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紫がたり 令和源氏物語 第三百二十四話 若菜・上(十八)

 若菜・上(十八)
 
あの人のまっすぐなところは昔のままであったよ。
源氏は昼陽から姿を隠すように御簾を深く引き下ろして、ぼんやりと考えておりました。それはまるで己の罪を隠し覆うが如く。
そして女の最後の盛りに艶やかさを増した朧月夜の姫が忘れがたく、また逢いたいと願わずにはいられないのです。
 
六条院に戻り、見咎められないよう居間に入ったものの、どうしてごまかせましょう。
紫の上は寝乱れた源氏の姿を見て見ぬふりをしました。
男心とはなんと勝手なことか、源氏はこのように紫の上が何も言わないことを却って寂しく感じるのです。
以前は浮気を察した紫の上がちくりと皮肉を言うのが心苦しく、せめてとやかく言うのはやめてほしいと願っていたものが、実際紫の上が関心のないようであると自分への愛が無くなったのでは、とそう不安になるのです。
源氏は女房たちに仕事を差配する紫の上につきまとうように声をかけるのを躊躇いながら様子を窺っております。
紫の上はそんな源氏が疎ましく、御座所に腰を据えると庭を眺めました。
梅の花はもう散っていましたが、春に向けて木々の芽は大きく膨らんでおります。
春の日差しが温かく、白い蝶がちらちらと舞うのがなんとものどけく感じられました。
源氏はしばらくはなんと切り出そうか迷っていましたが、結局言わずにはいられないようで、ぽつりと呟きました。
「朧月夜の尚侍と会ったのだよ」
紫の上にはすでにわかっていたことなのでなんの色も表しません。
変わらずに白い蝶を目で追うばかりです。
「ほんの障子越しに会っただけだよ」
源氏の嘘はすぐにわかるものなのです。
「華やかに若返られたようですわ。懐かしい夢はさぞかし甘美であったことでしょう。お忙しいですわね」
嫉妬など微塵も含まれない紫の上の瞳はまっすぐと源氏をみつめています。
それはいつぞやの虚ろのような瞳ではありませんでした。
そんな上の様子が源氏の背筋を冷たくさせました。
 
思えばいつからこの人は私を見て笑わなくなったのだろう?
拗ねるようなこともなく物わかりがよくなってしまったのは私への愛が無くなってしまったというのか?
 
そう思うと、源氏は取り残されたような気持になって、紫の上の心を覗こうと真正面に見据えました。
まるで他人を見るようなその瞳、いつからこのような目で自分を見ていたのか。
「どうか笑っておくれ」
源氏は縋るように紫の上の袖を取りました。
「面白くもないのにどうして笑えましょう」
紫の上は困ったように目を伏せて、源氏はその応えに愕然としました。
二人の契りが変わらぬことなど言葉を並べて誓いますが、それがうわべだけのものであると上には思えてなりません。
紫の上の心を掬おうとするように源氏はその身を抱きしめますが、まるで掌から砂が零れ落ちるように頼りないのです。
紫の上はただその身が穢されるように感じるのを悲しく思うばかりなのでした。

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