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紫がたり 令和源氏物語 第四百十二話 夕霧(十五)

 夕霧(十五)
 
八月の二十日頃に御息所が逝去され、七七日(なななぬか=四十九日)を喪中とするも、女二の宮の嘆きは深く、この小野からは出ずにひっそりと生涯暮らしたいと願っておられます。
その山の炭を焼くのに立ち上る煙さえ亡き母君と偲んでこの山里に骨を埋めたいとおっしゃるのを大和守は困ったことと胸を痛めておりました。
このような山奥に籠られてどうして生活が成り立ってゆくものでしょうか。母君に守られてきた御方なれば、生活のことなどご自身で差配できるはずもありません。
これだから皇女など高貴なだけで現し世を知らぬ者よ。
いっそ霞でも食べていけるのならば、その方がマシである、とさえ大和守には重荷でしかないのです。
ましてや世話をする義理などあるわけでなし・・・。
大和守にも大切な妻子があるわけで、じきに任国へも下らねばなりません。
この人は実に生真面目な性格で御息所の葬儀を出すなど親族としての義務は立派に果たしましたが、老いた母(御息所の妹)を養うのに手がいっぱいでとても宮さまとその使用人などを世話するほどの財力は持ちあわせていないのです。
宮には朱雀院という尊い父君がおられますが、仏門に帰依されておられることですし、京ならばいざしらずこのような山奥ではなかなか目も届かないことでしょう。
夕霧の大将とのことはたしかに世間の好奇の目が寄せられるに違いありませんが、これ以上頼もしい後ろ盾はいないのです。
大和守は男性で自らの力で地位を築いてきた人なので、皇族の姫のこうした世間知らずさにどう対処してよいかわからないのでした。
妹の小少将の君はその辺の事情を察しているので、やはり女二の宮の頑な心をどうにかほぐしたいと考えておりますが、当の宮さまは陽が昇ったのかもいつ落ちたのかもわからぬような有様で亡き御息所を思っては涙を流していられるのです。
夕霧からは毎日手紙が届けられてきましたが、宮がそれを読むことはなく、いつしか九月も末になっておりました。
比叡の颪が烈しく、空気も冷え込んだ山里にはもはや木に残る葉もないほどのわびしい景色が広がるばかり。
冬の足音がもうすぐそこまで聞こえてくるようで、徐々に御息所を弔問する使者も減ってきております。
宮にお仕えする女房たちはこのようなところで冬を迎えればたちまちに命はあるまいと密かに惧れ慄いております。
中には知り合いの伝手で京のお邸に務め先があるというのでそちらに移ろうかと考える者もいたり、なんとか宮が一条の邸に戻られるよう説得できないものかと日々戦々恐々としているのでした。
 
夕霧はなんの消息も返してこない宮を恨んでおりました。
もうそろそろ落ち着かれた頃ではあるまいか。
私は何も浮かれたことを書いているのではない。
自分が肉親を亡くした時のことなどを思い返しながらお悔やみと慰めの言葉を綴ったのになぜその心をわかっていただけぬのか?
このように宮を恨むとは、これはまったく夕霧の独りよがりといっても過言ではありません。
現代の我々には殊更にそのように思われるかもしれませんが、女性は男性よりも賤しいものとされ、男性の庇護が無くては生活してゆけなかった時代の話ですので、この場合宮の態度は如何にも大人げないというように捉えられるのでしょう。
夕霧はこのような扱いを受けても尚宮への想いが断ち切れぬのをどうした心の働きかと思い悩んでおります。
柏木が道ならぬ恋に身を焼くのを愚かと諌めようとしたものが、己が身に起きたことでその心裡にこのような物狂おしいほどの嵐が吹き荒れるとは考えてもみないことなのでした。
せめて四十九日が過ぎるまでは参上を控えようと考えておりましたが、どうせ一度たった浮名は消せぬよ、と言い訳をして宮の元へ赴いたのでした。

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