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紫がたり 令和源氏物語 第百七話 須磨(十四)

 須磨(十四)

源氏と交流のあった親王や上達部は源氏を不憫に思い、最初のうちは慰問の手紙などをよく送ってこられました。
それが有難く、源氏は心をこめて返事をしたため、詩文などを送ったりしておりましたが、その出来栄えの素晴らしさに世の人々が密かに褒め讃えていたものを、ふとした折に弘徽殿大后の御耳に入るようなことがありました。
大后は遠く追放してもまだ源氏に心を寄せる者がいるのが憎く、
「咎人となったものは食べるものも慎むべきだというのに、源氏は風流な邸を構えて朝廷を揶揄するような歌を作っているようですよ」
などと根も葉もないことを吹聴されるので、次第に源氏に手紙を送る者も少なくなっていきました。
それでも内心では、やはり死罪を与えればよかったと思わずにはいられない大后ですが、どうやら罪咎の無いものを裁くことは天から見放されるということに行きつかないほど増長しておられるようです。
これが権力の座を手にしてその甘美さに酔いしれる者の哀れなところでしょうか。
弘徽殿大后が源氏を憎々しく詰るのを朱雀帝は大変聞きづらく思召しておられましたが、母親に意見などできるはずもなく、政治はまさにこの大后と右大臣の思うまま、帝はいつでも蚊帳の外に押しやられてしまうので政務などは形ばかりです。
帝は鬱屈した気持ちを押し込めて、管弦の遊びに耽っておられました。
七月になり、謹慎を解かれた尚侍の君(朧月夜)が参内すると、帝は以前にも増して姫をお側に召されるようになりました。
この姫は教養も高く、管弦なども卒なくこなし、かといってお高くとまっている貴族の姫達とは趣が違います。
ひたむきでまっすぐで自分に正直なのです。
帝は姫に対しては素直に恨み言も愛する気持ちも、また辛い胸の裡をも吐露してしまわれるのです。周りの冷笑に晒されて姫には辛いこととわかっていても、この姫を愛さずにはいられないのでした。

十五夜の満月の宵のことです。
帝は共に月を愛でようと管弦の宴に尚侍の君をお誘いになりました。
月は美しく管弦にはもってこいの夜なのですが、今ひとつ楽の音が冴えわたらず、何かが物足りないように思召された帝は溜息をつかれました。
「やはり源氏がいないと盛り上がらないものだね。私でさえそう思うのに、彼を恋しく思う者はさぞかし辛かろう」
帝の視線に耐えられず、尚侍の君は目を伏せました。
そのしおらしい姿がやはり匂うように美しく、悩ましい様子が女としてさらに深みを増したように思われます。
「この味気ない世で長生きなどしたいとは思わないが、私が死んだらあなたは源氏と別れた時ほどに悲しんでくれるのだろうか」
帝の棘を含んだ問いにたまらず尚侍の君が涙を流すと、
「それ、その涙は私の為に流したものか。彼のためか?」
などとさらに辛いことを仰いました。
「すまない。あなたのことが愛しくてつい意地悪を言ってしまったよ。許しておくれ」
尚侍の君はこれも贖罪かとただただ涙を流します。
「父院の御遺言に背いてあれを追放してしまった。春宮のことも思し召し通りにできるかわからぬ。私は来世に重い罰を蒙るであろう」
そう仰って尚侍の君の涙を優しく拭われるのでした。

実はこの時弘徽殿大后は春宮をも排斥する御心づもりで、桐壺院の八の宮をご自分の息子として迎え入れられました。
八の宮の母君は宮が幼い頃に亡くなっておられ、入道の宮がお産みになった春宮を廃して代わりに八の宮を擁立しようと目論んでおられるのでした。
国で一の人と言われる帝の御苦悩と孤独を尚侍の君はお側で悲しく見つめておりました。

次のお話はこちら・・・


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