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令和源氏物語 宇治の恋華 第七十一話

 第七十一話  うしなった愛(四)
 
宇治の山里では陽が暮れてもなかなか匂宮がお越しにならないので大君をはじめ女房たちもそわそわと落ち着かずにおりました。
そこへ使者が到着し今宵は参内の為訪れることの出来ないことを告げられ、大君が顔を曇らせると邸は一気に重い空気に包まれました。
この事実を中君になんと伝えればよいものか。
殊更に美しく整えられた手紙が大君には忌々しくて仕方がありません。
そこへ当の中君がそろりとやって来ました。
「お姉さま、匂宮さまはお越しにならないのね」
大君から渡された手紙を読んだ中君はみなを励ますように笑いました。
「お主上のお召しでの参内ですもの。お断りになれるはずがないわ。わたくしの夫はそういう尊い雲居人ですのよ。このくらいで夜離れ(よがれ)を疑って一喜一憂しては身が持たないわ。さぁ、みなも休む支度をなさい」
中君はそう言うと大君と共に寝所へ下がりました。
「中君、大事な三日夜なのに残念だったわね」
「仕方がありませんわ。この山里で朽ちるばかりかとする身に思わぬ幸運が訪れたのですもの。身分高いということはいろいろとご不便なことも多いのでしょう」
おおらかに答える中君とはうって変わり、大君はやはり妹が可愛いばかりに深い溜息をついてしまいます。
「お姉さま、わたくし匂宮さまのお言葉を信じておりますの。まだ逢って二日ですが、夫婦の絆というものを確信しております。あの方を疑って責めるような、矜持のないつまらない女にはなりたくありませんわ」
大君は意志をしっかりと持ちまっすぐに答える中君の様子に大きな成長認めました。
女人として花開くということはこうして心までもしなやかに強く磨かれるものなのだ、と感嘆せずにはいられません。
「そうは言いましても一人では寂しいので、昔のことなど話しながらいつものように寝ましょうよ」
中君の人懐こい笑みに誘われて大君もようやく笑顔を取り戻しました。
 
夜気が冷たくなり邸は就寝の支度を始めました。
下人が客人を迎える為に点していた篝火を庭先に移動させようとしていると遠くに馬のいななく声が聞こえてきます。
続いて風に乗って匂宮ご自慢の香が漂ってきました。
「これは、宮さまがお越しになったのか?」
下人は急いで姫君たちに知らせました。
「まぁ、やはり宮さまは不実な御方ではなかったのね。中君はやくお迎えする支度をなさい。女房たちは三日夜の餅を準備して」
「かしこまりました」
中君は感激で目を潤ませましたが、感動を噛みしめている猶予はありません。
女房たちに追い立てられるように、急ぎ身だしなみを整えなければならないのです。
乱れた髪は梳られ、紅を刷くとさっと辺りが明るく華やぎました。
 
匂宮は邸に着くと熱い想いのままに中君の御座所へと向かいました。
「遅くなってしまって申し訳ない。あなたにどうしても逢いたくて内裏を抜け出してきたよ」
「宮さま、お待ちしておりましたわ」
困難を越えてやって来た匂宮はこの麗しい姫を今宵見られなければ一生後悔したであろうと思われてなりません。
うれしさに涙を滲ませた中君はこれまでに見たどんな女人よりも清らかで美しいのです。
「やはり無理をしてでも来てよかった」
「わたくしはうれしいですが、大丈夫ですの?」
「今日は大事な宵ではないか。私達はこれで晴れて夫婦になるのだよ。生涯を共にするとあなたに誓おう」
「わたくしこそ生涯宮さまにお仕え致します」
固く抱き合った二人は湧き上がる愛情をしかと確かめ合いました。
そして夫婦固めの儀は無事に執り行われたのでした。

次のお話はこちら・・・


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