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紫がたり 令和源氏物語 第二百九十話 梅枝(一)

 梅枝(一)
 
玉鬘への想いを悶々と持ち続ける源氏ですが、太政大臣という国家の要の人でもあり、明石の姫の父君でもあるわけで、年が明けると姫の裳着に向けて着々と準備を始めました。
春宮は御年十三歳におなりになり、二月には元服の儀が執り行われます。
明石の姫は十一歳になり、裳着を済ませた後は春宮の女御として宮中に上がられるのです。
正月の節会を終えて睦月も終わりの頃、源氏は六条院の女君たちに明石の姫が入内する際に持たせる香を調合してほしいと依頼しました。
上質の持ち物こそ貴婦人には相応しいものです。
源氏は二条邸の蔵を開けさせ、古くから伝わる名高い香木やその昔高麗人から献上された綾や錦を御前に運ばせました。
それらは古びた様子もなく、逸品というものは味わいを増して趣があるものです。
大臣の姫たる尊い貴婦人の持ち物には相応しいのでした。
源氏は香木をそれぞれ均等に女君たちに分けました。
自身も香を整え、その中で優れたものを姫に持たせようということで、競い合いのように六条院は活気に満ち満ちております。
ごろごろと石臼の音が響き、それぞれの女房たちは手の内が知られないようにと気を遣っております。
紫の上も調合は負けられぬと密かに部屋を用意し、どのような調合か露見しないよう厳重に几帳を幾重にも連ねて用心しております。
 
調合というのは実に個性の出るものなのです。
例えば「黒方」という香があれば、どの材料を使うかは定められておりますが、その分量、匙加減というものは調合する人のセンスに委ねられるのです。
もしも調合された香が被ってもそれは微妙に違うわけで、自分の香が選ばれるように、と感覚を研ぎ澄ませ、各々が研鑽に励んでいるのです。
香はとても扱いが難しく適度な湿り気が保たれなければ香気が損なわれてしまいます。調合した香を保存するのもそれぞれ工夫し、源氏は西にある渡り廊下の下の遣り水のほとりに埋めておいたのでした。
どうやら首尾は上々のようです。
 
翌如月の十日。
明日に姫の裳着の式を控え源氏は感慨深く庭を眺めておりました。
そこへ弟宮の兵部卿宮がご機嫌伺いに伺候しました。
かわいい姪の晴れての裳着を前に源氏にお祝いを述べようとやってきたのです。
宮は玉鬘を得られなかったことを惜しく悔やまれておりますが、源氏とは昔から親しくしておりますので、そこはそれ、何よりこの宮は風流人として名が通っており、趣味の良さ、審美眼が優れていることから源氏はその訪れを心から喜びました。
香を判断してもらうのにこれほど適任な御仁はおられぬでしょう。
折しも兵部卿宮と談笑していると朝顔の姫宮から香が届けられました。
「兄上、それは何です?先の斎院からと口上はありましたが」
「うむ。実は香の調合をお願いしたのだよ」
源氏が美しい沈の箱を開くと、中には紺瑠璃と白瑠璃の香壺が納められておりました。紺瑠璃には五葉の松、白瑠璃には梅が心葉として添えてあり、結んだ組紐も色とりどりで華やかです。
このようにただ香を調合するだけではなく、納める壺の美しさ、飾りなども趣向を凝らして雅なことはこの上ありません。
兵部卿宮は源氏が以前から朝顔の姫宮に想いを懸けていたのを知っていたもので、源氏が手紙をそれとなく隠すのをおやおや、と見ないふりをしました。
「湿り気もちょうどよく香をきくにはよいと思われませんか?ぜひ宮に判じてほしいのだが」
「私などに務まりましょうか」
などと宮は謙遜されましたが、集められた香を試せるのであれば光栄なことだ、と背筋を伸ばしたのでした。

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