見出し画像

紫がたり 令和源氏物語 第二百三話 少女(十二)

 少女(十二)
 
明日は帝の御前での試演ということで惟光の娘である舞姫は緊張と稽古の疲れとで物陰に伏していました。
その場所は廂の間に几帳を立てた簡易的に作られ所だったので、夕霧は舞姫の姿を悪戯心にかられて垣間見ました。
俯いた顔は美しく、どことのう恋しい雲居雁に似ています。
ほっそりとした面は雲居雁よりも勝っているようで、心が移ったということはありませんでしたが、惹きつけられて、夕霧はつい舞姫の裾を引いてしまいました。
舞姫は初心なのか男が裾を引く意味が分からないようです。
ただ気味が悪くて、後ずさりするばかりです。
 
あめにます豊岡姫の宮人も
   わがこころざすしめを忘るな
(天におられます天照大神にお仕えしている舞姫よ。私があなたを想ってしるしを立てていることを心に留めておいてください)
 
惟光の娘はこのような経験は初めてなので、どうしてよいのかおろおろとしておりました。若く美しい声ではありますが、誰ともわからぬ相手に困惑していたのです。
歌を返すことも出来ずにいると、ちょうど舞姫の世話役の女房がやってきたので、夕霧はそっとその場を離れました。
ふわりと残った香の薫りが甘く舞姫の元に届きました。
 
 いったいどなたなのだろう?
 
ぼんやりと首を傾げながら、微かに胸がときめくのを感じる姫なのでした。
舞が奉納される当日は辰の日と決められ、その前日から舞姫たちは内裏に参内します。
普段は官位によって身につける袍が決まっておりますが、大嘗祭ということで、この日は好きな色の袍を纏ってよいことになっております。
夕霧は浅葱の袍を着なくてもいいことと、舞姫が気になるのとで、落ち着いた色合いの直衣を身に着けて参内しました。
やはり高貴な者が身につける色合いの直衣は夕霧によく似合っています。
なまじ凡庸な若者が身につけると背伸びして浮いているようでも、夕霧が纏うとまさに貴公子たる風格が滲みでているのです。
主上(おかみ=帝)は、心裡では夕霧を弟と思っているので、やはりかわいくて仕方がなく、側近くに呼んで親しげに御声をかけられます。
夕霧も兄がいたならばこのように優しく接してくれるだろうかと心の底から懐かしく、笑みで応えます。そんな若く美しいお二人の様子は周りの者たちには格別に眩しく思われるのでした。

源氏も辰の日当日は参内し、五節舞の奉納を堪能しました。
どの姫も美しく、近年稀に見る華やかな祭事となりましたが、やはりその中でも源氏の舞姫が一番であるという評判の良さです。これならば典侍としても恥ずかしくなかろう、と源氏は満面の笑顔で惟光を側近くに呼びました。
「姫の評判はなかなかだぞ。私も改めて推挙するとしよう」
「殿、なんと名誉なことでしょう。あの子は儂に似ずに器量がよいですからな。これで大納言にでも見初められれば言う事なしでございますよ」
惟光が親バカらしく目尻を垂らしてデレデレしているのを見た源氏は、笑いを堪えるのに必死です。思えばこのように惟光にも華々しい地位が与えられるとは、須磨、明石を流離ったあの頃には考えもつかないことでした。
源氏はふと舞姫たちの艶やかな舞姿に過去の恋を思い返しておりました。
あれはもうだいぶ昔のこと、まだ源氏が十代の頃の話です。
五節の舞姫たちの中でも一際美しい姫に若き源氏の心は惹かれました。
一度きりの逢瀬でしたが、彼女はいつでも源氏を想い、独り身を貫いているのでした。あの須磨をさすらった日にも、彼女は太宰大弐の受領の娘だったので、上洛する道すがらに、心だけでもお側におりますという歌を贈ってくれたのです。
懐かしさが込み上げて源氏はかつての五節の舞姫に歌を贈りました。
 
乙女子も神さびぬらん天つ袖
   ふるき世の友よはひ経ぬれば
(あの五節舞を奉納した時を覚えていますか?あなたはまだ乙女であったけれども、今は歳を重ねられたでしょうね。そういう私が歳をとったので。昔が懐かしいですね)

次のお話はこちら・・・


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?