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紫がたり 令和源氏物語 第百六話 須磨(十三)

 須磨(十三)

須磨での生活が落ち着いてくると、残してきた者達が無性に気になり、源氏はあちこちと消息を出そうと考えました。
こちらに着いたばかりではや消息などは、弘徽殿大后の知るところとなれば、二条邸にいる者達にまで何かあってはいけないと自重してきたのです。

朧月夜の姫には女房の中納言の君にあてて、中に歌を忍ばせました。

源氏:こりずまの浦のみるめもゆかしきを
        塩焼くあまやいかが思はん
(須磨に流浪の身となってもまだ懲りずにあなたを想い続ける私を塩焼く海士たちはどう思っているでしょうね)

朧月夜の姫はそのようにしてまで想いを届けてくれる源氏の心に感動しておりました。

朧月夜:浦にたくあまたにつつむ恋なれば
         くゆる煙よ行く方ぞなき
(わたくしのあなたに対する恋心は父や姉にみつからないようにひた隠しているものなので、くすぶる想いはやるせないものです)

何と言っても秘めたる恋人、入道の宮には春宮のことなども考えると尽きせぬ想いが溢れてきて平静ではいられません。

源氏:松島のあまの苫屋もいかならむ
       須磨の浦人しほたるる頃
(須磨の浦人となった私の袖が涙で濡れている頃に、懐かしい入道の宮はどのようにお過ごしでしょう。私の帰京を待ちわびてくださっておれば、うれしいのですが)

入道の宮はこの手紙を見てせつなく胸を詰まらせました。
須磨は過去に罪人が流された地であり、わびしい浦だと聞き及んでいます。
そのような所に“光る君”と呼ばれた尊い方が追いやられてしまったと思うだけで残念でなりません。
春宮をお守りすることを誓ってつれない態度をとっていましたが、本当は源氏の君を心の底から今でも慕っておられるのです。

入道の宮:塩垂るることをやくにて松島に
       年ふるあまもなげきをぞつむ
(涙にくれることが常になってしまっている尼の私ですが、御身の帰京を心より待ち望んでおります。私の嘆きは深まるばかりです)

実は源氏の失脚を聞きつけた六条御息所からも今は近く感じる伊勢から使者が遣わされておりました。
御息所の手紙は白い唐紙にほのかに薫る香がゆかしく、思い乱れたように書き散らしてある手跡が趣のあるものでした。
そんな御息所に源氏は、
「いっそあなたに従って伊勢に赴けばよかった」
そうしみじみと文をしたためました。

そして最愛の紫の上にあてた手紙は、何を書こうか、書きたい想いが多すぎて涙でなかなかよくも書けません。
それでもこまごまと情愛をこめて綴ったものを送りました。

都の紫の上から須磨に使いがよこされました。
簡素ながらきれいに整えられた夜具や無紋の直衣などが心を尽くされて、紫の上の優れたところが窺えるのに万感の思いが込み上げてきます。
数々の恋で浮かれ歩いたりしなければ、今頃はあの愛しい妻と暮らしておられたものをと己の愚かさが悔やまれます。

紫の上:浦人のしほくむ袖にくらべ見よ
         波路へだつる夜の衣を
(浦人となって泣きぬれているあなたの袖と海を隔てて夜に一人泣いている私の濡れた袖を比べてみてください。あなたがおられないのがとても寂しいのです)

源氏はその美しい手跡にやはり他に並ぶものなどありはしない、よくぞここまで立派な女人になられたと目が潤みます。
紫の上の面影を瞼に浮かべては恋しくて仕方がありません。
密かにこの浦に呼び寄せてしまおうか、などと考えるも、せめて犯した罪を償ってからでなければ、とまたひとしきり勤行に励む君なのでした。

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