紫がたり 令和源氏物語 第三百十九話 若菜・上(十三)
若菜・上(十三)
紫の上の姿を確認した源氏はほっと胸を撫で下ろしました。
それにしてもこのいつまで見ても飽き足らない美しい人は他にいまい、と朝日に照らされた上の姿を眩しく思う源氏の君です。
「ずいぶんと待たされて体が冷え切ってしまったよ」
つい甘えたような口調で紫の上に縋るように抱きつく源氏はまるで大きな子供のようでした。
皆がまだ寝静まっている頃に起こして無理やり格子を開けさせるという非常識な振る舞いが招いた結果ですが、紫の上は口うるさく責めるような愚かな女人ではないので源氏はつい甘えてしまうのでしょう。
子供をあやすように背中をさする上の優しげな仕草にやはりこの人の側が心地よい、とその日はとうとう女三の宮の元へは渡りませんでした。
今朝の雪で風邪をひいたので、などと男の夜離れの常套句を添えて文を遣るあたり、どうせ子供っぽい宮にはわからぬであろうという侮りが源氏の裡にはあるようです。
一応どんな文が帰ってくるかと楽しみにしていたものの、姫の乳母から
「その旨、宮さまに申しあげました」
と素っ気ない返事のみ。
やはり情趣に乏しくて面白くもない、と源氏は鼻白み、益々姫宮を軽く見る心が増してゆくのです。
それでも女三の宮は鄭重に扱わなければならないので翌朝には文を贈りました。
中道を隔つるほどはなけれども
こころみだるる今朝の淡雪
(この雪が御身と私を隔てるほどではありませんが、あなたが恋しくて心が乱れております)
雪にちなんで白梅の枝に結んで持たせました。
そうして庭で返事を待っていても一向に帰ってくる気配が無いので、庭の見事な紅梅の一枝を手折って奥の紫の上へ見せてあげようと御座所に入りました。
「あなたの為に一番良い香りのする枝を手折ってきたよ」
紫の上はその芳しい香りに柔らかく微笑みました。
「ほんとうによい香り・・・」
花のことなど上と語らっているところに宮の手紙が届いて、あまりの間の悪さに源氏は重い溜息をつきました。
君は紫の上に宮のつたない手跡を見せたくはなかったのです。
紫の上が身分ばかりが高くて中身が釣り合っていないつまらぬ者に追い落とされたように感じれば決まりが悪く、宮にもお気の毒という心遣いからでしたが、こそこそとするのは却って変なので、何気ないように文を広げて読みました。
紫の上はその手跡にハッと驚いて、目を背けました。
とても十四歳の女人の手蹟とは思えないもので、宮よりもひとつ年若い娘の明石の女御の方が優れているようであります。
「ね、このように幼いばかりでね。あなたは堂々と構えていて下さいよ」
源氏がバツが悪そうに眉毛を下げるのが、宮が可哀そうに思われて、紫の上は目を伏せました。
これでは源氏が姫宮を気に入るはずがない、そう紫の上は直感的に悟ったのですが、宮さまには大変お気の毒なことであります。
「今宵はあちらへお渡りください。どうかわたくしの立場をお考えになって。嗜みもなくあなたをお引止めしていると恨まれますわ」
紫の上の強い瞳は自分の決断を全うするようにと源氏に訴えます。
「やれやれ、世の女は新しい妻に嫉妬するというのにあなたは殊勝なことだね。今日は昼にあちらを訪れてこよう」
後悔ひとしきりの源氏ですが、この人に恥はかかせられない、と重い腰をあげたのでした。
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