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不器用な恋を読む

─さて、何をあなたに云おうと思ったのかなぁ・・

大恋愛モノというような小説はあまり好まないのですが、別の主題を持つ小説の中の恋愛模様が大好物なわたしです。

例えばツルゲーネフの「父と子」は世代間のギャップであるとか、その時代の思想をテーマにしているのですが、わたしはこの作品を恋愛小説のように読んでしまいます。

主人公のバザーロフは、ニヒリストで可愛くないインテリで、不器用ものです。相手に対して不器用というよりむしろ、自分の中で 恋愛というロマンチックな感情が信条と矛盾してしまい折り合いがつきません。

一方、彼が恋した未亡人。美人の彼女はいわゆる恋愛体質ではなくて、とてもクール。
こんなふたりですから、お互い相手に興味も好意も持っていたのに、 上手くいくはずはなく恋は成就しません。

物語を繰り返し読めば読むほど、バザーロフのことが何だか憎めなくて好きになります。ああ、彼は突っ張っているけれど、こんなに人間らしい奴なんだな、と思うわけです。一見難しいこと考えているわりに単純でわかりやすい人柄です。最後まで突っ張ったままですけどね。

その突っ張りの頂点が「さて、何をあなたに言おうと思ったのかなぁ」 を含む今際の際の台詞です。この長い台詞のこの部分がとても好きなのです。彼の本心が見え隠れしていて、そのぎりぎりの強がりが、彼を余計に人間らしく見せているような気がして。

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カズオ・イシグロの「日の名残り」も主題が別にある中とても重要なエピソードとして淡い恋が描かれている作品です。わたしの大好物なタイプ。読後、長らく余韻に浸れました。

生真面目で少々滑稽に描かれたりもする主人公ですが、相手への淡い想いを胸に仕舞ったまま、始終紳士的です。だから、もちろん何も始まりません。相手が幸せであることを確認したら去ってゆく、草食系の極みみたいな人。

でも、その相手への想いは、きっと彼の人生にかけがえのない彩りを添えている筈で、そのことを思うとき、何か切なさとは違う温かな気持ちに包まれるのでした。

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よくよく思い出すと、わたしの本棚にはその信条やコンプレックスから恋愛に対して不器用な主人公が集っているような気がしてきました。

ヘッセの春の嵐とか、トーマス・マンのトニオクレーゲルとか、ロスタンのシラノドベルジュラックとか。いや、シラノは鼻以外はめちゃめちゃ男前で不器用という言葉は当てはまらないけれども。でも彼らの恋は成就しません。

結局、わたしは片想いの話が好きなだけなんだろうか、しかもハッピーエンドを好まないのは、何か性格的に問題があるのだろうか、と、やや自分の感性が心配になってきました。笑

多分、どうしようもなく彼らに共感するんだと思います。わたしも不器用で素直じゃないから。

切ない物語は哀しみだけでなく、人は孤独であることを知る主人公達の、ある種の清々しさを感じさせてくれます。それは彼らの生き様の美しさでもあって、その美しさに不器用なわたしも肯定されるように思うのです。

ややこしいな、わたしも。

そんなわけで、本棚に住む彼らとは、良き友人になれるような気がするのでした。






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