見出し画像

紫がたり 令和源氏物語 第二百二十二話 初音(二)

初音(二)
 
源氏は身支度を整えると女君たちの元へ新年の挨拶に出掛けることにしました。
贈った衣装がどんな塩梅かも確かめねばなりません。
夏の御殿を訪れると、花散里の君が慎ましげに几帳の陰から源氏を迎えました。
「殿、今年もどうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ今年もよろしく頼みますよ。どれ、装束を見せて下さいよ」
源氏は気軽に声をかけるとぐいと几帳をどかしてしまいました。
縹(薄藍)色の小袿は派手派手しいものではないので、この君にはしっくりと馴染んでいるようで、地味ではありますが、控えめな姫にはよく似合っているのです。
源氏はもうこちらで泊まるようなことはありませんでしたが、心底この御方を信頼しています。
年をとり、髪も少なくなってしまいましたが、源氏にとってはいつまでも真心を持った可愛い人なのでした。
源氏は去年の出来事や夕霧のことなど、とりとめもなく話し、くつろいだ様子で機嫌よくしています。
大臣と世に重々しく扱われる源氏もこの君の前ではまるで少年のような表情を見せ、それを柔らかく受け止める花散里の君は母性豊かな温かい人なのです。
穏やかな初春の言祝ぎを交わし、ほどなくして源氏は対の玉鬘姫の元へと渡りました。
 
若い姫君には山吹色が可憐でよく似合っています。
田舎娘と侮っておりましたが、趣味もよく、すっきりと住みこなしているのが、先々楽しみな様子です。
この姫は美しく、筑紫にあって苦労なさったといっても生活に疲れたような翳りは一切なく、ただ輝くばかりであるのはやはり持って生まれた高貴さのせいであろうかと感じられます。
源氏は心密かにこのような美女を手放さずにすんでよかったと思わずにはいられません。
それは男心からくるものでしょうが、この微妙な関係を楽しんでいるのです。
父とは呼んでいても玉鬘も血のつながりがないことで源氏には一線引いて接しております。
親しげに見せても懐いてはいないというような乙女らしい潔癖さと継子という危うい関係が源氏の好色心をくすぐるのです。
若き日のような熱烈な恋は昔のこと。
この気持ちがどうなるかを見つめながら、心がたゆたうままに興じているのでした。
「六条院での生活は慣れましたか?もう家族なのですから、あちらの対にもいらっしゃい。みな善良なものたちばかりですし、明石の姫は近頃琴の手ほどきを受けておりますので、ご一緒されるのもよいでしょう」
「はい、お義父さま。それでは近いうちにご挨拶に伺いましょう」
この姫の素直さがまた好もしく、可愛くてならない源氏の君なのでした。
 
夕暮時、源氏は北の明石の上の元を訪れました。
日が暮れるその刹那というのは神々しい趣に満ちています。
新しい年になり、初めての日暮れなので何の気なく感慨が込み上げてくるのでしょう。
すうっと日が隠れるのを見届けた源氏は冬の御殿に続く渡殿の戸を開きました。
冬の御殿に足を踏み入れた時からは、まるで異界を漂うような感覚が源氏を襲いました。
人の気配のない御簾の内からほのかに薫る香が後を追うように御身を包み、歩みを進めると、その香がより高く薫るのです。
なんと艶な趣向でしょうか。
源氏の心は浮き立ち、この御殿の主人を探し出したくなるような感覚を覚えます。
その女主人の姿はそこになく、かの人がまるで今までそこにいたかのように文机には書き散らした紙がこぼれています。
その中には小さい姫からの手紙なども混じっており、この人にとって今日はよい春の日であったというのが偲ばれます。
なんともまいったものだ、源氏はこの趣向に酔いしれておりました。
それに流さるるもまた一興、と思いつくままに筆を取って書き散らしていると、明石の上が楚々と膝を寄せながら姿を現しました。
「なんとも粋なことをなさる。これでは素通りはできまいよ」
源氏は明石の上を引き寄せます。
ああ、やはりこの方には高雅な趣がよく似合う。
源氏は艶やかに笑むと明石の上の髪にくちづけをしました。

次のお話はこちら・・・


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?