紫がたり 令和源氏物語 第百八話 須磨(十五)
須磨(十五)
弘徽殿大后の放言で都からの便りがめっきり少なくなり、源氏は世の無常を噛みしめておりました。
それでも日々身を潔斎し、御仏にすがることでいつか都に戻れるものとまるで修行僧のように己に厳しい生活を心がけています。
季節が移ろい、夏が過ぎて秋になってもその敬虔な姿勢は変わることはありませんでした。
「今宵は十五夜か・・・」
満月が寂しい浦を皓々と照らすのが物悲しく、源氏は昔を懐かしんでおりました。
父院がご存命だった折にはこのような宵には必ず管弦の宴などが開かれたものです。
せめてあの時の輝くばかりの御世を忍ぼうと七弦琴を引き寄せ爪弾きました。しかしながら浦を渡る風のわびしさが身に沁みる。あいまって不気味に響く音色が空しくてなりません。
はたと手が止まってしまいました。
内裏での華々しかった日々は今は昔のこと。
藤壺の入道の宮が出家前に内裏で口ずさまれた歌を思い返しました。
九重に霧やへだつる雲の上の
月をはるかに思ひやるかな
(八重にも九重にも濃い霧が視界を塞いでいるのでしょうか。月<内裏>をはっきり見ることが出来ないので、私は遠く離れたところから見守っているとしましょう)
桐壺院が在世の頃と趣が変わってしまった内裏を嘆かれた時の歌でした。
時代の流れの残酷さが改めて身に沁みるようです。
そういえばこのような月の晩に兄上(帝)と語らったこともあったな、とまた兄君への懐かしさが込み上げてきます。
兄帝は父の桐壺院に面差しがよく似ておられて、その人柄の穏やかなところも慕わしいところでした。
ふとかの菅公(菅原道真)が大宰府に流された時に詠まれた詩文が思い出されます。
恩賜ノ御衣 今 此ニ在リ
捧持シテ 毎日 余香ヲ拝ス
同じように兄帝から賜った御衣はこの手元にあります。
兄上に仇為そうなどと思いもよらぬ濡れ衣です。
憂しとのみひとへに物は思ほえで
左右にもぬるる袖かな
(それでも兄上を憎く思うことはできません。むしろ恋しく思われて、恨めしさと二つの心で袖が涙に濡れる私なのですよ)
そうして都を思う源氏の元に、珍しく訪れた者がありました。
筑紫の大貮という国司です。
任期を終えて、一族を引き連れて都へ上る途中に、以前恩のあった源氏の君を見舞おうという心遣いなのでした。
大所帯なので男たちは陸路を辿り、妻や娘、侍女たちは舟路にて都へ上ってゆく道行きは物見遊山も兼ねたのんびりとした旅路です。
大貮は多く娘を持っており、世に名だたる君がすぐ側にいらっしゃるということで女人達は好奇に沸き立ちました。
その中に他の娘たちとは明らかに様子が違う姫がおりました。
五節の姫と呼ばれる彼女は、かつて宮中で行われた五節舞奉納の日に源氏の君と契りを交わした姫です。
一途に源氏を想い続け、数多ある縁談を断り、独り身を貫いております。
この気持ちが源氏の君に届くように、と歌を贈りました。
琴の音に引きとめらるる綱手縄
たゆたふこころ君知るらめや
(源氏の君の奏でる琴の音が波を超えて私に届きました。その音色に心は惑わされ、お側に参りたいというわたくしの気持ちを咎めないでください)
源氏はその手紙を見て、静かに口の端に笑みを浮かべました。
いまだ心を寄せてくれる五節の姫を可愛らしいと懐かしく感じたのでした。
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