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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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#とは

他人と自分の、正しい比べ方。

誰かと自分を比べるのは良くないという考えについて、どう思われますか? 誰かと自分を比べる。 兄弟を比べる。 容姿を比べる。 学力を比べる。 「比べる」にもたくさんあって、比べるのは良くないとか、意味がないという考え方が一定数あるのは確かだと思います。 無意味な比較は何も生み出さないどころか、マイナスイメージになるからです。 ここで言うところの「マイナスイメージ」とは、つまりはマインドの話になります。 比べることで自己否定に走ったり。比べることで諍いになったり。比べること

自分らしくないことは、できない。

自分を良く見せることが必要な時があります。 それは好きな人に会う時かもしれないし、大事な商談や面接の時かもしれません。 見た目が相手に与える印象は侮れないし、何よりも見た目だけでも万全に整えることで自分に自信を持てることだってあります。 自分メディアを持つことが容易になった今、例えばSNSのアイコン一つにも「自分を見せる=魅せる」といったある種のテクニックといったものも必要になってきました。 私自身も「自分を良く見せる」ことで、何かを達成したりした経験があります。服装や表

優しさとは、その人の可能性を信じること。

たまに私は、自分を冷たい人だと思うことがあります。 いや、たまにじゃないかも。週一くらいで感じているかもしれません。 過去にも「塩対応だった」とか「しょっぱかった」とつっこまれたことがあります。でもその殆どが意識的にそうしているので、反論することなく「うん」と答えてしまいます。 持論を述べます。 「優しさ」って、曖昧なんですよ。 細かく何でも気づいてあげて、「どうなの?」「こうなの?」と聴いてあげる。聴いてもらうことが「優しさ」だとしたら、私の中にはその要素が薄いとい

私を連れて行くものは、だいだい決まっているのだ。

アスリートが、モチベーションを上げるために試合前に決まった曲を聴いたりしますよね。 気持ちを高揚させたり、落ち着かせたり。音楽っていうのは、人の心にとても影響を与えるわけです。 お恥ずかしながら、アスリートでも何でもない私ですが、生活の一部のように音楽があります。 先日、自己紹介noteを書きました。 ここに、「あらゆるジャンルの音楽が好き」と記したのですが、めちゃめちゃ大雑把なので少しだけ詳しく書いてみることにしました。 あらゆるジャンルって何よ?要はいろんな音楽が

簡単な文章しか書けないから、分かりやすい。

たまに「分かりやすい文章だ」と言っていただけることがあります。 でも実際のところ、注意力がとても低いので誤字脱字があったり、接続詞やらがおかしかったりする文章を投稿することが多いです。 もちろん気づいたらすぐに訂正します。 それから、たとえ分かりやすい文章だったとしても、興味を引く文章であるかは別問題なので、こうしてnote毎日更新を続けて日々精進しているわけです。 ちなみに「注意力がとても低い」と書きましたが、大昔、車の免許を取るために教習所に通ったことがあり、初めの適

自分軸と他人軸を決めるのは何か?

以前に「自分軸」と「他人軸」という言葉に触れたことがあったのですが、日常生活で頻繁に使うものでもないので、頭の中の引き出しにしまい込んでいました。 今日突然、この二つのワードが頭に浮かんだので、引き出しから取り出してみたわけです。 まるで衣替えのように久しぶりに取り出した「自分軸」と「他人軸」は、その字面だけで想像がつくような、つかないような、そんな雰囲気でした。 簡単に言えば 「んー。これって何だったっけ」という気持ち。 ググってみたら、いろいろ出てきたのだけれど、

「どうしたらいい?」の前と、「だからなに?」の前。

たまにネット上で、「他人に聞く前にググれよ!」みたいなコメントを見ることがあります。これ、個人的には大賛成です。 統計とか確認していないですが、恐らくはスマホか携帯電話を持っている人がほとんどだと思います。こういったガジェット類を持っていない人は、そもそもネットに「教えてください!」とは投稿しないはずです。 だからこそ、ツッコミたくなりますよね。 いろいろ試したり、調べたりして、それでも分からなくて質問してくる人もいるので、そういう場合は除きますが。 それでもたまに「誰か

