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紫がたり 令和源氏物語 第二十七話 若紫(一)

 若紫(一)

夕顔の死で病人のようになってしまっていた源氏は何とか回復したものの、物思うことが多くなり、年が明けてもまだ本調子には戻りません。そんな折に瘧(おこり=熱病のようなもの)にかかってしまいました。
体がだるく参内も出来ないうえに、夕方になるとまた熱が上がってきて頭を上げているのも辛くて仕方がないのです。
人づてに徳の高い聖(ひじり)が北山に棲んでいて、加持祈祷に優れていると聞いたので、周りの薦めもあって山寺に赴くこととなりました。
切り立った山道を馬で登り、深山を踏み分け辿り着いた先は、草深い処にある小さな山寺でした。
たしかに聖は噂通りの優れた方で、山の冴えた空気も源氏の体を浄化していくように、少しずつ力が戻ってきました。
そうして勤行(ごんぎょう=経などをあげて仏の御心に従うこと)に明け暮れることで徐々に元のような輝きを取り戻してゆきました。

源氏が山寺を訪れてはやひと月。
すっかり毒が抜けたように体は軽くなり、鶯の声に誘われて春爛漫の山をそぞろ歩くのは何とも清々しい気分です。
土の薫り。沢のさざめき。山桜がはらはらと散る様が美しく、足元には菫がそこかしこと群れを成しているのも趣があります。
ああ、夕顔は桜を観たがっていたなぁ。
源氏は桜の一枝を手折ると、あの人に届けと願いながら川へと流しました。
心は穏やかに凪いで、今は夕顔の冥福を祈るばかりです。

気の向くままに散策していた源氏は小柴垣をぐるりと巡らして庭を整えた小さな庵が結んであるのを見つけました。
見れば遣り水なども配してあって、野趣あふれるなかにも趣向を凝らしてあります。
なかなか雅な、と覗いてみると、このような山奥に女の気配があります。
もう若くはないですが品のある顔立ちの尼削ぎした女性が端近に座り、何やら童をたしなめている様子だったのでそちらに目を向けると、十ばかりでしょうか、つやつやとした髪が扇を広げたようにふさふさと揺れる愛らしい女童が泣いています。
「犬君(いぬき=他の女童)が雀の雛を逃がしてしまったの」
「おやまぁ、あれほど命あるものを閉じ込めて飼おうなどといけないことです、と申し上げていたのに」
尼君が諭すように優しく宥めても女童の涙は溢れてきます。
「あなたは子供っぽくて・・・。あなたのお母様があなたくらいの歳にはお父様を亡くされたのですけど、もっとしっかりしていましたよ。私が死んでしまったらあなたは一体どうなるのでしょう」
悲しそうにしみじみと嘆く尼君が気の毒で源氏の胸は痛みました。

それにしてもうつむいた少女の面の美しさは源氏の君の心の奥にしまっておいた恋を思い起こさせるようで・・・。
宮に似ておられる、そう思うだけで目を離せなくなるのです。
まるで幻を見たような心地で山寺に戻った源氏の脳裏には、あの幼い姫の姿が焼き付いて離れません。
あのような少女を宮の代わりに毎日傍らで眺められたら、この心はどれほど慰められるだろう、などと思うような始末で、そんな残酷なことはできまいと思う反面、そうなれば良いのに・・・と願ったり。
宮を焦がれるあまりに幼い童女に懸想するなど、己はどうかしている。
源氏は人知れず自嘲の笑みを浮かべるのでした。

次のお話はこちら・・・


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