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紫がたり 令和源氏物語 第二百六十六話 藤袴(一)

 藤袴(一)
 
玉鬘の裳着の式が終わった後に、とうとう三条の大宮は身罷ってしまわれました。
桐壺帝に縁のある方々が次々と世を去り、源氏も時の流れを痛感せずにはいられません。
それは御身もそれだけ年を重ねたという証なれど、未だ女人を恋うる気持ちに惑うているのはどうしたことかと玉鬘姫への執着が募るのを抑えられない君であります。玉鬘は裳着の式を終えてから、さらに源氏の懸想が増したことを心苦しく思っておりました。
実の娘ではないということを内々に知らしめたことで憚りが欠如してしまったのでしょうか。
近頃源氏と玉鬘の仲を怪しむ噂は世間にも広まっているようで、なんとか身の潔白を訴えたい玉鬘ですが、実の父は源氏に遠慮して手を差し伸べてくださらず、以前よりも苦しい立場に追い込まれてしまったと目の前が暗くなるばかりなのでした。
大宮の喪に服した玉鬘は薄い鈍色を纏っていますが、却って華やかな容貌が際立って見えるようです。
悩ましげに端近で庭を眺めることの多くなった姫の姿はますます美しく、まるで一幅の絵であるような、とお仕えの女房たちは感嘆します。
その中に若く美しい弁のおもと、という女房がおりました。
玉鬘姫が気さくで優しげに御声をかけてくださるのが嬉しくて、弁のおもとは一生懸命姫にお仕えしております。
ある夕暮れに玉鬘姫が庭の水鳥を眺めているところ深い溜息をつかれたので、おもとは声をかけずにはいられませんでした。
「姫さま、何か御心にかかることでもおありですか?」
「弁、わたくしは大きな渦に巻き込まれて身動きのとれない己の運命を恨めしく思うわ」
「帝にお仕えすることでしょうか」
「ええ。田舎育ちのわたくしが名門の女御や更衣が数多おられる後宮でやっていける自信がないのよ。それでももう内示が下ってしまったわ」
さすがに源氏の懸想のことなどは漏らせませんので、不安のひとつをついぽろりと吐露してしまいます。
「尊いご身分というのは思うままにならぬものなのですね。でも姫さまのように聡明な御方は女官として立派にお仕えできるとわたしは思います」
しんみりと同情の念を露わにする弁のおもとを見て、玉鬘はこのように気にかけてくれるのも嬉しいこと、とこの女房に好感を持ちました。
それからはよく弁のおもとと端近で他愛のない話などをして気をまぎらわせております。弁のおもとは若い女人にしては感性が磨かれていて、そこそこに教養もあるので玉鬘にはよい話し相手なのでした。
 
季節は夏になり、あともう少しで大宮の喪が明けます。
主上からの御伝言や禊のことなどがあるので、夕霧の中将が源氏の遣いとして玉鬘の元を訪れました。
夕霧は実の姉ではないとわかった時からこの玉鬘が気になって仕方がありませんでした。従姉弟なのですから結婚をしてもなんら問題はないわけです。
野分見舞いで垣間見たあの美貌を思い返すとこのまま宮中に上げるのは惜しいと思えてなりません。
「主上は入内を切望されておられます」
そう夕霧が告げると、姉弟ではないからと突然よそよそしくするのもどうかと玉鬘姫が直々に言葉を返されました。
その柔らかい受け答えが品よく、夕霧はこの従姉弟に惹かれます。
「父から内密に・・・」
などと、思わせぶりに几帳の側に膝を進めると、女房たちは下がり、姫もこちらににじり寄ります。
夕霧は藤袴の花を几帳の下から差し入れ、玉鬘の手を取りました。
 
夕霧:同じ野の露にやつるる藤袴
     あはれはかけよかごとばかりも
(御身も私も同じ大宮の孫ではありませんか。私達にはそれほどの縁があるのです。あはれと思って声をかけてくださいよ)
 
玉鬘:たづぬるに遥けき野べの露ならば
        うす紫やかごとならまし
(私たちは姉弟ではないのに同じ野辺の露などと言うのはあなたの好色心の言い訳でしょう)
 
「気分が悪いので失礼致します」
そう玉鬘が下がってしまったので、夕霧は仕方なくその場を退出しました。

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