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紫がたり 令和源氏物語 第四百三十一話 御法(九)

 御法(九)
 
失意に沈む源氏の元に致仕太政大臣から手紙が届けられました。
互いに年齢を重ね、多くを失ってきた者同士です。
致仕太政大臣は妹の葵の上が亡くなったのもこの時分であったと思うと、源氏に心を寄せずにはいられないのでした。
 
いにしへの秋さへ今の心地して
    濡れにし袖の露ぞおき添ふ
(そういえば葵が亡くなったのもこの頃でした。紫の上さまが亡くなられたのも惜しく悲しいことでありますのに、葵のことまでも思い出して袖は涙に濡れて重くなるばかりですよ)
 
さてもまぁ、そうであったよ、と源氏はあの葵を喪った秋の頃を思い出さずにはいられません。
よくぞここまでのうのうと長らえたものだと感じると、年老いた身が厭わしくなるほどです。
源氏は葵の上を喪った時よりも濃い色の喪服を纏っております。
それはまさに喪に服する最後という心の表れでしょうか。
 
露けさは昔今ともおもほえず
     大方秋の世こそつらけれ
(葵の上を喪った悲しみも紫の上を喪った悲しみも同じほどに辛く感じますが、恨むべくはこの秋という季節でしょうか)
 
源氏はこのように筆を走らせたものの、昔からのライバルに気弱になっていると思われるのも自尊心が傷つけられるようで、きっちりと弔問の御礼をしたためました。
それを受け取った大臣は一瞬昔に返ったように不敵な笑みを口元に浮かべました。
なんとまぁ、意地っ張りな。
素直に悲しんでいることを表せばよいものを、と源氏の強がりに苦笑せざるをえないのです。
とはいえ、互いに年をとったものだ、と遠い空に亡き人達への思いを馳せる大臣なのでした。
秋好中宮と呼ばれた冷泉院の后の宮からも消息が寄せられました。
奥ゆかしい方であるので、主だった方々の弔問が済んだ頃合いを見計らっての消息とは実にあの御方らしいものです。
 
枯れ果つる野べを憂しとや亡き人に
      秋に心をとどめざりけむ
(枯れ行く野辺の草木を哀れと思ってあの方は春を好まれたのでしょうか。大切な方を秋にばかり喪ってわたくしもその哀れを知ることとなりました)
 
そういえば六条院に移った折には、春秋の優劣を競った手紙を交わし合った斎宮と紫の上であったよ、と昔語りのできる相手がここにも居たか、そう思うにつけても心が紛れるように感じる源氏の君です。
そのお手紙を離すことが出来ずに繰り返し読んでは涙がまた溢れてくるもので、なかなか返事が書けそうにありません。
 
のぼりにし雲井ながらもかへりみよ
      我秋はてぬ常ならぬ世に
(御身は中宮にまで上り詰めた尊い御方でありますが、風雅を解する友を次々と亡くしたこの老人を哀れと思って顧みてくださいませ。世は無常と知っておりましたが、この秋はまこと飽きるほどにそれを思い知りました)
 
ようやくのことで返歌をしたためたものの、どうにもこの世にないような心地でその手紙をじっと見つめる源氏の姿を、女房たちも悲しく見守るばかりです。
この天下人の打ちひしがれた姿を見る度にみな紫の上の存在の大きさを痛感せずにはいられないのでした。

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