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[漫画&ブログ] オッサン(46歳)の気づき 第35話 ~持ち込みに気づいた!~


持ち込みをした原稿は、主にこの杉村くんシリーズと…

「闇子ちゃん」から新しめのを2作です。

現在46歳の私は大学卒業~30歳くらいまで、バイトをしながら出版社に持ち込みを繰り返していました。常にどこかで担当編集者は付いている状態で、受賞歴は5回前後です。けれどもデビューはできませんでした。あと一歩の寸止めが何年も続いていたんですよね。そして30代前半の頃に、結婚をするために職を変えて、とは言っても今さら就職は出来ないので自分で会社を始めて、結婚して、仕事が忙しくなり、漫画を描くのもやめ、うつ病と不眠症になってしまい、その会社もたたんで、妻ちゃんとお店を出してその手伝いをして暮らし、現在に至ります。ここまでは何度か漫画やブログにも書いていましたので、「あーはいはいそれね」という方も多いと思います。

私は、人が健康に生きるには「軸」が必要だと思っています。「自分はこうである」と自己認識できる部分の事です。多くの人にとっての軸は、就いている仕事だったり、親である事だったり、没頭している趣味だったりですよね。それがあるから、何か困難があった時にもくじけずにいけるのだと思います。例えば20年飼っていたかわいいニャンコが死んじゃった時、軸があればその悲しみをまぎらわしたり相対化することが出来ます。それが健康的な生き方です。でも軸が無いと、その悲しみにずっととらわれてしまうのです。不健康ですよね。そして私はまさにその不健康な生き方をしていたのです。漫画を描く事は私にとって軸でしたが、それをやめてしまったため、仕事の忙しさであったり慣れない都会生活であったり、妻ちゃんの実家の毒の影響を受け続ける事だったりで、うつと不眠になってしまいました。なので、また軸を作り直すために漫画を描き始めたのです。それが2016年の事でした。それからは、プロを目指していた頃と同じく、一日も欠かさず描いています。

https://note.com/yuki1192/n/n8630c48f71d1?magazine_key=mad6a2457605d

でもこの時点ではまだ「もう一回持ち込みを始めてみよう」とは考えていませんでした。自分のためだけに漫画を描いていました。今でも基本的には自分のために描いています。日々の苦しい思いや体調を漫画にし、なぜこうなってしまったか?こういう事ではないか?昔はどうだったか?自分のルーツは?と自己カウンセリングを繰り返し、回復への手がかりを探るための作業なのです。普通のカウンセリングでも、自分の考えている事を紙に書き出すという作業があって、それと一緒の事です。でも、いくら自己カウンセリングを繰り返しても、うつも不眠も完全には回復しなかったんですよね。自分がなぜこうなってしまったか、どう気持ちを変えていけばいいか、自分を漫画にして客観視することで回復への道筋は見えるようになりました。でもそれでもバシっと回復する事はなかったのです。むしろ去年の前半は、今までで一番具合が悪く、ベッドから起き上がれないくらいにまでなってしまいました。その大きな理由は、妻ちゃんの実家からの毒を受け続けていた事なんだと思います。少し話がそれますが、以前、住んでいるマンションが騒音がひどいので静かなアパートをもう一軒借り、そうしたらうつも不眠も良くなった話を漫画に描きました。

この時は、都会的なザワザワした場所から離れられたから回復したと思っていました。…が、そうではなかったんです。というのも、今はそのアパートもザワザワマンションも引き払い、静かな場所に住んでいて、けれども不眠が再発してしまったからです。すると残っている理由は、妻ちゃんの実家からの毒だけなんですよね。アパートを借りて体調が良くなったのは、騒音が無くなったからではなく、毒とかそういった日常から切り離された自分だけの場所を持てたからだったと思ったんです。妻ちゃんと毒実家はそれなりに今も距離や関係が近いです。つい去年までは私含め毎日顔を合わせる状態でした。そして妻ちゃん自身も毒の実家の影響が強いので、妻ちゃん経由で私が毒の影響を受ける事も多いです。それが今回漫画に描いた「俺らはたぶん近づきすぎてしまったんだろう」の部分です。そして妻ちゃんや実家の毒と心理的な距離を置くために、またプロ漫画家を目指して持ち込みを再開する事にしたのです。アパートを借りた時と同じく、日常から切り離された自分だけの場所を心の中に持つためです。少し悲しい事かもしれません。妻ちゃんは何も悪くないどころか、むしろ被害者なのですから。

今までの、自分のために漫画を描いてTwitterやnoteに投稿して読者と交流、さらには海外の人とまで、というのも自分だけの場所となっていました。けれども実は、ずっと後ろめたかったんです。日々後ろめたさを感じながら漫画を描いていたんです。例えば、毎日仕事と家事が終わった後の22時~寝るまでが私の漫画の時間なのですが、ずっと「明日は〇〇時に起きるから、〇〇時には描くのをやめないとな」と考えながら描いているわけです。夢中になって1時とか2時まで描いてはいけないんですよね。あと、日中に時間がある時も漫画を描くのですが、その時は「漫画なんか描いてないで掃除機かけたりお風呂掃除をしたほうがいいよな…夕ご飯は何を作ろうかな…」的な事を考えています。好きな事なのに後ろめたいなんて悲しいですよね。後ろめたくなってしまう原因は自分の人生が自分メインになっていないからだと思うんです。私の人生のメインは、実家の毒で心身が弱ってしまった妻ちゃんを支える事です。それはそれで全然良いのですが、前述の通り「軸」が無い状態だと、とらわれが発生してしまうんです。要は「妻ちゃんの実家の毒が、漫画に後ろめたさが発生する遠い原因になっている」という感覚です。それにとらわれて、いや~な気分にもとらわれ、隠された怒りが増してしまうのでしょう。漫画にも集中できなくなったり不眠の悪化につながってしまうのです。あれ?でも私にとっての「軸」は漫画を描く事だったはずです。漫画を描いて軸を保っているのに、まだ不健康なとらわれが発生していますね?結局、私にとっての軸とは、漫画を描く事プラス「何か公的に認められる事」だったのかもしれません。これは今回の漫画に描いていない、持ち込みを再開したもう一つの大きな理由です。

