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流せ!竹 DE そうめん!!

春先、竹を割っているところを興味津々に覗きにきた子どもたちに、「じゃあ今年の夏はみんなで流しそうめん、する?」と言って約束したのが事の発端だった。

私が思った以上に子どもたちは楽しみにしてくれていたのを知ったのは夏の始め頃だった。

春の頃とちがいコロナの状況は悪化していたから、本当にやるかどうか悩んだが、幸いに子どもたちは3兄弟。同じ家族であれば危険は小さいだろう。

そして、やるならとことんの遊布野、まずは京都のいちばん上の舞鶴まで竹を切りに出かけた。

ついでにセミをとり、海に飛び込んだことは言うまでもない。

切ってきた大きな丸竹をまっぷたつに割り、節を抜く。
竹に渡したナタの刃を、金槌でゴンゴンと打ち込んでいく。節は金槌で叩き飛ばした後、ノミで残りを削っていく。

このノミはじいちゃんが私に譲ってくれた形見である。初めて使ったが、じいちゃんはきっと喜んでくれているだろう。いつも私にこれでおもちゃを作ってくれたじいちゃんだ。受け継いでるぜ、じいちゃん。

私も竹で流しそうめんは初めて。ネットを見ながら試行錯誤して竹を組む。そんな遊布野を、入れ替わり立ち替わり家から出てきて眺める近所のみなさま。

「まめにいろいろやってるなあ」「完成したら見せてや」と口々に声をかけてくれる。子どもたちも、「これでそうめん流すの!?」とキラキラした目で駆け寄ってくる。

心折れるような悪天候続きだったが、その目を盗みながら準備ができたのは彼らのキラキラのおかげかもしれない。それにしても、私が作業のできる時間だけ狙ったようにゲリラ豪雨を降らせるのである。何度雲に向かって吠えたかわからない。

そして当日。予想を覆す(かどうかがその時までわからないにっくき天気ではあるのだけれど)曇天の空の下、早朝からセッティングにかかった。

竹を乗せる台になる二本の竹を交差させてしっかりと結わえる。その脚をブロックでしっかりと固定して立たせる。

その上に、洗剤で洗い、煮沸して消毒した竹を乗せる。

…乗った!!

もちろん雨の想定も。 

うまく組めたことによりテンションは爆上がり。

朝の5時から試運転を兼ねた早朝ひとり流しそうめんを展開した遊布野は、それを大家さんに目撃されて麺つゆ片手に挨拶するという謎の経験をしたのであった。

お昼過ぎに外に飛び出してきた子どもたちは、完成した流しそうめんセットを見て大変喜んでくれた。

端材の竹を取っておいて、その中から自分で選んだもらった竹を、手を添えていっしょにのこぎりで切って自分だけの器を作る。

そしてコンロも持ち出し、外でいっしょに麺をゆでた。

体験型のイベントにしたかったのもあるが、なんのことはない、単純に仕事が長引いて準備が間に合わなかったという話なのだ。

何ごとも臨機応変が大切だろう。でも何でも自分でやりたいお年頃の子どもたちにとってはむしろ楽しかったようだ。

ひと通り私が流してみんなが食べた後は、みんなでかわるがわる流し役を交代しながらそうめん流しを楽しんだ。

途中から、「いかに掬われずに難しくそうめんを流すことができるか」という、流しそうめんの定義を覆すバトルが展開された。いちばん小さいちびちゃんは戦線を離脱し、竹の真下に陣取って滝のように流れ落ちる水と戯れながら、こぼれそうめんたちをザルから掬って食べていた。

そしてザルの中の麺を掬うのに夢中になりすぎて流れ落ちる滝を頭で受け止め、お母さんにタオルで髪をわしわしと拭かれていた。

子どもたちといっしょにいると少し視線が下がる気がするのだ。
それが大人と子どもの立場の物理的で歴然とした壁なのだけれど、それを越えてきてくれる子が近くにいてくれるのは私としても新鮮で楽しく、学びのあることだったりする。
 
恩師の「僕は教育ではなく、共育だと思っているんだよ」と言う言葉が浮かぶ。

お母さんはお礼を言ってくださるのだけど、心から「こちらこそ」なのである。コロナ禍というだけでないご時世もあるし、こういうつながりってお互いに結びづらいものだろう、一般的に今は。

それに私は見る人によっては不審者に分類されてもおかしくない自覚もある(あるんかい)。

不思議に思っていたら、実は私が前の家に住んでいたとき、家の前で網戸を作ったり木材を加工したりしているときに出会っていたことが判明。

確かにあのときも、ものすごく興味をもって間近で見ていた子どもたちがいたなあ、と思い出した。私は例によるトリアタマですっかり忘れてしまっていたが、子どもたちに私はわりと初期から「いつもおもしろいことをやってる近所のお姉さん」として認識されていたのだろう。なるほど。

そして日ごろの善い行いのおかげか雨はお開きになるまで降らず、片付けの終わるころに降り始めた。奇跡だ。本当に、約束が果たせてよかった。

みんなの関心はいつのまにか端材の竹に移り、割ってみたいと言うから最新の注意を払ってナタでの竹割りワークショップ開催。



そして次の約束は、今日みんなが割った竹で工作をすること。
何がいいかな。ドアチャイムか、竹灯籠か、木琴ならぬ竹琴か…、と、考えを巡らせる遊布野である。


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