反抗しない子供の作り方。

うちの子たちは、反抗期がありませんでした。 下の子は高校生ですが、今さら反抗してくる気配はないので過去形にしておきます。 反抗期がなかったと言うと、「それは問題だ」とか「大人になってから大変だ」とか「押さえつけ過ぎじゃないの?」とか言われることがあります。 問題かどうかも、大人になってからどうかも、私にはわかりません。 それは本人たち次第なので、正直、どうしようもないからです。 ではどれだけ私が穏やかな人なのだろうと、想像する方もいるかもしれません。まぁ、見た目は大人しい

伝わらないと思って、伝えること。

毎日言葉を発しているし、毎日言葉を紡いでnoteを書いている。 自分自身に向けてだったり、架空の誰かに宛てたものだったり。書いたものが誰かの目に触れることを考えつつ書いている。 言葉というものは、誰かに何かを伝えるためのツールだ。 世界には様々な国の言葉があるし、その国の言葉ですら地方性があり「文化」とも捉えることができるだろう。 「発声」として言葉を伝えることもあれば、「書く」という手段で伝えることもある。音に乗せれば「歌」になるし、映像と合わせれば「動画」にもなる。

罫線のないノートに書く思考。

今日、とあるイベントに行ってきました。友達を誘って一緒に参加したので、帰りがけに感じたことなどを会話でシェアしながら歩いていました。 ワタシはメモを取るのが苦手です。 理由は、書くのが遅いから。 自分でも少なからず感じてはいたのですが、以前、子供に「書くのおっそ!」と言われてから自覚を深めました。 書くのが遅いので、頭に浮かんだことを記している間に次の着想が湧いてきてしまいます。でも書きたい。でも追いつかない。 このタイムラグが非常に非効率なため、気持ちを文章としてメ

モチベーションを保つ方法

昨日の noteで、「モチベーションが下がらない。」という記事を書きました。その下がらない張本人は私のことです。 この記事を読んだ友達から、「あなたは自己肯定感が高いから下がらないんじゃないの?」とコメントをもらいました。 まぁ、その通りなのですが、自己肯定感が低い人の場合はそうもいかないと思い、今日はまたモチベーションについて書きたいと思います。 私自身が、自己肯定感が高いと自覚したのは半年くらい前です。そもそもそれ以前は「自己肯定感」という言葉に触れない生活をしていま

共感の落とし穴。

人は共感する生き物だ。共感性というのは、本能的に備わっているらしい。共感性がなければ、友人はできない。 女性は特に、共感を好む。 同じ思いを共有してくれる、頷いてくれる存在に安心感を覚える。 もちろんこれは自然なことで、悪いわけではない。 共感してくれる人を求めるのは当然のことだ。 共感しない技術。 私が、仕事として人の話を聞く時に気をつけていることがある。 それは「共感しないこと」だ。 共感することで、相手が親近感を覚えてくれるかもしれないと思いつつ、自分の中では

習慣化とは、生きるために人が得た「仕組み化」である。

ワタシが習慣化しているnote毎日更新。習慣化で起こった自分の変化を考えてみたところ、いろいろな気づきがあったので書き記しておこうと思います。 このテーマは、昨日書いた記事に続くものです。 現在、習慣化に食いついているワタシですが、元々は一つのことに集中するタイプではありません。ネットサーフィンという言葉が・・・(死語なの?)ありますが、「思考サーフィン」みたいな癖があり、習慣化について考えていたはずが、ふとしたきっかけで全く違うことを考え始めてしまう人です。 仕事に集

習慣化したことで分かった、習慣化の大切さ。

note毎日更新は、正直たいへんです。 たいへんなのに、辞められない。 続けてしまったがために、辞められません。 習慣化恐るべしですが、今日、半日は「習慣化」について考えていました。 note毎日更新を決めていて、夜の時間帯に書くことにしているので、「夜といえばnote」という習慣化がワタシの中に根付いてしまったことになります。(あえて、後悔しているような書きかたですが) 習慣化してしまうと、「それをやらないと、気持ちが悪い」という状態になるんですね。 noteを更新