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紫がたり 令和源氏物語 第三百二十五話 若菜・上(十九)

 若菜・上(十九)
 
源氏の娘、春宮女御明石の姫君は慣れない宮中での生活で、ここのところ気分が優れないご様子です。
実母であり今は姫のお側近くに仕える明石の上はどうしたことかと訝しみました。
「姫、何か御心にかかることでもおありですか?」
「いいえ。ただ体に力が入らず気怠いのです」
「それは・・・」
上がもしや、と推察した通り、姫は御懐妊されているのでした。
まことめでたいことではありますが、十三歳という若さで子を身籠られるとは、明石の上は女御の小さな体が心配でなりません。
女御が快適に過ごせるよういろいろと気遣い、ちょっとした際にも体を休められるよう御座所を整えました。しかしながら子を宿した御身は何しろ普通の状態ではありません。
体内の子供が成長するほどに気怠く、食事の匂いを嗅ぐやそれを受け付けないのです。
身重とはまさに文字通り、日に日に身が重くなるように感じられ、それは健やかな精神をも蝕んでゆくのです。女御にとってこの内裏での生活は息苦しく感じられるようになられました。
そこで春宮に宿下がりを何度も申し出たのですが、寵愛が深すぎるあまりに姫をお側から離したがらずにいらっしゃるので、ようやく念願叶う頃には秋になろうとしておりました。
 
源氏は姫の懐妊を喜びましたが、葵の上を出産で亡くしているので心配なことこのうえありません。
せめてゆったりと過ごせるようにと部屋をしつらえさせました。
女三の宮の住まわれている寝殿の東面に日当たりの良い部屋があるので、そこへ姫を迎えようという考えなのです。
中仕切りの板戸を挟んで女三の宮とはお隣となるので、これからは姫に会いにそちらに足を運ぶことも多かろうと考えた紫の上はこれを機に女三の宮に挨拶をしておこうと源氏にお伺いをたてました。
紫の上が辛い境遇になったからとて女三の宮が悪いわけではありません。
従姉妹ですし親しく交流したいと思うのです。
「あなたがそう言って姫宮と仲よくしてくれたらどんなにうれしいだろう。是非お会いになったらよろしいでしょう」
源氏は密かに女三の宮の幼さだけではなく、思慮分別も備えていないことが露見しては大変だと宮の元を訪れました。
 
「まぁ、紫の上さまにお会いするなんて、わたくし恥ずかしいですわ。どんなお話をすればよいのでしょう」
女三の宮はおろおろと顔を曇らせております。
思った通り、なんの心積りもなくては気の毒なことになるところであった、と源氏は溜息をもらします。
宮の側に機転の利く若い女房でもおればよいのですが、どうにもここの人達は鷹揚に構えていて、気の回らない者たちばかりなのです。
身分が高いというのは自然に相手が謙るので気の張る場面などには出会わないのでしょう。
「相手のお話をよく聞いて、あちら側の身になって物事を考えればよいのです。素直な気持ちでお話になれば心は通じますよ。心配されなくとも紫の上はとても優しい人ですから、お姉さまだと思われるとよいでしょう」
それでも女三の宮は不安で仕方がありません。
老い女房などはそれは紫の上を悪しく言ったりするものですから、そのような方であったらどうしよう、と緊張しておられるのです。
「身分は皇女とこちらの方が高く、正妻なのですから、堂々としておられればよいのですわ」
などと小侍従という女房(姫宮の乳姉妹)は生意気そうに意見します。
「それはそうだけれど」
父院の元にいた時にはめったに人に会うことなどありませんでした。
直接言葉を交わすこともなかったので、姫宮はやはりそわそわと落ち着かないのです。
紫の上はあちらに渡る際には、明石の上が姫の側に控えているであろうと見苦しく無いように念入りに身繕いをしました。
源氏は紫の上と女三の宮が今宵会うということなので、この機を逃してはまたいつ朧月夜の姫に会えるものか、とこちらも念入りに身だしなみを整えております。
忍び逢う大人の恋は背徳の香りに満ち満ちて、倒錯した愛を甘美に感じる源氏にとってはこの上もなく魅力的なものなのでした。

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