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罫線のないノートに書く思考。

今日、とあるイベントに行ってきました。友達を誘って一緒に参加したので、帰りがけに感じたことなどを会話でシェアしながら歩いていました。

ワタシはメモを取るのが苦手です。

理由は、書くのが遅いから。
自分でも少なからず感じてはいたのですが、以前、子供に「書くのおっそ!」と言われてから自覚を深めました。

書くのが遅いので、頭に浮かんだことを記している間に次の着想が湧いてきてしまいます。でも書きたい。でも追いつかない。

このタイムラグが非常に非効率なため、気持ちを文章としてメモしたい場合はPCのメモ帳に打ち込むようにしています。

とはいえ、メモを取る重要性は認識しているので、普段からノートを持ち歩いてはいます。
家でもPCの隣には1冊のスケジュール帳と大きめのノートが常にある状態です。


さて、話を戻すと、イベントの帰り道に感想をシェアしていたところ、


「メモの取り方が、矢印とかを使っているからグラフィックレコーディングみたいだね」

と言われました。

グラフィックレコーディング(略称:グラレコ)は、イラストなどで会議や講演などの議論を可視化して共有するものです。

人の話を聞きながらメモを取る時は、自分なりに「可能な限りのメモを取る行動」を起こしているので、そこまで意識する余裕がなかったのですが、改めて指摘されると矢印を多用していることに気づきました。

ちょっと気恥ずかしくなりながら答えました。

「そうかもしれない。あと、罫線があるノートって苦手なんだよね。線を描きたい時とか、まっすぐ描けないとか、余計なことを考えるのが嫌で」

・矢印
・下線・二重線
・囲み(四角・丸)
・イラスト

帰宅後、自分のノートを見返してみると、確かに多かった・・・。

それから汚い。
汚いというのは謙遜ではなく、手元を見ないでメモすることもあるから何を書いているかわからない文字もあるし、書くのが遅い対策として「ひらがな」を多用しているためわかりづらい。笑

自己分析してみたところ、ワタシのメモの取り方は「文字だけどイラスト」のような状態なのではないかという結論に至りました。

本物のグラレコには程遠いけれど、頭に浮かんだことや見聞きしたことを、イラストのように記していきます。記したものを繋げるのが矢印です。
今回のように、他人の話を聞きながらメモしているのだけれど、話し手が口にしたした言葉に続けて自分がその時にどう感じたかも、矢印を使って関連付けていっていることがわかりました。(だが、絶望的に汚い。)

思い浮かんだのは「資質」のようなものでした。
ワタシは小さい時から絵を描くのが好きで、幼稚園の先生にも「ゆかりちゃんは絵を描くのが好きねぇ」と言われていた記憶が残っています。
自由時間に友達と遊ばずに、ひたすら画用紙とクレヨンを手にしていたワタシを、心配してくれたのかもしれないです。
見返したメモを観察していたら、この時の記憶が蘇ってきました。


罫線のないノートに書く思考。

罫線のないノートは、ワタシにとっての「画用紙」「お絵かき帳」です。
メモを取ることに、若干のコンプレックスのようなものがあったので、スッキリした気持ちになりました。

これからもこのやり方で、ワタシはこれからも自分の思考をメモしていくでしょう。
どんなに素晴らしい「メモの取り方」よりも、ワタシらしい思考を表現した、絶望的に汚いメモを。

・・・*・・・*・・・

息子が小学生の時、「割合」の問題が宿題がわからないと言ってきたことがあります。
『魚屋で魚を買う時、○割引されると値段はいくらになるか』

ワタシは数学はおろか算数もできない人です。
が、「小学生だろ? よっしゃ、どんと来い!一緒に解いてやるぜ!」と意気揚々としてペンを取りました。

魚屋の店舗を描き、魚を一匹ずつ嬉しそうに描き始めたワタシに息子が言いました。
「おかあさん、面白いけど、やっぱり自分で考える。」
そう言って自立心を育ててしまったことは、微妙な思い出となっています。




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