見出し画像

陶磁器17:日本の焼き物(愛知県:瀬戸焼)

おはようございます。
今日は朝から快晴で日差しはあるもののもはや空気は秋色で、台風一過のような状況でも真夏のそれとはもはや違ったものになりそう。まだまだ雨自体は降る地域も多いようだけど、なんとかやり過ごせますように。

さて、日本各地の焼き物の名産地をピックアップしたところで、具体的に1つずつ見ていこう。
7回目の今日は、北陸から中部に南下して、愛知県の瀬戸焼。

瀬戸焼(陶器、磁器)

瀬戸焼は、愛知県の瀬戸市を中心とした東濃地方で作られている焼き物。美濃焼の特徴は多様な種類が存在し、美濃焼は1つの様式を持たず、15種類が伝統工芸品として指定されている。様式がなく「特徴がないのが特徴」といわれることも。
瀬戸焼は、日本古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な窯、越前焼、常滑焼、信楽焼、丹波焼、備前焼と共に日本六古窯」のひとつに数えられ、瀬戸焼は唯一、中世から施釉陶器が発展した産地。釉薬を使った焼き物は素焼きに比べて耐水性に優れており、また、釉薬ならではの色や模様などが実用食器として好まれた。このため陶磁器は総じて“せともの”と呼ばれるほど有名に。

同時に、瀬戸焼は、数多くある日本の焼き物の中でも日本三大陶磁器にも数えられており、この日本六古窯と日本三大陶磁器の両方に選ばれている唯一の産地という点でも日本の焼き物界においてその重要性がわかる。
日本国内で最も古くから赤い色の絵付け技法を浸透させた、日本最古の磁器:有田焼、シンプルな志野焼から赤色・青色・黒色の着色を釉薬によって模様付きで描き、日本人に最も多く日常生活で使われている陶器:美濃焼とともに、日本で最も古くから釉薬を用いて陶器を完成された最古の陶器として瀬戸焼は知られている。釉薬を使って、素焼きした焼き物の強度を高めるため、つるっとした触り心地をつけるため、また作品に鮮やかな色をつけるため、作品の焼成前に満遍なく塗って焼き上げていく。こうして作品が完成されたものが「瀬戸焼」と呼ばれるもので、他の焼き物に先んじてお茶会やその他の用途で、伝統工芸品として多く日本国内へ供給されてきた。

歴史

瀬戸のあたりで焼物が作られ始めるのは非常に古く、古墳時代にまで遡る。
平安から鎌倉時代にかけては、日宋貿易の興隆によって大陸から陶磁器が大量にもたらされた。これまでの国産灰釉では太刀打ちできなくなっていったようで、瀬戸にも色々な変化がもたらされることとなる。この頃から瀬戸の焼物は茶陶(茶の湯に使う陶器)が主流なり、実用食器の産地としての役割は大きくなくなっていく。

瀬戸の焼物が他の地域の焼物とは違った特色を発揮するようになるのは、だいたい鎌倉時代の初めごろのこと。日本の焼物には地域ごとに強い個性があるが、瀬戸で作られたものの一番の特徴は釉薬がかけてある陶器だったということ。瀬戸焼が唯一、鎌倉時代に日本で釉薬をかけた焼物を作っており、他の地域で作られていた焼物のほとんどは釉薬をかけていないものだった。
鎌倉時代、この時代のいわゆる古瀬戸の手法は、紐づくりをして別に挽いた口頸部を付けてから、外部の全体を轆轤で仕上げるやり方であったそうです。灰釉や鉄釉を施し、胎土の柔らかいうちに印を押して陰文を施す陰花文、ヘラ・釘・櫛などによって彫りつける画花文、粘土を器全体に張り付ける貼花文などで陶器を飾るようになっていく。美濃での志野のさきがけとも思われる長石粉の使用が見られた。

室町時代での見るべきものは天目茶碗と茶入。天目茶碗には、他にはない和風の質の高いものが見られる。
桃山時代に入り、この時代に侘び茶が完成し、これに合わせて唐物から和物の中に美を見いだし茶会を変革させた。これにより瀬戸焼の茶壺・茶入れは茶人の鑑賞に十分耐えうる品格まで磨き上げられていった。また、織田信長の保護政策などで産地が守られ、この時代の窯跡からは織部・志野・黄瀬戸といった、瀬戸の特色ある大鉢や絵皿が発見されている。
しかし、戦国時代の瀬戸は「瀬戸山離散」の言葉通り、瀬戸の地を離れて、美濃焼などの各地で瀬戸ものが焼かれるようになっていった。

そして、江戸時代に入ると、九州の有田が販路を拡大する中、瀬戸は苦難の時期を迎える。江戸後期(1807年)九州の有田などで磁器を学んできた加藤民吉が瀬戸に戻り磁器生産を本格化すると、瀬戸の焼物を取り巻く状況は一変する。これ以降の瀬戸の焼物は、旧来の陶器を「本業焼」と呼ぶのに対して磁器を「新製焼」または「染付焼」と呼んで区別するようになる。「新製焼」は時代の潮流をうまく捉え、生産を拡大させていく。
明治時代に入り、瀬戸の焼物は海外にも多く輸出されるようになった。
昭和に入り、大戦後、日本経済の復興とともに瀬戸の陶磁器も立ち直り国内外で隆盛を誇る。しかし、高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、中国など海外の安い製品が出回るようになると、量産日用食器の産地である瀬戸は当然大きなダメージを受ける。
現在では、組合に登録している窯元も最盛期の1/4ほどとも言われるほど厳しい状況だが、「本業焼」も「新製焼」もそれぞれの個性を磨き、実力が真にためされる時代にきていると言える。

地理

愛知県の瀬戸市を中心とした東濃地方で作られている瀬戸焼だが、この産地は一山北に抜ければ、岐阜県・東濃地域(多治見市・土岐市・瑞浪市・可児市)がすぐに控えるような、THE焼き物エリア。名古屋市から見ると真東からちょっと北に登ったくらいの右上に位置する。
また、この地域にはその名も瀬戸川(赤津川と合流して一流河川の矢田川になる)が流れており、ここでも土作りと水運で役立っていたものと思われる。

作り方

  1. 成形 瀬戸焼の作り方はろくろや手捻り、押し型などを用いる事例が多く目的に応じて選定した作り方で成形する。

  2. 素焼き 手がけている物に対して掘るようにして模様をあしらったり飾り付けなどを行った上で素焼きを行う。

  3. 本焼き 素焼きを行った後は釉薬を使用して本焼きの工程に移りますが、美濃焼と認められて伝統工芸に指定されるものは15種類に及び各々の淡い色や素地が持つ柔らかい印象の質感、釉薬がもたらす仕上がりとなっていく。


*上記の情報は以下のリンクからまとめています。

https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/list/?category=4

http://www.mingei-okumura.com/fs/mingei/c/seto




僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。



皆様も、良い一日を。

いいなと思ったら応援しよう!