日悩んだり憎んだりするのをやめたいのです。家族になってしまったのだから、もう一生つきあいを続けるしかないのですから。なのでぜひ連載で忙しくなるよう、アンケートに協力してもらえると嬉しいです。基本はコンビニに売っていますが、アマゾンでも買えます。でも、読んで面白かったらで良いですからね。

https://note.com/yuki1192/n/n95b6aca7b81d?magazine_key=m1e33821197a1

実際は、掲載されてそこから連載に至るのは10作に1作くらいだと思います。1回載って終わりという事のほうが圧倒的に多いです。何なら、持ち込みに200人来てそのうち賞をとれるのが20人、そのうち雑誌に載れるのは5人、連載をもらえるのは1人いるかどうか、そういう世界です。自分もそれは昔から知っているので、雑誌に載るのはそれはそれで良かったと胸に秘めつつ、引き続きコツコツ今まで通りのものを描き続け、WEBに載せ続けます。いろいろ書きましたが、一番は、小さな頃からあった「自分は公には認められない」という気持ちに一区切りつけた事が大きいです。自分のベースが「公には認められない」物である事は今も変わらないです。でも、認められないなりに自分に向き合っていれば、そう悪い事にもならないのです。16歳から美大受験を始めて以来ずっと失敗をし続け、47歳で商業誌デビューというのは普通はありえないです。卑下とか謙遜抜きに客観的に才能は明らかに無いですし、デビューを目標にしていれば途中で嫌になって辞めます。途中でなんでこんな無駄な事をやってるんだみたいな気持ちになりますもんね。そんな事を31年も続けられません。そもそも10代と同じ事を47歳で毎日続けている人が少ないです。このnoteに載せている漫画だけでも、1200ページ前後あります。私のようなパターンはレアを越えて異常者寄りだと思います。でも、もしこれを読んでいるかたで、何か目標を持って努力しているかたがいたら、こういうパターンもあるよという参考になれば嬉しいです。異常者も結構楽しいです。いつかこの流れも漫画にしようと思ってるので、楽しみにしていてくださいね。

[おまけ]
後半のコマに描いた応援してくれている人達は、Twitterでよくいいねやコメント、DMをくれる方のアイコンをメインに描きました。その中でもアイコンが人間や動物の絵などの、キャラクターとして描きやすい方を選びました。noteでもいつもいいねを押してくれる方は多いですよね。本当は全員描きたかったのですが、描ききれないのでだいぶ絞りました、すみません。


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