私は16歳の頃から美大受験を始めました。でも受かりませんでした。

そして普通の大学に進み、でもやっぱり絵かなという事で漫画を描いて持ち込みを始めました。

けれども前述の通り、デビューはできませんでした。

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その後に2回、大きめのチャンスがありました。1つは30代中盤、WEB番組の企画で大賞を取った事です。原作者としてデビューするはずでした。でもメディア展開の際には私の名前は消されてしまいました。

https://note.com/yuki1192/n/n0f5fb971b791?magazine_key=m0b7b30a5d458


もう一つは40代になってから、「杉村くん」のシリーズで漫画賞を取った事です。これは連載が決まっていて、それに向けた原稿も準備し終えていたのですが、載る予定だったサイトが閉鎖してしまいました。

そんな具合で、漫画は20代から、絵というくくりでは16歳から、何か目的を持って絵を描いていましたが、1回も公的には認められる事は無かったんです。公的とは、大学に受かる事や雑誌やWEBサイトで連載をする事です。そしてなぜ公的に認められる事にとらわれているのかというと、私自身が小さい頃周りになじめなかった、つまりみんなの世界という「公」に認められなかった事がずっとトゲとして残っているんだと思うんです。おそらくそれが全部の始まりなのです。

https://note.com/yuki1192/n/nbf1f85292b02?magazine_key=m0b7b30a5d458


そして我々日本人は、「仕事」に良くも悪くもとらわれています。サラリーマンをやったことが無い私ですらそうだと思います。「仕事だから」、後ろめたくなくなる気がするんです。夢中になって夜中の1時2時まで描いたり、家事より漫画を優先したり、要は自分の人生を自分メインで生きる事ができ、そして妻ちゃんの実家の毒にも負けない軸が手に入る気がするんですよね。何にも影響されない自分だけの場所を手に入れたいのです。

実際、自分的には漫画家デビューはもういいかな、縁がなかったんだな、とずっと思っていました。でも、今回持ち込みを再開してから、体調が目に見えて良くなり始めたんです。睡眠薬もうつの薬も、離脱症状もあまり出ず順調に量を減らせて、不整脈もあまり出ません。気づきませんでしたが、本当はずっとそれをしたかったんでしょうね。ずっと悔しかったのでしょう。こんなに長く続けている事なんて漫画だけなのですから。体は正直と言いますが本当ですね。

https://note.com/yuki1192/n/nbf1f85292b02?magazine_key=m0b7b30a5d458

「公的に認められたい」とか、「プロデビューには縁がなかったな」と言いつつ実は自分のとらわれから抜け出せないのを隠している様子とかは、私の弱さの一部分だと思います。あと、美術大学出身だったり漫画家として生活していたりといった、公的に認められている人に対してコンプレックスを感じる事も多かったです。そして美術大学も漫画雑誌も自分にとってはすごく輝いて見える権威的な場所で、無意識に権威へのとらわれもあったと思います。「杉村くん」で描いているように、もともと私は不良グループの一人だっただけに、輝く場所にあこがれてしまうのも弱さなのだと思います。でもそういう深層心理にある自分の弱さを認めてこそ、前に進めるものなのかもしれません。そういう弱さ自体もまた、漫画の題材として生かせますしね。

人生は一度きりという決まり文句があります。決まり文句すぎて、使い古されすぎて、正直今さらあまり心に響きませんよね。でもそれって、本当の事だから使い古されるんです。本当に人生は一度きりです。年齢的に周りで亡くなってしまう人が増えました。だからすごくその一度きりにリアリティを感じるんです。もう二度とその人達の人生は再開しないのです。先日この漫画を描いた事で、さらにそれを強く感じました。

私は自分が死んでしまう時の事を毎日考えています。次の世代がいないので一人で死ぬと思うのですが、やっぱりそこでも「軸」があると無いとでは大きく違うと思うんです。軸とは最終的には自分で自分を支えられるかだと思います。それが出来ないのってすごく苦しい事ですよね。今もこの先も苦しいのは普通に嫌です。そのために、自分の軸につながる事にはチャレンジしていくつもりです。

[おまけ]
↓↓の漫画は、実はまだnoteには載せていない漫画です。以前、スウェーデンの友人に、スウェーデンのコミック雑誌を紹介してもらったブログを書きましたが、それ用に描いた漫画なんです。元は英語で描いていたので読む方向も左→右で日本語とは逆です。いつか「杉村くん」を同人誌にまとめた時、もしくはいろいろ上手くいって「杉村くん」のコミックスを出せた時、収録したいなと思っています。全12ページで、ちょっと悲しいけど良い話ですよ。


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