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ゼロから始める伊賀の米づくり31:3年目の田植えの終わりと、家族の新しい形の始まり

前回の記録では、田植え直前に田んぼに水を入れ、水と土を耕して絡ませる代掻きについてまとめました。

今回は、前回までの準備を経て、満を持しての田植えとなります。

田植えのプロセスとしては、JAの育苗センターに苗を取りに行き、田植え機に積んで植える。

シンプルにまとめれば、このような流れです。

今年の初め1月中に苗をJAに注文しておくことで、各農家がその苗を植えることで田植えを行うことができます。

中には、自宅で種籾から苗を育て、そして田植えを行う農家(強者)もいますが、我が家ではそのような形は取っておらず、JAから苗を買う形式で行なってきました。

ちなみに、育てる品種はコシヒカリ。日本では現在、最もポピュラーな種です。

今年の田植えは、家族一同の連携で行います。

父が亡くなる三年前までの田植えでは、父一人が一連の田植えから稲刈りまでの作業や準備を把握しており、他のメンバーはそれをサポートするような体制で行っていました。

しかし、今年は田植え機に私以外にも乗る人を増やすことにチャレンジしたり、毎年大変に思う兼業農家としてではなく、アクティビティとして楽しめる時間をめざして行うことに努めました。

三年前。父の病気をきっかけに継いだ時から、我が家の稲作に関する情報の取りまとめと透明化に向き合うこととなり、昨年には友人たちも参加する形で体験の分かち合いを行なってきました。

そして、今年は自分以外の家族がより密に連携が取れたり、それぞれが役割を分担できるように意識して臨んできました。

人に頼ることが苦手で、課題の解決のために孤軍奮闘しがちな自分が、弟たちにヘルプを頼んだり、母に細かく噛み砕いて説明を行う等、もし、自分が欠けたとしても他のメンバーが困らない体制を。そんなことを意識していたように思います。

(尤も、意気込んでいるのは自分くらいだったのかもしれません)

さあ、いざ田植えです。

神社の目の前にある田んぼ。いざ、田植えへ。

ひとつ目の田んぼは自分が田植え機を運転し、終わらせ、二つ目からは弟にも操縦をお願いしながら進めることとなりました。

機械操作については、自分よりも弟の方がセンスがあります。

すぐにコツを掴んだ弟は、サクサクと作業を進めていきました。

感無量でした。

父の代の田植えのあり方から、まったく違ったあり方……次世代の田植えのあり方にシフトできたような、そんな感覚がありました。

地元の土地に根付き、天候や土、水の状態を詳細に眺め、そうやって初めて農家ができる。

初めて継いだ頃には、そんな風に地域の先輩方からも言われていましたが、今では、そうしたやり方だけが全てではないと考えています。

地元以外の多拠点居住を行いながら、地元でもきっちり兼業農家を実践する。

そしてそれは、決して難しいことではなく、ちょっとした工夫と知識・経験の蓄積と伝達で実現していけるのだと、今回の田植えを経て、強く確信できました。

苗の列によって、植え付けの際の減り具合が異なる。これは、田植え機のクセのようなもの

3年目。苗、土、水、田んぼの状態やその変化に向き合ってきた自分には、どう手を抜けば良いか。勘所はどこか等が、手に取るようにわかるようになりました。

そして、その経験は、今や人に容易に伝えられるほど、言語化し、資料化も進めることができました。

快晴の空と、田植えが終わった田んぼ

そうして、このように、無事に、見事に終えることができました。

田んぼの水が鏡面のように神社の社叢を映し出している

この結果は、自分だけの努力だけではなく、家族一人ひとりの貢献とちょっとしたチャレンジの積み重ねの賜物です。

初めての田植えの際は、ご先祖様の遺してきた土地、地域の皆さんの集落の保全、技術革新による農業機械・テクノロジーの恩恵、目に見えない微生物から野生の狸や狐、もぐらに至るまでの様々な生物たちの「いのち」の営みのあらゆるものに対する感謝を感じましたが、

今年はこれらに加えて、さらに、家族への感謝の深まるひとときでした。

これらの苗、一本一本がやがて稲になる

無事に今年も終えることができ、家族の墓参りと仏壇への報告も終わらせてみると、

「ああ、もう、これでこの家族は大丈夫だ」

そんな感覚が湧き上がってきました。

辛いことも続いたこの数年間でしたが、その辛さももう終わり。

新たな世代の新たなあり方の家族像、農家像も朧げながら見えてきました。

これからは、未来を見て歩んでいける。そんな気がします。


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