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ダブルマイノリティの悪夢

ぐわんぐわんと頭が痛い。体が疲れを訴えている。気圧のせいではない。爆弾低気圧は昨日過ぎ去ったはずだから。理由は明白だった。

面接を受けに行った。私のしたことを言葉に表せばこんなに簡単に表現できてしまう。どっぷり疲れて、沈みこんで、もうベッドにいるというのに。それでもやったことが、面接に行って帰ってきた、だけなのはたしかだ。

体力がないのだろうか。それは事実だと思う。でも、体力がないだけでもないような気がするのだ。外に出るということが、とてもしんどかった。服を選ぶ、メイクする、鞄に物を詰める。書いてみればこんなにも簡単なのに、この手順がひどく面倒だった。

こんな状態で求人に応募したこと自体、間違いかもしれないと面接に行くまで何度も思った。昨日今日と悪夢に見舞われ、朝は夢と現実の区別もつかず、起きるということに膨大な労力を費やした。昨日は気圧のこともあって、調子が悪かった。

それでもこの面接には行かねばならなかった。この不調が、行ってしまえば治るものだと知っていたから。行かなければそれはそれでしこりとして残る。行けなかったという結果が積み上げられてしまう。それはそれでマイナスだ。次の動きにまで響いてくるマイナス。今日行けなかったら応募できる状態になるまでまた時間を要する。だから行くしかなかった。

今回の応募は障害を完全にオープンにしたものだった。完全に、と注がつくのは、私は発達障害のことについては言わずに就活した時期があったからだ。目のことは言わなくてもわかってしまうものであるし、アルビノである見た目を髪を染めるなどして変えるつもりはなかった。けれど、発達障害であることについては先方に伝えるのが恥ずかしかったし、そうだとわかると採ってくれないんじゃないかと思って言わずにいた。言わずに入ってしまえばいいと思っていたことも否定しない。

結果、その就活は失敗し、入った先で休職、退職となって、紆余曲折を経て今に至る。その経験から障害をオープンにして働くことを決意した。

障害をオープンにしたら採ってくれないところに入っても、後からその理解のなさに苦労するのは自分だ。これ以上、仕事選びで"失敗"したくない。

そんな思いで履歴書の備考欄に障害について表記して、臨んだ面接。

夢の中では面接官に差別的な態度を取られ、不採用の空気が色濃く出ていた。障害者が面接に行こうとした時にそんな悪夢を"現実に起こりうること"として想定しなければならないのが、この国の現実であり、私の現実だ。

面接では、悪夢のようなことは起こらなかった。「これは見えますか」と聞かれることはあっても「そういう人は採ってないんだよね」なんて言われることはなかった。でも言わないだけで、内心では障害を持たない他の応募者に採用を決めているかもしれなかった。

当たり障りのない対応をして、障害を理由にせず、落とすことができる。勿論落ちる理由は障害だけではない。障害がなければ応募者の中で間違いなく一番だとか、そんなこともない。でも、障害がなければ応募者の中での順位が上がるのだろうという気はする。すごくする。

被害妄想と切って捨てられない現実が、そこにあるのだ。

テーマがマイノリティの現実の人なので、アルビノの私の見た目について、一言も触れられなかったこともしっかり書いておく。見た目について触れられなかったことは対応として満点ではないけど、合格点だと思う。本当は「見た目について外部の人に何か言われても守ってあげるよ」と言われたかったのだが、それは高望みかもしれない。

15分ほどの面接だったのに、1日分疲れた。私は帰りにコンビニでプリンとスムージーとアイスを買った。帰ると母が「行けただけでもよかった」と言い、買ってきたご褒美のスイーツを見て、「そんなんでご褒美って言ってたら私は毎日ご褒美買わなきゃいけない」と言ってきたので無視した。今の私には面接に行けたことは大進歩なのだから、ご褒美は適切なのだ。つらさは比べるものではない。

それから少しして、オリンピックの聖火ランナーにアルビノの人がいるという話を振ってみた。

聞かれたままに石井更幸さんのしてきたことを伝えると、「ふうん」と言った後に、「アンタも応募すればよかったのに」なんて言う。

あなたの娘には、体力がない。間違いなく言える。

生まれ変わったら画像のような美少年になりたいな、と思いつつ、寝る。

執筆のための資料代にさせていただきます。