見出し画像

令和源氏物語 宇治の恋華 第七十二話

 第七十二話  うしなった愛(五)
 
薫は中宮の御前に生真面目な顔をして控えておりました。
こちらの御殿は趣味がよく女房たちもみな美しい人達なので、気を抜くと誘惑されかねない魅力的な婦人ばかり。
なんとも目の遣り場に困るもので、いつものように難しい顔をするしかできない薫なのです。
(中宮とは実際の血の繋がりはありませんが)中宮は源氏の娘、薫の姉ですので弟の訪問を嬉しく迎えられます。
「薫、しばらくぶりですねぇ。ささ、近くへ寄ってお顔を見せてちょうだい。相撲の節会の際にちらと会っただけですもの」
「姉上、ご無沙汰しておりました」
中宮は亡き父・源氏にこの薫のことを頼まれておりましたので、今もその言葉を守り仲睦まじく交流しているのです。
しかし父の遺言がなくとも中宮は薫に目をかけて可愛がっていたことでしょう。
慈愛に満ちた優れた国母として尊敬され、国を照らす光である中宮は徳の高い女人へと成長しておりました。
そして薫の控えめな性質を中宮も好もしく思い、この姉弟は不思議と馬が合うのです。
しばらくは管弦のこと、歌合せの会でのことなどとりとめもない話題で語らっておりましたが、ふと会話が途切れた折に中宮は薫に問いました。
「三の宮はどこかへお出掛けになりましたね」
その慧眼に薫はたじたじと舌を巻きました。
「何を仰せでしょうか」
「顔色が変わりましたよ。まったく困った子だこと。母親ですもの、あの子の考えていることくらいは察しがつくものよ」
中宮は怒る風でもなく穏やかに首を振りました。
「お咎めは私がお受けいたします」
「ということは、薫は宮がどちらへ向かったのか知っているのね」
「はい、ですが申し上げられません」
「殿方の友情は固いものですが、薫がそう言うからにけしては話さぬでしょうね。あえて聞こうとは思いませんが、宮が浮薄なように世間でも噂されているでしょう。それが心配なのですよ」
「宮さまは純粋な御方なのです。運命の相手を探し求めておられるのでしょう」
「早く落ち着いてくれればわたくしもうるさい小言を言わなくてすむものを」
「世間というものは宮さまを知らぬような者がやっかみ半分で噂をたてるように歪んでおります。私は宮さまの素直でまっすぐな本当の姿を存じておりますので、宮さまを信じております」
「そうねぇ、親であるわたくしがあの子を信じてあげなければならないのだけれど・・・」
「宮さまはちゃんと姉上の御心をわかっておりますよ。それにもしや本当の運命に出会われたのかもしれません」
「まぁ、今宵出掛けたのはそれほどの姫だというの?」
「私はそう考えております」
中宮は思いを巡らせてじっと目を伏せました。
「薫にだから話しますが、夕霧お兄さまが六の姫を三の宮にとお主上(帝)に働きかけております。結構な縁談だとは思うのですが、今の話ですと三の宮は承諾しないでしょう。兄上の政治家の手腕をもってすれば望みは叶えられるでしょうが、わたくしは息子の味方をしてあげたいわ」
「たしかに身分が高いほど思うような結婚などは出来ないでしょう。宮さまはそんな身分を厭うておられます。しかし姉上のような母君をもたれて宮さまは心強いでしょう。私は心底羨ましいですよ」
寂しそうに笑う薫を中宮は不憫に思いました。
 
この子は親というものを、愛情を知らない。
この子こそ最高の伴侶を得て愛し愛されることの幸せを知ってほしいものを。
 
人の心の深いところを即座に悟るのはやはりこの国母の優れたところでしょう。
「薫は想う御方はいないのかしら?」
「私はどうも前世の行いがよろしくなかったのか、想う相手には想われぬ宿世のようです」
冗談ともつかない複雑な表情に辛い恋をしているのだ、と察せられる中宮なのでした。

次のお話はこちら・・・


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?