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紫がたり 令和源氏物語 第二百一話 少女(十)

 少女(十)
 
内大臣はそれからしばらくは三条邸を訪れませんでした。
大宮に顔を合わせればまた辛いことを言ってしまうのが目に見えておりましたので、穏便に雲居雁を手元に引き取れるよう根回しをしていたのです。
折よく弘徽殿女御の宿下がりを願ったのですが、上のご寵愛が深いこともあり、なかなかお許しが出ません。
そのようならば何故に中宮になさらなかったのか、という恨みもありますが、まずは雲居雁を手元に引き取る口実が必要なのです。
何度も奏上してようやく弘徽殿女御の宿下がりが許された時に大宮の元を訪れました。
「母上、今宵雲居雁を邸に引き取らせていただきます。どうかお恨みなさいますな」
言葉少なに語る愛息子も辛そうなので、大宮もそれ以上は何も言えませんでした。

夕霧はその日三条邸に来ていたのですが、内大臣の車があるのを見て密かに自室に籠っていたのです。
思えば雲居雁と夕霧も不憫な、という思いが大宮の胸の裡に込み上げてきたのでしょうか。
せめて最期に二人を、とこっそり引き合わせてあげたのでした。
夕霧は長く逢っていなかった愛しい姫を目の前にすると目を潤ませました。
「内大臣の扱いがあまりにも辛いので、いっそ君を諦めようと思ったけれどもそれもできない自分が情けないよ。私はそれほど君を想っているのに、あなたはどう思われているのだろう?」
「わたくしだって同じ気持ちよ。いつまでも」
幼い恋人たちは気持ちを確認し、互いの存在を確かめるように抱き合いました。
しかし、無情にも別れの時が近づいてきます。
姫の乳母がやってきて、夕霧と姫が手を取り合っているところを目撃してしまいました。
「なんということを、大殿がおいでになるというのに。婿君が六位程度の者では大臣の姫に似つかわしくありませんわ」
雲居雁の乳母の言葉に夕霧は己が身分の低さを恥じ、血を吐くような思いで詠みました。
 
夕霧:紅の涙にふかき袖のいろを
      浅緑とやいひしをるべき
(血の涙で染まった私の袖を、それとも知らずにあなたの周りの人たちは浅葱の六位の袍と貶めていますよ)
 
雲居雁:いろいろに身のうきほどに知らるるは
        いかに染めけるなかのころもぞ
(いろいろと悲しいことばかりで我が身の不幸を嘆くばかりですが、いったいどのような縁で私達はこのように辛い思いをするのでしょう)
 
乳母に蔑まれ、泣く泣く雲居雁と裂かれた夕霧は己の身分の低さを、ひいては父源氏の非情さを呪っておりました。
位など関係なく愛していると雲居雁は言ってはくれましたが、この力ない身ゆえに二人は裂かれたのです。
夕霧が打ちのめされて自室に籠っていると、雲居雁が去っていく気配が感じられて、夕霧は悔しさのあまりまた涙を流しました。
祖母の大宮がお食事しましょう、などと遣いをよこすのも煩わしく、何も食べる気など起きようもありません。
夕霧は今失恋の痛みを抱えておりますが、それを祖母などに慰められたくはないのです。
一人の男として、じっと耐え忍ぶその姿は痛々しくも高潔で敬虔な姿勢なのでした。

明け方、夕霧は泣きはらした顔を見られないようにそっと三条邸を後にしました。

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