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紫がたり 令和源氏物語 第二百二十一話 初音(一)

初音(一)

年が改まり、麗らかにたなびく霞の元、六条院では春の息吹がそこかしこに感じられるようでした。ことに春の御殿で紫の上と小さい姫が精霊のように美しく清らかであるのが眩しく思われる源氏の君です。
まさに“春”。
梅の蕾も膨らんでそこはかとなく薫る馥郁たる香気が紫の上の愛でる香とあいまって極楽浄土もさもあらん、といった風情です。
まるで玉の台(うてな)のような六条院の新しい年の幕開けはこのように輝かしく、源氏は己の栄華に酔いしれずにはいられません。
遠くに聞こえる女房たちの声は、古歌「千年の蔭に・・・」と源氏の長寿を鏡餅に祝っているのでしょう。
「あなたには私が祝ってあげよう、紫の上」
源氏はこよなく愛する妻に初春の慶びを言祝ぎます。
 
源氏:薄氷とけぬる池の鏡には
     世にたぐいなき影ぞならべる
(春の訪れで氷も溶けた池の水面はまるで鏡のようで、そこには世に類のない幸せに包まれた私達の影が映っておりますよ。この幸せが変わらずに続きますように)
 
紫の上:曇りなき池の鏡によろづ世を
      すむべき影ぞしるく見えける
(曇りもない池の水面に、たしかに幸せで万年過ごしていけそうな私達が映っておりますわ。この幸せがいつまでも続きますように)
 
静かな微笑みを口元に湛える紫の上はまこと春の女神のように麗しく、心穏やかな様子でありますが、女人の心裡というものはちらちらと違う輝きを見せる万華鏡のように絶えず揺れ動いているものなのです。
この六条院の栄華が強大であればあるほど不安が頭を過ります。
北の方として今は敬われている紫の上ですが、高貴な女人を望む源氏には紫の上の身分を物足りなく思っていることでしょう。
朝顔の姫宮への求婚は失敗に終わったようですが、源氏の心は満たされることなく、次を求める渇いた旅人のように思われます。
元旦という晴れがましい日であればこそ漠然とした不安が込み上げてくるもので、紫の上は己の身のたよりなさを情けなく感じるのでした。
 
さて、この元旦は子(ね)の日。
初子(はつね)ということになります。
平安時代ではこの初めて迎える子(ね)の日に「根引き松」という習慣がありました。若松を抜いて植えかえるのです。
これは先祖に対する感謝の念を表すとともに健康と長寿を祈るもので、現在の角松の起源ともいわれています。
明石の小さい姫の御座所では女童や下仕えの女たちが庭の小松を引き抜いて歓声を上げておりました。
紫の上はふと現実に引き戻されて、愛らしい姫の髪を撫でながら、多くを望んではならない、この幸せだけがあればそれでよい、そう思い直すのでした。
姫はこの日八歳になりました。
つやつやとした髪がゆらゆらと、つぶらな瞳はきらきらと輝いています。
あと五、六年もすれば乙女らしく匂うばかりに美しくなるでしょう。
出来る限りの愛情をこの子に注ぎ、誰よりも幸せになるようにと紫の上は願います。
そこへ明石の上から姫に贈り物が届けられました。
新年らしい色鮮やかなお菓子や果物が容れられた桧破子(ひわりご)に鶯がとまった作りものの五葉の松には結び文がしてあります。
 
年月をまつにひかれてふる人に
    今日うぐひすの初音きかせよ
(いつかあなたに会える日を信じて待つ老人に、元旦の今日は鶯の初音のごとく初便りを聞かせてください)
 
思えばかの御方は姫と別れてから一度もこの愛らしい姿を見ることも叶わぬのでした。そう思うと紫の上も明石の上が気の毒で言葉も出てきません。
源氏も同じように思ったのか、姫にご自身の手でお返事を差し上げるよう勧めました。
 
ひき別れ年は経れども鶯の
   すだちし松の根を忘れめや
(長い年月が経っても鶯は巣立った松の根元を忘れないでしょう)
 
姫はまだ幼いので事情もよく呑み込めないで詠んでおられますが、明石の上にとってこの返事は姫の健やかな成長を偲ばれるありがたいものなのでした。

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